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ずっと忘れられなかった初恋の人が、親友になった日

最近まで、ものすごく辛い別れと、ものすごく胸の高ぶりを感じる歓びの両方が、同時期に自分の中で起こっていた。

この時期は、出逢いと別れの季節だとはよく言われているけれど、今年は本当に、人生で上位の大きな変化のあった季節だった。

春を待つ冬の終わりに、9年前に人生で初めて付き合った人と、二度目のお別れをした。

過去に一度喧嘩別れを繰り返した初恋のひでさんと、再会して一緒に住んだ。
その彼と二度目のお別れの時に、別れ際のギリギリまですったもんだありながらも、今のパートナーの理解があった御陰で、最後はとても良い形で"恋人"としてのお別れができたんじゃないかと思う。

そんな彼のことを、私が生きた証として、これから生きる糧として、書いてみたいなと思う📃



まえがき


フィリピンの田舎町ターラック市で過ごした記憶が、当時19才だった19年間の人生の中で、何よりも大切な瞬間で、想い出だった。
私とひでさんは、「CNE1に語学留学してた頃が、人生のピークだったよね。」と、働くようになってからもよく話していた。
今の日本の社会で生きていることへの物足りなさ、渇望からも、よくそんな話になっていた。


CNE1というフィリピンのターラック市に位置する学校での留学は、それまで生きてきた約20年間の人生の中で、一番自分が自分らしく過ごせたと感じたとても大切な時間だった。

フィリピンへ行くまでは、「ある訳がない」とずっと諦めながら、無意識下の何処かでは望み続けてきたような「世界がこうだったら幸せなのに」という世界が「現実にあったんだ!」と知れた、ずっと探していた未知の秘宝を見つけられたかのような気持ちに、フィリピンでなった。
宝物のような三週間だった。

 

現に、私はフィリピンの学校へ着いて5日目位に、日本へ帰りたくなさすぎて泣いていた。
生きやすかったフィリピンへ行って初めて、それまでの日本での人生が生きづらかったことに気づく、という体験だった。

別のnoteにも振り返って書いていたのだけれど、涙が出てきたのは、感動はもちろんあった。

けれど、「このままフィリピンで出逢えた皆と日本で別れて暮らしたら、フィリピンで過ごしている自分のままでは居られないのでは・以前の自分に戻ってしまうのでは」という恐怖や不安が込み上げてきたこともあったのだと思う。

今でも、人生を大きく変えてシフトさせてくれた、あの大事な3週間の想い出は、あれから時間が経っても色褪せることが無く、想い出すことができる。

当時の私も、日本へ帰ってもずっとその想い出を大切に大切にして、生きていて辛いと思った時に思い出して、フィリピンや懐かしい想い出に思いを馳せては、生きる糧にしていた。


Ⅰ.出逢い:自分が嫌いで、人を好きになれなかった私に出来た初めての彼氏

そんな大切な想い出ができた場所にいた19才の頃、好きな人ができた。誰かと付き合ったのは、生まれて初めてだった。

それまでも"好きな人らしいもの"はできたことがあったものの、"人と付き合うこと"については意味を見出したことがなかった。
故に、人と付き合ったことがなかった。

そんな自分が、まさか初めての海外留学先で、人と付き合うことになるなんて思わなかった。
(だから、ここで言う"初恋"は、初めてちゃんと好きになって付き合った人を指してます)

「どうして、私は今まで人と付き合ったことがなかったのだろう。あまり人を好きになったことがないのだろう。」と、当時は周囲と比較し内省していた。

当時は、摂食障害という「自尊心の病気だ」と言われているような精神疾患になっていた。
太っていた頃にいじめに遭ったことから自分のことを愛するのが難しいと感じ続けていた。

その時思ったのは、『自分を好きになれない人が誰かを好きになるなんて難しかったんだ。』ということだった。
フィリピンの滞在中だけでも、フィリピンでできた先生の友人や同級生のお陰で自分のことを愛せて摂食障害の症状もおさまっていた中で、初めて彼氏ができた時、そう気づいた。


その初めての彼の愛称は"ひでさん"で、学校内では"長老"とも呼ばれていた。
ひでさんは、CNE1 language shcool 二度目の留学で、6ヶ月の滞在をしていた最中の為だった。

私にとっては、3週間の留学での出来ごとだった。

ひでさんは、私が当時抱えていた打ち明けることの困難に感じていた国際協力の栄養士という当時の"夢"を、生まれて初めて洗いざらい話せて、生まれて初めてちゃんと聴いてくれた人だった。

行き場所のなかった思いを抱えてきた心が、掬われた思いだった。
彼に話したお陰で、「自分が、こんなにも夢を大事にしてたのか」と、初めて気付いた。
彼が居てくれたお陰で新しい私を知ることができて前に進めたんだなぁと、後で振り返ると思う。

Ⅱ.一回目の別れ(離別)

