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【自己紹介】医療と不条理と哲学と
記事の概要理学療法士の仕事に就いた。
患者さんの死や苦しみなど、答えのない問いに悩まされる。
「生きる意味」や「人間の苦しみ」、「死」など哲学的思考を深めていく。
哲学的思考とそこから作り上げたケアを実践。
哲学的思考を社会のコミュニケーションや教育にも広げていく。
理学療法士をしながら、哲学的思考をアウトプットしている。
自己紹介はじめまして。
haradandy(ハラダンディー)と
“座って”話しを聞くことを重要性
セラピストとして、できることなら話しをする前から「この人なら話しを聞いてもらえるかも」と思ってもらいたいものです。
これも一種の非言語的コミュニケーションなのかと思っています。
特別な技術を使っているわけではありませんが、
座って話しを聞くこと
話す位置取り
は意識して行っています。
それを実感するエピソードがあります。
それは、患者さんを交えて、ご自宅での生活について話し合いを行った後
「わたし」と「あなた」をつくるもの
「わたし」という存在が分かる動物人間は、鏡を見ればそこに写っているのが自分だということが分かります。
人間以外では、チンパンジーやゾウ、イルカなど極少数の動物にしか自己認知(自分という存在が分かること)は存在しません。
「私」と「あなた」という認識は、限られた動物だけが持つ非常に特別なことなのです。
自己認識の実験さて、チンパンジーを用いた自己認識の実験報告によると、
密室で一人でけ育ってきた
伝えたいことを伝えるために
2018年の国際学習到達度調査(PISA)で、日本の読解力が15位(全81か国)にまで大幅に順位を落とし、世間的にも問題になりました。
しかしながら、個人的には読解力だけでなく、文章の表現力も低下しているように感じます。
それを実感したのは、私が時おり行っている悩み相談です。
とにかく相談内容の文章が分かりにくいのです。
質問者の中には、
「自分でも内容が分からなくなっています」
「文章がおかし
「死にたい」が口癖になる前に、ことばにする練習を
時々、悩み相談に答えています。
相談内容を読んでいると、「死にたい」というワードがあまりにも多用されています。
「仕事に行くのが辛い。死にたい。」
「学校に行きたくない。死にたい。」
このように、あまりに簡便に「死にたい」というワードが使われているように感じます。
当人たちは本当に苦しんでいるのですが、その表現方法が「死にたい」しかないというのは問題に思います。
これは、良いことも悪いこともす
目的志向に疲れた人へ
私たちの周りに蔓延する目的志向。
現代人の行動には、常に目的が要求されます。
そして、目的達成を煽る様々なコンテンツが山のように発信されています。
かつて、哲学者のハンナ・アーレントは言いました。
「目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求してゆけば、最後にどんなに恐るべき結果が生まれるか、私たちは、おそらく
国の統治者目線になっていないか?
季節のイベントが開催されたり、連休になったりすると、各地で様々なトラブルも起こります。
そして、一度ニュースなどで放送されると、「こんな時に行くのが悪い」、「こんなイベントは無駄だ」といった言葉で、非難する人たちが現れます。
さて、そうやって非難する人たちの言葉を見渡すと、社会の中で起きた問題を、『国を統治する側の視点』で語っているように思えます。
トラブルがなく平穏な状態がよい。
無駄なこと
嫌なことが、大切にしていることに気づかせる
私たちは、ただ生きているだけも『嫌なこと』が沢山あるものです。
嫌なことは、家庭や職場、趣味の場など、日常のありとあらゆるところで引き起こされます。
嫌なことが起きた日は、一日を陰鬱な気分のまま終わることも少なくないでしょう。
だからこそ、嫌なことを逆の視点で考えてみたいのです。
『嫌なこと』というのは、嫌悪感を感じる出来事のことです。
人間にとって嫌悪感とは、生存のために必要な感情でもありま
『弱さ』を抱えて強く生きる
人間と一括りにしても、身体の大きさや脳や各臓器の機能には個体差が存在し、その強さにも差があります。
身体の大きい方が強いかと言えば、そうとも言えません。
身体的なぶつかり合いの強さだけでなく、特定の病気のなりやすさやなどの強さも存在しているからです。
そういった意味で、私たちは誰もが弱さを抱える存在です。
つまり、「生きている存在としての弱さをともに持っている」という根本的な意味において、私とあ