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はじめから正解の選択肢はないとおもう

過去の自分は、いわゆる"正解"の選択肢だとわかってから、選択することが多かったと思う。

けれど、今の私は、前のように「これでしょ!」という直感的な正解がない。

そして、現代に生きていると、とかく早く答えが欲しくなる。
あらゆるものが工業化した資本主義社会では、何もかもが効率化して、様々な商品やサービスにコストパフォーマンスをつい求めてしまう。そんな社会では、失敗するゆとりだったり、心の余白は意識しないと取りづらいよなあと感じる。

そういう社会がベースにあるから、私たちは普通に生きているだけで、きっと、選ぶ前にいち早く"正解かどうか"を知りたくなるものな気がしてる。
しかしながら、順序的に、実は「正解かどうかは選んでから知る」あるいは「選択した後に、正解にしようと努める」のが自然な流れな気がしてる。

正解とわかってから選択していた前の私は、「何をするか(Do)」を軸に人生を決めていたと思う。Do的な答えなら、早く答えが見つけることもできたなぁとも思う。

けれど、今は違ってて「何をするのか」より「どう在りたいか/生きていたいか(Be)」を大事にしたくて、Beを軸に考えている。

Beを大事にできた後にDoがついてくる方がいい心地良いだろうなあと感じる。

つまりは、これまで選んだことのない選び方をしているから、正解がわからないのはある意味当然だよなぁとも思える。

直感は、経験の蓄積があってこそ、脳のアルゴリズムがうまく働いてピンときたりするものであると思うし、今の私はきっと「どう在りたいか(Be)」ベースで選んだ経験に乏しいからピンときてないだけな気がする。

「何々がやりたい」みたいなDo的なものは今の私にはないけど、「どういう人、誰と生きていたいか」とか「どんな暮らしをしていたいか」とか、そういう答えならある感じがする。

そこから逆算して、今の選択を決めることがやっぱり良い気がする。

きっと目指すところは
シンプルに「生きてたい人と生きていたい」だけだと思うのだけど、ただ、これが現代では今のところ様々な障害があったりして、中々難しく感じる所は多い・・・!


そんなふうに考えていると、
果たして選択の前に正解と知ることは必要なのだろうかと思う。
"正解"自体を、どう導いていけば良いのだろうということを自分で決めていくことも選択の一つな気がしてる。

まぁ、これまで悩みまくってきたように、きっと今のように、これからも、この先の人生も悩み続けるのだろうと思う!!

けれど、何せ今この目の前の選択一つ一つが自分になることには変わりないのだから、自分で自分の責任を負えるよう生きていたいよなあ。

悩みをこんな風に大抵一人頭で考える癖があるので、悩みを抱える皆はどう悩んでるのか教えてほしい…!


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