そんな彼氏とは、淡路島と埼玉県の遠距離恋愛で、会っては喧嘩を繰り返していた。
当時、私は20才で社会人。ひでさんは大学4回生だった。

学生と社会人だったからか、すれ違いが多かった。
会いに行く頻度が私のほうが少なく、ひでさんの不満が溜まったりしたこともあった。

別れたり付き合ったりも、何度かしていて、自分自身も相手も疲弊していたのがわかった。

そして、3月のひでさんの卒業・就職の時期に電話で喧嘩をしてしまい、そのままお互いに連絡先を消してしまった。

3月でちょうど交際から1年が経ち、ひでさんが淡路島から東京へ上京してきて遠距離でなくなるはずのタイミングだったのに、お互いの心はもう元通り戻れないほどに離れてしまっていた。

別れた後の失恋した私は、心身ともにボロボロで、行く宛もなく歩いたり、歩いていると涙が出てきたりした。
だから、忘れる為にも、同世代の友達と気晴らしによく遊びに出かけていた。

Ⅲ.再会

喧嘩別れしてから約4年後の2021年の5月、ひでさんと再会できた。

もう、『自殺か何かで死んでしまっているんじゃないかな』と本気で思っていた。

当時のひでさんの高すぎるプライドも、精神的な不安定さも、社会で鼻をへし折られて挫折して立ち直れなくなっているんじゃないかと、喧嘩別れした後もどこかで心配していた。

そして、再会してから知ったことだったけれど、とても育った環境が似通っていた。

私もひでさんも、公務員の両親や親族が多く、両親は不仲で、家族の会話は少なく、"家族"というものがよくわからなかった幼少期を過ごしていた。
加えて、兄弟の一人が不登校だった。その後も引きこもりで、自殺未遂をしていた。
故に、どこにも吐き出せない孤独を家庭内で感じつづけていた。

当時大学生で大手不動産会社に就職予定だった彼は、新卒のその会社を半年経たずに辞め、吃音になってしまった挫折を経て専門的な勉強を独学で始め、とある専門職になっていた。

私も、国際協力を志していた当時と夢は変わっていないものの、ベンチャー企業勤務を経て、ベンチャー企業のチーム半壊後に精神的な病み期間を経ての当時、伊豆の断食施設で働いていた。

お互いに挫折を経て、紆余曲折して、生きて会えたことが嬉しかった。
話すことが尽きなくて、再会したその日は、新宿の公園で何時間も話していた。

喧嘩別れしたことを謝りたくて、連絡を取ったのが始まりだった。

そして、再会するまでの数年間も、頭の片隅に「やり直せたんじゃないか」と微かな願いがあったのだと思う。

ひでさん側も、「もしあの時学生じゃなくて、働いていた社会人だったら、うまくいってたのかもしれない。」と後悔していたみたいだった。

そして、伊豆⇔横浜の中距離で、時々遊び始めるようになって一年が経った。
私が伊豆を離れて、都内で仕事をすることになったことを機に、埼玉県で同居を開始することにした。

Ⅳ.二度目の別れ(決別)と新しい関係性

そんな私たちは、去年の暮れに、またお別れをすることになった。

もう、二人の関係性の為に、やれることは全部やり切って最善を尽くした!と思った。
精一杯がんばったけど報われなかった自分を、やっとこの間認められたと思う。

過去の私の積年の後悔も、彼に再会して、同居して、"うまくいかなかった"という結末を経て、やっと浮かばれたと思う。

そして、同居を解消して約一ヶ月半後に、予想外の展開ではあったけれど、とても自然な流れで新たな彼が出来た。

新たな出逢いと別れの変化の狭間の私は、
「初めて付き合った人と結婚する」と夢見て信じて疑わなかった純粋に願っていた頃の自分に対してや想い出への執着、変化を拒む心、以前の生き方への執着…etc

こんなに素敵な彼を前にして、後ろめたさや色んな柵(しがらみ)を終始感じていた。

これほどまでに、生き方(ないしはアイデンティティ)を変えるのには、混乱を招き、前の状態に戻ろうと足掻くんだなぁと改めて感じた。
本当に、変化には時間を要するんだなぁと改めて思った。

そして、今度の二度目のお別れは、昔のような喧嘩別れでなく、「これからもよろしく」という感じの前向きな別れができた。

喧嘩ばかりしていた頃と比べたら、かなりの成長の変化を感じた。

そんな前向きな別れになる前には、ひでさんも私も精神的に不安定になったりして、「自死を選んでしまうんじゃないか」とソワソワして、ひと悶着あったけれど。

今は、お互いに心は落ち着いていて、お互いに自分自身の選択も、新たな変化も受け容れられてきたと思う。

初めからすんなりと良い展開とはいかなかったけれど、それもそれで、喧嘩の多かった私達らしいなと思う。

これから先の人生にも、ひでさんが生きていると思うと安心して生きていける。
生きていて辛かった報われないと嘆いていた過去と、同じような境遇だった人が、同じようなことに怒りを感じている人が、生きてくれているだけで心強さがあった。
私の生きた歴史が、"わたし"という人間が、確かにこの世界に在って生きているんだなぁと思える。

心から幸せになって欲しいと願う親友に向けて、私をもっと知って欲しいなと願いを込めて今のパートナーへ向けて書いた。✍

大切な二人へ気持ちが届くといいなぁと思う🙏🏼

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