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【患者の本音】ザ・トラベルナース...... 私の感謝している看護師さん🆚

冒頭に先ず、病院ではほぼ100%随分と良くしてもらっていることへの感謝を述べたい。幸運なのかな? それだけではなく、皆が患者に人としてしっかり向き合って全力で対応してくれているのではないだろうか。自分が生きているのは献身的な看護や治療のためなので、感謝しても仕切れない。

今回は「患者の本音が聞きたい」が「患者の不安聞きたい」に置き換わってしまうと実は患者によっては微妙というのが一点。急に普段と違う感じにいきなり「不安を聞かせて」が嬉しいわけじゃないこともあることがもう一点。

さ、本題に入ろう。

😅「本音を打ち明けて欲しい」と言われて、その場でずっと仕舞い込んでいた医療者が聞きたい「患者の本音」を吐露する人っているのかな?

私なら言わないな。

正確には、多分自分でも簡単に言語化できるほど自分の気持ちを理解するのは難しいと思う。だから、いきなりそんなことを言われても言えないんじゃないかな?

なので、「辛いでしょ? 私には分かるわよ。だから言ってね。」と言われたその瞬間に涙を流して抱き合って本音を語り合うというのは起こりづらいと思う。ただ、我慢して言わなかった人ならば、もしかしたらそういう機会を与えることで話し出すのかもしれない。

私の個人的な意見だけれども、ある程度の期間病院にいると、仲良くなっていく看護師さんというのはできるし、頼れる看護師さんというのもできる。それはある程度時間をかけて築いた絆ではないだろうか?

ICUにいると、時間が密だから、その絆はもっと短時間に築かれる場合もあると思う。でも、絆が生まれるのは日々の行動を通してであって、ある日突然かけられた言葉ではない場合もあるとは思う。(ドラマではこの絆があるのだろう)

そうだなぁ。私も似た経験が二度ある。一度はICUにいる時。ただ、この時はICUにも結構長くおり、スタッフは全員信頼していたし、慕っていた。

その時、「わがまま言いなさい」と言ってくれた看護師さんがいた。これは純粋に嬉しかった。そして、本当にお願いしたかった現実的なことをお願いさせてもらった。どんなに時間が経っても、その時のことは今でも鮮明に覚えているし、とても感謝している。

もう一回は、別の病院での病棟での出来事。普段あまり接触することがない看護師さんに、いきなり真顔で声をかけられた。「本音を言えないのではないかと心配しています。私、今日時間とったから不安を教えてください。」

急にどうしたの?と思ったし、これは正直嫌だった。どちらかというと、負担だった。そして、私にはこの言動は私のために発せられたものには感じられなかった。(特殊な環境だったかもしれないが)

とはいえ、このように言われてしまうと、どんなにわりと大丈夫であっても、スタッフがしている心配を払拭することを言わなければいけないようにも感じる。大体、大丈夫ですと言っても、きっと「言えない」と誤解されてしまうだろう。

すると、外部とコミュニケーションが途絶しておらず、別に彼女に相談しなければ張り裂けそうな心配や不安は特に抱えていないことは何かしらの方法でスタッフ一同に伝えなければいけないように感じた。

実際問題、信頼を寄せる友人へのメッセージはなかなか送れていなかった。なので、その内容について別の看護師に相談した。彼女はよく色々楽しい話をしてくれていたし、慕っていた。多分、普段からわりと色々話している方だったと思う。そして、結構頻繁にケアを担当してくれていた。(彼女に限らず、多くの看護師を慕っていた。)

当時入院中、新しい携帯に友人達の連絡先を全ては移せておらず、たしかにコミュニケーション取れるのはFacebookで繋がっている友人や既に連絡先を移行した友人と親族に限られていた。これでも、不満ない範囲だった......

