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目的志向に疲れた人へ

私たちの周りに蔓延する目的志向。
現代人の行動には、常に目的が要求されます。
そして、目的達成を煽る様々なコンテンツが山のように発信されています。

かつて、哲学者のハンナ・アーレントは言いました。
目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求してゆけば、最後にどんなに恐るべき結果が生まれるか、私たちは、おそらく、そのことに十分気づき始めた最初の世代であろう。

まさしく、目的とは手段を正当化するものとして定義できます。
目的こそが重要であり、手段は問わないように語られます。

しかしながら、土日が休みになるのは、平日に働くという目的のために肯定されるような事態を、私たちは気分よく受け入れているだろうか?
食事の目的が栄養摂取ならば、同じメニューの繰り返しでもよいと思うだろうか?
目的こそが最も大切であるならば、私たちはこのような事態も受け入れなければなりません。

確かに目的は重要です。
行為の一つ一つの局面において、動機づけや目的が重要な要因であることは疑いようがありません。
しかし、こうした要因を超越しうるかぎりでのみ、行為というのは自由なのです。
栄養摂取という目的を超えるからこそ、食べたいものを食べる自由があります。
行為は目的を超越する限りで自由になります。

また、目的達成のためならば、あらゆることが正当化されるわけではありません。
例えば、目的のために正当化されるもので、最悪なのが暴力です。
目的があるからと言って、暴力という手段が正当化されることなど、あってはなりません。

目的が大切です。
しかし、目的があれば何をしてもいいわけではありません。
そして、目的を超えたところに自由があるのです。

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