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親を選んで生まれてくる訳ない
「自分なんか、社会や他者に受け入れられることはないだろう」
と思い込んでいた。
ずっと頑なだったと思う。
まだ、頑張らないと、
頑張っていないと立ってなんていられない。
無条件で生きていていいなんて、
そんなことは感じられない。
だが一方で、
「無条件に生きていていい」と思えている人間が
世界に存在することも知っている。
そして、そういう人の大概は
家庭環境に恵まれていて
顔がわかるだけでなく、確かな信頼のある経済圏で生きたい
よく都内のビルの狭間にある心ばかりの小さな公園で行われるようなマルシェだと「作り手の顔が見えるマーケット」だとか、スーパーの生鮮食品コーナーでは「生産者さんの声」といった”作り手(生産側)”に目を向けようとする動きがある。
生産と消費が遠すぎる現代において、それらは意味のある動きだとは思うけれど、それでも、そういった”生産と消費を縮めようとするような動き”が現れてから数年経つが、実際の所はという
はじめから正解の選択肢はないとおもう
過去の自分は、いわゆる"正解"の選択肢だとわかってから、選択することが多かったと思う。
けれど、今の私は、前のように「これでしょ!」という直感的な正解がない。
そして、現代に生きていると、とかく早く答えが欲しくなる。
あらゆるものが工業化した資本主義社会では、何もかもが効率化して、様々な商品やサービスにコストパフォーマンスをつい求めてしまう。そんな社会では、失敗するゆとりだったり、心の余白は意
私が思う優しさが、誰かにとっては破壊的でも貫きたい
かなり昔からのことなのだけど、自分の思う優しさが優しさとして伝わらないことが多々あった。
伝わることもあるが、肝心な重要なときに伝わらないという体験は多かった。
私は、自分自身に誠実であることが優しさだと表現は異なれど、感覚的には昔からそう思っている。
自分の心根に正直であることが誠実さであり、それはたとえ誰かにとって傷になるものでも、耳の痛いことでも、自分自身への誠実さのほうが大切だと、自