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変わっていくもの、変わらないもの

目まぐるしく変わっていく日々の中
少しずつ何かが欠けたり足されたりして
変わり続けているはずの日常において
変わってきたものと変わらないものがあって
この風景とか友達といるときの自分や
友達は変わらないよなとか
そんなことを思った。

最近起きたことと
昨日のお祭りに行ったからか
いつかの子供の頃のことを
気づいたら書いていた。

埼玉県の片田舎である飯能に越してきたのは、
祖父母が居るからだった。
けれど、予定より早めに
東京から飯能に越した。
早まったのは、
姉が東京の中学で虐めに遭って
不登校になったからだった。

小学5年三学期を過ごしていた私は
東京の友達と離れたくなくて
新天地で友だちを作ることが
もう嫌で嫌で仕方なくて、
東京の友達とこれからも一緒だと
そう思って生きていたのに、
同じ中学校に行けない
現実を突きつけられて、
生きていくのがたまらなく不安で嫌になった。

やるせなさを当時は姉にぶつけていた。
私がこんな3年に一度転校させられて
大好きな友達と離れさらせれて
友達に忘れられて生きていたくなるのは
全部姉のせいだと責め続けた。

最近姉から伝えられて知ったのだけど、
姉はその事で、ずっと傷ついていたらしい。
本当に悪いことをしたと
ずっと思っていたのだけど、
まだちゃんと謝れていなくて、
これが私の課題なんだと思う。

きっとこういうことは、
伝えようとしないと一向に伝わらない。

「人が二回死ぬ。
肉体的に死んでいくことと、
二回目の死は人に忘れられたとき」と言うのは
本当にそうだと小学生の時に実感した。

寂しいなんかを通り越して、
友達の中にいた自分が消えていき、
思い出されなくもなるのは
生きている心地がしなかった。

飯能に転校してからは
友だちを作るのをやめた。
もういちいち作ろうとするのも
繕わなければいけないのも
疲れてしまったし
周りの同級生がよかれと思ってする
私への接し方は、決して求めていなかった
ありがた迷惑なことばかりだったから。

転校が早まって仲の良かった友達と
小学校卒業までいられなかったのも
姉を責めてしまったことも

本当は、姉も私も
誰一人悪くなかったはずなのに、
子供の頃の私は、ひたすらに
誰かのせいにしていたかった。
そうでないと、
この今生きていることの理由も
わからなくてもっと苦しかったと思う。

あの時は、
学校で居場所を感じられなくて
家にも居場所を感じなくて
姉も一杯一杯で
私も一杯一杯だった。

子供なりによく頑張ったと本当に思う。

ずっと人のせいにして傷つけてきた
自分が赦せなかった。

いつも自分を赦すことが難しかった。

家族が苦しかったのは私のせいだと思い込んでいた。

けど、
全ては起こるべくして起こった故に
何のせいでもなかったはずだから
自分だけのせいでもなかった。

自分を責め続けるのは、
もういい加減やめようと思った。

飯能は祖父母の家があったから
飯能に戸建てを父が購入した。
やっと2〜3年に一度の転校する生活は
終わった。

もう転校をすることはない安心感の傍らで、
前の東京の友達と離れた寂しさと虚しさと空虚さでいっぱいだった。

生きていたかった場所や人と
親の転勤というどうしようもない理由で
離れないといけなかった理不尽さや
不条理さを感じた。

誰に言ったら良いか分からない
喪失感と空虚感と無力感があった。

だから、不安だらけのまま
引っ越してきて初めて
近所に住む一つ違いの友達が
二人もできたときは
本当に安心した記憶がある。

学年も1つ違ったけど、
同じ部活に入って
たまたま同じ栄養士の資格を取って、
気づいたら桑はたまたま私の父親と
同じ自衛隊に入ってて、
謎の偶然が重なったりして
おもしろいなあと思った。

彼女の旦那さんが自衛隊だから
これから転勤族になるから
中々会うことは難しくなるけど、
この縁はずっと続いていくだろうなぁ🤝

転勤先で大変なことが
元転勤族の身としても色々あるだろうなと
想像して思うのだけど、
その時は本当に頼って欲しい!と思ってる🤝


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