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弱さと裸の王様と

誰にでも”欠点”というものは存在する。

そして、本当はみんな自分の欠点には気づいている。

しかし、多くの人がそこから目を逸らしているように感じる。

そう言う私も同様である。

ずっと、ずっと、自分の欠点には気づいていた。

気付いていながら、目を背けていた。

欠点を見なくてもすむように、長所を伸ばすことに没頭した。

知恵がつくと、ダミーの欠点を用意したりもする。

ダミーの欠点とは、指摘されても傷つかず、自ら公表できる欠点のこと。

真の欠点は、指摘されると心がえぐられる。

だからこそ、防衛線を張る。

傷つかない安全地帯を闊歩する。

しかし、不測の事態は前触れなく起こる。

ある日、自分の真の欠点を担当の患者さんに突かれた。

その瞬間、全身の血の気が引くの感じた。

「あぁ、ついにバレた…」

心の奥で重苦しく呟いた。

いや、きっともうずっと前からバレていたのだろう。

誰も、それを指摘しなかっただけで・・・

しかし、その人だけは違った。

その目は、真っすぐに私の心を貫き、本質を露にした。

90年以上も生きてきたその人の目には、どんな小細工も通じなかった。

しかし、それはとても愛情のある指摘だった。

私の能力を認めてくれながらも、直すべき欠点を的確に突いた。

自分の欠点、いや”弱さ”と、真に向き合える一言だった。

苦しさ以上に愛情を感じる言葉はそうそう無い。

きっと、私は幸運だったのだろう。

面と向かって指摘してくれる人と出会えるのは奇跡と言える。

自分を良く見せようと欠点を隠す。

そこに弱さが現れる。

ただ、多くの人が他者の弱さに関心がない。

だから、何も指摘されない。

指摘されないから「バレてない」と感じる。

それはもはや、裸の王様だろう。

誰にでも欠点というものは存在する。

そして、本当はみんな自分の欠点には気づいている。

たとえ隠しても、周りはみんな気づいている。

ならば、改めて向き合おう。

弱さを見つめて、新しい私を生きる。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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