正直、メッセージを書く余力もほとんどない状態の肉体には、たかがSMSを送るのもキツかった。少し前までは音声入力ができていたが、体調の悪化とともに、声を携帯が拾ってくれなくなっていた。

この状況下で、周囲に伝えてたいと願うことは、抱いていないが言ってくださいと声をかけられた不安ではなかった。自分の限りあるエネルギーを最も有効活用したいのは、そこではない。

本題に戻る前に補足を書き終えようと思う。

何人もの看護師が代筆をかって出てくれた。それは非常にありがたいのだが、いかんせん友人や家族と日本語でメッセージを書いていなかったので迷った。英語ならば通じたとしても、その他の言語では厳しいものがあるだろう。
加えて、正直一言二言でも喋るのがしんどく、短文もかなりしんどい体調だ。カタカナは得意じゃないから著しい体調不良の中では代筆のためにカタカナで伝えるのは負担が大きい。スペルをアルファベットで伝えていたら、数文字伝えたところで辛くなっただろう。もし、普段日本語で会話することがない友人にいきなり日本語でメッセージを送ったら、いよいよ最期みたいではないか。ましてや、私が実際に蘇生周辺生死を彷徨っていたのを見ている友人もいる。
まだ、あそこまでは瀕死じゃないにも関わらず...... そして、まだ治療すれば回復することが高確率で期待できる状態で「死にそう」と暗示させるメッセージは避けたい。
現実的に、代筆はかなり非現実的であり、頼んでも疲れて体調に響くだけで、結局意思疎通は難しいだろうと判断した。なので、好意はありがたかったが、頼むには至らなかった。

せっかく話すならば、他愛無い話や楽しいことを話してプラスのエネルギーをもらいたい。せっかくの限られたエネルギーを消費してコミュニケーションを取るなら、お互いに気持ちがいい方がお互いにプラスだと思う。

そもそも、スタッフが聞きたがる不安や恐怖はあいにく抱いていなかった。

唯一思考を巡らせることがあるとすれば、いかに効率的に、そして的確に意思疎通ができるかという方法だった。

たしかに、似た状態の患者ならば、感染症で死んでいることなど誰でも一目瞭然。だからこそ、目的は感染症予防であり、感染した場合の早期介入だ。

加えていうならば、適切な治療で回復するのは経験済みなのだから、その治療こそお願いしたかった。そもそも、死そのものにはそこまで悪印象を抱いていない。私は神様も信じているし、天国も信じている。避けたいのは苦痛だ。それには適切な治療が効果的であり、そのいくつかは既に経験済みだ。あとは医師が実行する以外に方法はない。

再発初期の対応の遅れは時間を巻き戻せない以上、変えることはできない。できることは、今後の治療を適切に行うことのみ。今思い返してみると、初期対応が遅れたのも主治医の責任ではないのだろう。当時も再発のタイミングの悪さは悔いてはいたが、今後いかにして的確な治療に結びつくかが自分にとってのメインテーマだった。(表現方法の問題で、別の伝わり方をしていたのだろうが)

そもそも、人工呼吸を望まないことも主治医には伝えたので、そこのところでスタッフに伝えなければいけない情報は特になかった。

救命・延命のための人工呼吸器装置を望まないという意思表明は、確かに万が一の時には死を受け入れる決断だ。しかし、自分はそれを回避できると心から信じている時点で、私は本当の意味で末期患者の心情は理解していないだろう。

また、看護においては充実していた。スタッフは優しいし、洗髪など週に3回もやってくれた。その間の話も楽しかった。

食事も病院食に加えて持ち込み食まで食べさせてもらえた。様々な面で看護師一同は非常に理解が深く、ものすごくきめ細やかで丁寧かつ優しい対応をしてくれていた。不満もなければ、愚痴も特にない。随分と手厚い待遇であり、ここまでやってもらえるのは相当恵まれているという自覚もあった。

さらには、感染予防なども随分と丁寧にやってくれていたし、感謝している。もし仮に看護に不満があったとしても、それを看護師にぶつけることはないだろうとも思う。

最近本を読んだり、他の患者さんの話を聞いてて気が付いたのだが、「不安」というのはかなり話題に登るということ。そういう意味で、おそらくは不安や恐怖に押しつぶされていないというのはマニュアルにないのだろう。なので、きっと「患者の本音を聞き出してスタッフが対応する」というのが、「患者の不安に寄り添う」と同義に扱われるのだろう。「不安」が問題じゃない人もいるんだけどなぁ。

