フィリピン滞在5日で帰りたくなくて泣いた話
フィリピンに来て知りたかったこと
私は、フィリピン来た理由は、3-4年前と比較して"自分がどういう感情になるのか”―これが知りたかった。
あとは、3-4年前に行ったCNE1の先生と話すための語学力が欲しかったから。
3-4年前は、Tarlacに位置する学校「CNE1」
今回は、Tagaytayに位置する学校「Face to face English school」
3-4年前にあった衝撃的な体験は、”来て5日で帰りたくなくて泣いてしまったこと”であり、これを確かめたかった。
自分自身も変わっただろうから、それも含めてどう感じるのかがずっっと気になっていた。
私は、この感情の正体を知りたいという思いもあって、本を読んだり、大学にも編入した。そのくらい知りたかったテーマだった。
率直にこの結論を言うと、3-4年前に感じた感情は、実は今回は前回ほど感じなかった。
なんで今フィリピンへ行くのか
フィリピン に行きたい理由は簡単に言うと、「自分のやりたいことを知るため、自分のことをもっと知りたい。そのために最も影響を受けたフィリピンへ行ってもっと知りたい。」
なぜ今なのか...
私は、2019年3月にベンチャー企業のチームが解散したことによって、自分が思い描いていた未来は実現できないと思い、自分自身の選択を信じることが難しくなったから。
なぜなら、自分を信じて選んだミッションであり、手段であるベンチャー企業とプロダクトだったけど、チーム解散後、その選択が間違っていたと知らされたからだった。
だから、2019年4月からずっと
”自分のミッションは成し遂げられることはない”という絶望感と、目的を一気に失った私は、
”自分は何をやりたかったのだろう””自分は何のために生きてるんだろう”という迷走や喪失感が自分自身を翻弄していたと思う。
そんなことがあった年に、私は変えたい未来があって、その事業構想をETIC.のローカルベンチャーラボで考えていた。
ラボでは本当に良い仲間に恵まれた。
だが、試行錯誤していく中で、自分の心から願う未来や、やりたいことについて考える所で明確にならなくてつまづいてしまった。
自己分析をしていて、「一度振り返らなければならない部分」が自分のルーツにあると気づいた。
だから、「自分のことをもっと知りたい。そのために最も影響を受けたフィリピンへ行ってもっと知りたい。」と思った。
19歳まで日本では感じることのなかった感情
私は、日本では感じることがなかった感情をフィリピンのTarlacで感じたことがある。
それは、”自分が何者であることが問われず、ありのままでいて良いと感じさせてくれた産まれて初めての感覚”だった。
その正体は、自分が日本では感じたことが少なかった、たぶん愛情や繋がりのようなものだったのかもしれないなぁと今はすごく思う!
自分の中での当たり前
19歳までの”自分の中の当たり前”とすごく違った世界だったからだと思う。
愛情を感じないことも、人との繋がりが保たれないことも、”当たり前”だったから。
「私は心ではいつも孤独で、助けを求めたいけど、誰も理解してくれないことで、誰にも言ってはいけないし、助けもこないから求めない。」とそんな風に閉じこもっていた。
だから、自分の考えや感情が人に理解されないのは当たり前。
自分の感情を吐き出せないのは当たり前。
誰かのためにガマンするのは当たり前。
言いたいことが言えないときがあるのも当たり前。
理解されないがために孤独なのは当たり前。
周りも、上辺の情報で人を判断するのは当たり前。
損得勘定で人を見るのは当たり前。
自分はその程度の人間だと思っていたし、いくら嫌でも世界はそうだったから、世の中もそんなもんだと思って受け入れるしかなった。
けど、この当たり前を崩してくれたのがフィリピンだったんだと思う。
何で帰国したくなくて泣けたのか
誰かと離れる時に、泣くほど悲しかったのは、初めてだったと思う。
誰にも肯定されてないと思っていた自分のことを、すんなり受け入れてくれて、授業の中での姿勢や、日本人スタッフの対応は、自分を理解しようとしてくれ、望んだ対応をしてくれて、心から理解してくれていると感じたことで、愛情を感じた。
人として素晴らしい先生と出会えて、私は今まで感じないフリをして自分の中に留めていた感情も感じるようにシフトさせてもらえた感覚がした。
「感情を感じると辛いから、感じないように思い込んでいたけど、本当は感じたはずの感情を捨ててなかったことにしていたようで、本当は自分の中に隠していたんだ。」と、やっとコトバにしてみて改めて自分のことが理解できたと思う。
人は自分をダマして本心を隠す
人は、自分をダマして本心を隠す生き物だと思う。
それはある意味理にかなっていて、自分を守る術として自分をだましている。
けどその裏には批判され、集団に居られなくなることが恐ろしいという思いがあると思う。
批判を恐れて、視野が狭いままだと他者を理解することもできなければ、未来を見据えることもできないと思うので、自分を守っているようで守れていないと私は思う。
本心をダマさないと生きていけないなんて、そんな社会は嫌だと思った。
そんなことが積み重なって、多くの人がそれが”当たり前”になってしまっているから、自分の納得する人生の選択をできない結果に繋がったりするのだと思う。
”納得のいく選択を選べているか”に国は関係ない
今回来て実感したのは、「自分の納得する人生の選択をできているか・できていないか」は、フィリピンも日本も関係ないということ。
再びフィリピンへ来る前の自分は、「フィリピン人だから~」「日本人だから~」と少し囚われていたことに気づいた。
フィリピン人も十人十色で、日本が抱える課題も少なからずフィリピンも同様にあるものだと、他の地域のフィリピン人講師に会って感じた。
私が影響を受けた先生は、「英語を教えること」に誇りややりがいをもっていて、楽しそうに仕事をしていたように見えていた。
けど、私は感覚的にそう感じない先生と出会って、給料の差で英語の先生に転職した先生にも今回出会ったから、皆が皆同じではないとちゃんと実感できて学びが増えたなぁと思う!
恩返しをしたいだけなのかもしれない
私は、もしかしたら、自分を掬ってくれた先生に恩返し・恩送りをしたいだけなのかもしれない。
フィリピンのイメージが悪くなるのは大事な友達の悪口をいわれてるようで悲しくなるし、「もっと良い人はたくさんいるし私は出会ったから知ってるよ!」と言いたいのかもしれないと思った。
自分にとって大事な人には幸せでいて欲しいから、自分ができることがあるならしたい!と思った。
私がそう考えるのは、「自分が大事に想う人も大事にできないで、一体だれが幸せになるんだろう」としか思えなくなったからだと思う。
きっとこう考えられるようになったのは、愛に溢れる友人に出会えたからで、そんな場所を作ってくれたステキな人にも出会えたからだと思う。
だから、今まですごい難しく考えてたことだったけど、実は私がしたいことは本質はすごいシンプルだったなぁと思う!
自分のやりたいことは、シンプルだった
「大事な人を大事にしたい」っていうのと、「自分がいたい自分でいたい」っていうそれだけだったのかも知れない。
恩返しをしたいのは、大事な人を大事にしたいからで、
恩送りをしたいのは、自分がいたいと思う自分でいたいからなんだなと思った。
そこから社会の構造や、人の意識は変わるべきだという問題意識を強く持っていただけだと思う。
長々と自分の整理のためにnote書きました。
読んでくださった方ありがとうございます!
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