『自身の望み』と「理想」のちがい 我のままに生きる

自分の本当の望みを知っている人は意外と少ない。
今自分が抱えている夢や願いが100%自分の内側から出てきた想いであるのか?ということは自分ですらも気づいていなかったりするという話。

どういうことかと言うと、たとえば今「結婚をしたい」という願いを持っていたとして、それは他人や世間からの影響を全く受けず自分の内側が望んだから抱いた願望なのだろうか?ということだ。
30をボーダーラインとして考えている人が多く、「30までには結婚したい」と言う言葉をよく聞く。
出産や子育てのことを考えると若いうちに、早い方がと考えるのは当然のことなのかもしれない。
環境や自分の年齢から人生を逆算してという考えも否定しない。

だが、そういったことを切り詰めて考えていくと、自分の内側から湧いた純度100%の望みとは、どれくらい存在するのだろうと思った。
いったいどれくらいの人が、何かを手にする以前に“本当に自身が抱いた願い”を持ってそれを叶えていこうとしているのか?ということが気になったのだ。

今年出会った小説にこんな一文が登場する。

どんなに幸運であろうと、自分がほっとしているものを理解していない人は、いつまで経ってもそれを手に入れられないんです。神頼みというのは、叶えるべき願いを知るためにあるんですよ。

『君が電話をかけていた場所』より


「願い」や「夢」とひと言で括りながらも、『本来の自分の望み』と「周囲へ魅せるための理想」が混ざっていることがとても多いように思う。ここに自分が気付いていないと、自分がしあわせになれる人生は叶えていきようがない。
『本来の望み』と「理想」は別ものなのだ。

何が欲しいのか?分かったつもりになっていて、すり替えられた夢を抱き続けてはいないか。
初歩的な段階の話だが、本来の自分から生まれる欲を認められない人がたくさんいるのではないだろうか。
“望み”や“願い”とは“欲しいという欲”を言い換えた言葉である。
これを「欲しい」と声を出したりその心に従うことを「わがまま」と思うことはないだろうか。
「わがまま」は“自分勝手”といったニュアンスで使われる言葉になっているが『我がまま』なのである。
本当に“我のまま”に生きられる人間はきっと少ない。

「欲しい」と思った根源にあるものと、それを望んだ時の“自分の状態”が、
外側の影響から生まれた「理想の夢」なのか、内側から出てきた『本来の望み』なのかを決めているのかと思った。

簡単に言ってしまえば、それが叶うと“心と身体がホッとしているか?”と言うことである。
〇〇といった肩書きや〇〇といった役割の自分が、周囲から褒められたり注目されたりすることで得られる「幸せ」とは、その瞬間だけで長続きはしない。
そして『本来の望み』が満たされていないと、この役割を持った自分を「本当の夢や願望」と認識してしまい、一瞬の幸せのために努力を続けるといったことを繰り返すようになってしまう。

🔽“満たされない状態”では人を愛せないという話


『本来の自分』が望むものとは、実はそんなに難しいものではない。
自らがもともと好きだと感じるものや自身が楽しい感覚がするもの・ホッとするものが、本来の自分が望み必要としているものだからだ。

まずは“本来の自分”に気付くこと。気付くことから全ては始まる。
気付くことができるから、その望みを叶えるための道を築いていけるのである。

🔽理想を捨てて『本来の望み』を見つめる



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