まぁ、患者がもう10年以上自分の死生観と向き合い、どのような場合には何を望むかが明確になっている場合も少ないのだろう。

加えて、その時私は「絶対に死にたくない」という生にしがみつく感情よりかは、「絶対にここで死ぬのは悔しいから嫌だ。」と死に場所として嫌だった。

もちろん、生きたい。

死にたくはない。

苦しみたくない。

でも、「もう十分頑張ったよね?」と思う面がないわけではない。

「ここでは死にたくないし、改善できる状態にも関わらず死ぬのは悔しいから嫌だ」というのは非常に大きかった。

さらには、できない理由がないのに治療ができないというのは、ただやらないという風に受け取った。(実際、制度的にも予算的にも厳しいことがあったと考えるのが自然だ。)

防げたり対処できることで死んでしまうのもバカ馬鹿しいから嫌だ。

でも、何よりも苦しむのが嫌だ。

生とか死とか抜きにして、とにかく苦しみは避けたいし回避したい。

そして、死んだことはないので分からないけれども、「死ぬよりも苦しい」と思う死へのプロセスは何としても回避したい。

最善のアウトカムを追求する中に、私の中では「スタッフに愚痴る」はなかった。

たしかに、私は優遇されていただろうし、正直看護スタッフに大切にしてもらっているとすら感じていた。

それは、私と触れ合う中で好印象を抱いてくれたからだと信じたい。

「私にあなたの想いを話して」と言われて、「何が不安」とか「何を改善して欲しい」というのが特になかったのも大きいだろう。

しかし、仮にあったとして、それを当人達に吐露することで私にベネフィットはあるのだろうか?

他者に自分の改善すべき点を言われたならば、改善に努めるだろう。しかし、自分達の悪口を言われて気持ちが良い人などいないだろう。文句を言うのは、患者にとってもマイナスになるのではないだろうか? 第一、愚痴ったところで何か改善するわけでもないし、魔法のように病気が消えるわけでもない。その行為に意味などあるのだろうか? ならば、現状で最も現実的な楽しみを見つける方が圧倒的にベネフィットが大きいし、気分も良い。

言葉を発することすらキツイ体調で話したいことは、自分でも考えていない「不安」などではない。

そもそも、「患者さんが何々を不安に思っています」というのは、どうやら医療者の逃げ道でもあるようだと患者以外の立場で聞いて感じていた。それは即ち、「医学的に必要なわけではないのだけれども、患者が不安がっている」という書き換えの対象でもある。

例を上げると、「〇〇さんが何々と〜」に対して「〇〇さんは不安に思い易い方だから〜」となると、〇〇さんの対応は省かれた。

とはいえ、死ぬかもしれない病気だと周知されている疾患においては、「死の恐怖」は適切な対応をしてもらえるだろう。

痛みが酷いとか、苦しみが辛いと周知されている疾患においては、それらの事項に対する苦しみを訴え、痛みや苦しみが悪化することへの不安を伝えれば対処する対象になるだろう。

しかし、その他の万人に周知されておらず、文献が多いわけではない事項についての訴えはどうなんだろう?

伝え方が上手ならば患者にとってプラスなのかな?

けど、既に様々な対処法を学習して実行できる状態においては、答えを知っている非常に難解な解いを相手にわざわざ取り組ませる意味など、どれくらいあるのだろう?

途中で随分と横道に逸れてしまったが、私ならば「不安を打ち明けてください」という直球にその場で応じることはないだろうな。

もっと素直な人は違うのかな?

患者のために想いを聞こうとするならば、いきなりかしこまって「不安を打ち明けて」と言うよりも、ただ寄り添い、患者に自分のタイミングで「言いたいことがあれば伝えてね」という方が嬉しいのが私個人としての患者の本音。

加えて、「ぶっちゃけ不安じゃないし、別に心配でもないし、特に不満もなく可能な限り楽しくやってます」って人がいるかもしれないというのも念頭に置いておいてもらえれば、それで救われる患者もいるかもしれない。これは肉体的には拷問にあっているように見える患者においても、起こりうる。

私が入院中一番嬉しかったのは、看護師さんと他愛無い会話を楽しんだり、検温等などの時に一人の人として向き合ってもらえることだった。

特別なことを求めているのではなく、同じ場にいて会話している時に、もう次の仕事に心が移っているのは悲しい。逆に、忙しい中でも時間をかけられない時に無理しなくとも、その瞬間は目を見るとか、ベルトコンベアの作業になっていないだけでかなり嬉しい。挨拶も気分が良くなる上、秒でできる。

