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歴史考察

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歴史について考察した記事をまとめています。
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#江戸時代

「名将」氏政の野望 ~江戸時代の土台~

「名将」氏政の野望 ~江戸時代の土台~

戦国時代、関東地方の実力者と言えば、
「後北条氏」五代の大名たち!

なお、後北条氏の祖、北条早雲は、
便宜上でこう呼ばれているだけで、
名乗りは「伊勢新九郎盛時(宗瑞)」。

1523年に二代目の北条氏綱が、
「北条」と名乗り始めた。
何しろ鎌倉幕府の実力者の家の名。
同じ伊豆から勢力を伸ばした一族に
ぴったりの名字なので改名した。

(この氏綱は「勝って兜の緒を締めよ」と
遺言したことで有名。

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幕末の集団の例えで現代のSNSを比較する

幕末の集団の例えで現代のSNSを比較する

幕末の日本では活動家たちのコミュニティ、
「集団」が生まれました。
既存の枠組みでは捉えられない集団。

志士集団は「藩」の内の身分の枠を超え、
それぞれの意志で結集します。
長州では『奇兵隊』や『松下村塾』。
薩摩なら『誠忠組』。土佐は『勤王党』。
水戸なら『天狗党』など。
脱藩して全国的に活動する人もいました。
幕府側ではありますが
『新選組』もこの範疇に入る。

一方、藩校などの集団は、

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外の知識と平等と ~胡蝶の夢とSNS鎖国~

外の知識と平等と ~胡蝶の夢とSNS鎖国~

医学には「平等」な側面があります。

なぜなら、
どんなに偉い人でも、貧しい人でも、
「人間の身体の変化」という面では
平等だからです。

(もちろん個体差は千差万別ですが、
生まれて亡くなるまでの過程の意味)

「不老不死」はあり得ません。
古代の権力者、秦の始皇帝は
不老不死の妙薬を求めたそうですが、
ついには寿命が来て亡くなった。

生・老・病・死が、等しく訪れる。
生きている限りいつかは老

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江戸時代の学問、百花繚乱の土壌

江戸時代の学問、百花繚乱の土壌

儒学、国学、蘭学、など…。
「社会科や歴史の授業で
聞いたことがありますね」
と言われそうな、〇〇学の数々!

約265年ほどの長きにわたって続いた
日本の江戸時代では、
様々な学問が生まれていきました。
本記事では江戸時代の学問の概要を、
自分なりに書いていきます。

まず、時代背景から。
江戸時代、と言えば
戦国時代(安土桃山時代)の後、
明治時代の前!

戦国時代、安土桃山時代のあたりは

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佐藤一斎、重職の心得を語る

佐藤一斎、重職の心得を語る

さとういっさい、1772年生まれ。

江戸時代の人です。
日本史で言えば、田沼意次が
老中に就任した頃に生まれました。

さとういっさい、1859年に亡くなる。

日本史で言えば、桜田門外の変で
大老の井伊直弼が襲われる
前の年に亡くなりました。

長生きなんですよ。
1772年~1859年だから
約88歳の生涯を生き、亡くなった。

この人の残した言葉は
今でもなお、生きている、と言えます。

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浪人論 ~脱藩、大陸、転職、SNS~

浪人論 ~脱藩、大陸、転職、SNS~

江戸時代は「藩(大名家)」が基本の時代。
そこから脱藩した者は、
「脱藩浪人」と呼ばれていました。

明治時代からは、日本列島から
抜け出て大陸などに出ていった者を
「大陸浪人」などと呼びます。

戦後になり、大学受験に不合格、
学校に属さずに再び大学受験を
志す人は「(大学)浪人」と呼ばれる。

本記事では、浪人について書きます。

「浪」という漢字は
さんずいに良いという字から成る。
「なみ」

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滅私奉公と我慢と送りバントと日本人と

滅私奉公と我慢と送りバントと日本人と

めっしほうこう。滅私奉公。
「私」を「滅して」、「公」に「奉ずる」。

良い意味で言えば、
「わがままにならない。和を乱さない。
みんなのために自己犠牲で頑張る」
という、尊いフォアザチームの精神!

悪い意味で言えば、
「思考停止。言われるがままで主体性なし。
『みんなのために』が言い訳の奴隷根性」
という、言いなりの木偶人形!

…読者の皆様は、滅私奉公と聞いて、
どちらのイメージが思い浮かび

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生駒騒動

生駒騒動

いこまそうどう。江戸時代の初期の事件。

平和な江戸時代において、
大名たち、お殿様たちの一番の仕事は
戦国時代のように
周辺を斬り従えることではなく
「無事に家を治める」「後継者をつくる」
つまり「家をつないでいく」ことでした。

しかし、うまくいった家ばかりではない…。
いわゆる「お家騒動」が起こり、
幕府に処分されてしまう家も多かった。

生駒騒動は、そんなお家騒動の一つ。
本記事ではこの事

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本拠地が二つある藩

本拠地が二つある藩

江戸時代の「藩」は今の都道府県とは
ちょっと違っておりまして。

何しろ「封建時代」のシステムですから
「将軍様(幕府)」から
「版籍」(版図と戸籍、つまり土地と民)を
「与えられて」治めているわけです。
その代わり、将軍や幕府に忠誠を誓う。
『御恩と奉公』ってやつですね。

ましてや、江戸時代の統制下ですから
「お取り潰し」や「国替え」もあります。
けっこう、ごちゃっとしています。
「天領」(幕

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佐竹氏のチェンジ、戦国から江戸へ

佐竹氏のチェンジ、戦国から江戸へ

戦国時代と江戸時代の一番の違いは何か?

「合戦と平和? 混沌と安定?」

…漠然としたイメージであれば
いくらでも出てくる、と思います。

ただここでは物理的に、
「大名たちにとっての行動の違い」を
考えてみますと、

この一点が大きく違うと思われます。

戦国時代は、「戦う国々」の時代です。
信長や秀吉、家康たちの行動は
「戦いと拡大の人生」でしたよね。

富国強兵。相手の国に攻め込む。
自分

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土中にある地理と歴史をこそ

土中にある地理と歴史をこそ

近世から現在までの日本史をざっと見てみると、
「ガラリと変わった」境目の年が
あるように思います。

2023年時点で、ほぼ戦後日本も約77年、
「明治維新」~「戦争終結」までも
約77年ですから、折り返しとも言えますよね。

本記事では、近世から現在までの日本史を
題材に、個人・組織・文化・経済・政治、
そのあたりを書いてみようと思います。

江戸時代の「幕末」から「明治維新」と言えば、
「新選

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戦国大名たちから学ぶ家康

戦国大名たちから学ぶ家康

江戸時代が長く続いたのはみんな知っていますが、
「なぜ」長く続いたのか?と聞くと
色々な答えが返ってくると思います。

いずれも、なるほどそうかもな、
と思えるような理由ではありますが、

そのうちの一つに、江戸幕府の創始者である
徳川家康の尋常でないほどの
「ラーニング能力」があったように思います。

どこから「ラーニング」したのか?

彼は戦国人ですが、読書人でもあり、
「吾妻鏡」などの本を読

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