特に長期入院の人は、そういう「今自分と接して向き合ってくれてる」と感じれる人に自然と心を開きやすくなると思う。

たしかに、その時に「不安があったら臆さず言ってね」とか、「何でも遠慮せずに言ってね」という一押しによって看護師の誰かに患者の抱える想いを伝えやすくなる場合もあると思う。

年齢もあるかもしれないが、個人的には「わがままを言うまでここを離れないよ。」の方が圧倒的に嬉しかったし、本音を言えた。きっと、私の好みはあると思う。

きっと皆が色々考え、自分のスタイルを築いているのだろうし、いかんせん現代は患者あたりの看護師数が減らされてしまい、以前にも増して忙しいと思う。

でも、必須業務の時に目を見てくれる方が、ある日突然「私になら不安を何でも打ち明けて大丈夫よ」と言われるよりもありがたい。もっと言うと、急に普段と違う態度や言動だと、「急にどうしたの?」と思う。

自分の病状や治療オプション、検査データや予後を理解していない場合には、「そんなことを聞かれるほど私の病状は悪いのだろうか?」と逆に不安をそそってしまう場合もなきにしもあらずなのかもしれない。

まぁ、私は自分が「普通に接して欲しい」と思うあまり、ちょっと普通っぽくすることにこだわりすぎているかもしれない。

その辺はその場や状況、その人に合わせてもらえればいいと思う。これが難しいのかもしれない。

ドラマを見て、色々思ったので書いたが、少しでも誰かの役に立てれば幸いです。

ちなみに、かなり長期間様々な状況で入院して来たけれども、看護に不満を感じたのは一度だけ。自分の部屋に入って来た瞬間からもう次の仕事に心は移ってしまっていると感じたことのみかな?(ほぼ起きないけど)

他は、仮に不満があっても、多分自分の病状や身体状況に不満があるのであって、看護師に対しての不満ではなかった。仮に当たってしまったとしても、症状などに関係しており、看護師の態度や対応への不満ではないと思う。所々で自分のちょっと後悔している言動には思い当たる節がある。もしも、過去に看護に対して不満を抱いたことが有ったとしても、もう覚えていないようなことなので、大したことではないのだと思う。

けど、ほぼ100%随分と良くしてもらっているとは思う。幸運なのかな? それだけではなく、皆が患者に人としてしっかり向き合って全力で対応してくれているのではないだろうか。自分が生きているのは献身的な看護や治療のためなので、感謝しても仕切れない。

良いことがありすぎて、書き出せないほどだけれども、きっと多くの患者が同じように感じているのではないかと思う。

面と向かってお礼を言うのは恥ずかしいから、言えないこともあるし、言ってもぎこちなくなることもある。体調が優れないと言葉に出せない想いも多々あるだろう。多くの患者は表現している以上に医療者に感謝していると思う。

新型コロナ禍で物凄く大変な現場がより一層増えていると思いますが、日々感謝してます。また、この忙しい中でも患者のために様々なことをやってくれる皆さんを応援しています。(色々やってもらう身としては、言い方が悪いかな? けど、自分がお世話になっているからだけではなく、それこそこれ以上頑張ってというのは酷だと分かりつつも、つい応援したくなってしまいます。)

もうちょっと上手く表現できたら良いんだけどな(苦笑)

医療を支えている看護職の良さを主に描く物語はあまり見たことがなかったので、こういうドラマができて良かったと感謝している。

ただ、ドラマ「ザ・トラベルナース」に不満をぶつけるとしたら、医者も患者を診て(見て)というのが教えだし、あそこまで悪態と贅沢三昧の医師はそんなに多くないと思う。

医師と看護師は同じ医療のチームメンバーなのだからドラマでも協力と協調を促す表現を増やして欲しい。また、世間一般に医療の悪い部分を食い摘んでオーバーに表現せず、もうちょい好印象を与えることも描いて欲しいな。

本来、看護師も医師も患者も家族も友人や社会、実に様々な人々が同じチームで健やかさやより幸せな状態を目指していると思う。皆で協力し合ってより良い日々を目指し、今を大切に生きよう!

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