關左湊布

旅行の印象記等を書こうと思います。 歴史的仮名遣いを多く使用。

關左湊布

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  • 翻訳:ユリウス・バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』

記事一覧

偸兒の話

 ある國で強盗に遭つた話。  南半球の夏の始め頃、高級住宅が建ち竝ぶ丘を控へ、首都を南北に貫く大路に面した宿に到着間もない不知案内の身を置き、無聊の日々を送つて…

關左湊布
6か月前

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(5):第一章「悲劇的なもの」 第三節(続き)

第一章 悲劇的なもの第三節 日常生活の悲劇(Tragedy of common life)に関する下位の心理学のために(続き)  衝突する義務の混乱は、計算しがたい関係の組み合わせを…

關左湊布
6か月前
1

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(4):第一章「悲劇的なもの」第三節

第一章 悲劇的なもの第三節 日常生活の悲劇(Tragedy of common life)に関する下位の心理学のために  法の違反が新たな違反によってしか償われない無数の場合や、真の…

關左湊布
6か月前
3

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(3):第一章「悲劇的なもの」第二節

第一章 悲劇的なもの第二節 倫理的なものの根本的本質における悲劇的なものの条件  我々は、ヘーゲルの思想の弁証法(Gedankendialektik)が悲劇的な個別的主体におい…

關左湊布
6か月前
1

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(2):第一章「悲劇的なもの」 第一節

第一章 悲劇的なもの第一節 悲劇的なものの特徴的な前提  悲劇的なものの様々な現れ方を分類しようとする時、最も手近な分類根拠として、主たる関係者(訳者注:悲劇の…

關左湊布
7か月前
5

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なものと形而上学的なものの形態としてのユーモア』(1):序言~緒論

訳者前書き 下掲及び続稿は、ドイツの哲学者ユリウス・バーンゼン(1830-1881)の掲題書(原題:Das Tragische als Weltgesetz und der Humor als ästhetische Gestalt …

關左湊布
7か月前
3

屋根裏の古文書

 ある親戚から、屋根裏から他の古道具と共に見つかつたといふ、明治頃のものと思しき小册子を手に入れた。紙縒で簡素に綴じられてをり、長い間放置されたために劣化が著し…

關左湊布
10か月前
2

旅館にて

 薄暗い廊下に、人影がせはしげに搖曳してゐる。さざめきが高まり、後退ると、從者を先拂に土埃色の略裝姿が足取り輕く歩み出た。嗄聲で冗談を言ひながらも、間近に見る面…

關左湊布
11か月前
2

霧のディアス・ポイント

 アフリカ南部に冬が始まらうとする頃、大西洋に面した港町リューデリッツを訪れた。首都から幹線道路を南下して七時間以上の距離を、案内を傭ひ、道中の名所を巡りつつ進…

關左湊布
11か月前
4

印象 ベルリン

 「ミネルヴァの梟は迫り來る黃昏に飛び立つ」といふ言葉がある。日没後の靜寂の境地において調和した灰色の世界を寫し取る者がある一方で、かつて、到來せんとする薄明の…

關左湊布
1年前
3

印象 東ドイツの地下壕

 初夏、思ひ立ち、僚友に同道を乞うてベルリンに向つた。中央驛にて貸自動車を索めたが生憎と拂底してをり、鐵道でポツダムに赴きやうやく車を得た。  幹線道路を走つて…

關左湊布
1年前
6
偸兒の話

偸兒の話

 ある國で強盗に遭つた話。
 南半球の夏の始め頃、高級住宅が建ち竝ぶ丘を控へ、首都を南北に貫く大路に面した宿に到着間もない不知案内の身を置き、無聊の日々を送つてゐた。割り當てられた假寓は五階建の宿の一室で、短期滯在者の當座の用に供するための、手狹な間取り。構内は電流が走る高い鐵柵で圍まれ、出入には電子鍵が必要だつた。
 窗から外を見やると、晴れ渡る昊天の下、生氣の無い草木の間に家屋が點在する寂寞た

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(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(5):第一章「悲劇的なもの」 第三節(続き)

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(5):第一章「悲劇的なもの」 第三節(続き)

第一章 悲劇的なもの第三節 日常生活の悲劇(Tragedy of common life)に関する下位の心理学のために(続き)

 衝突する義務の混乱は、計算しがたい関係の組み合わせを径の上に容易に押し出す。その径は、希望に関して欺き・欺かれて待ち暮らすことが、過去における最も重苦しい時間が指示した目的の、より快適な道による実現を信じさせた間は、通行できないと思われた径である。しかし、少なくとも半

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(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(4):第一章「悲劇的なもの」第三節

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(4):第一章「悲劇的なもの」第三節

第一章 悲劇的なもの第三節 日常生活の悲劇(Tragedy of common life)に関する下位の心理学のために

 法の違反が新たな違反によってしか償われない無数の場合や、真の誠実さが、見せかけの欺瞞によって最も満たされる場合(すなわち、他人を最も邪に欺こうとしていると疑われる時には最も実直であり、逆に、他人に対して子供染みた無邪気さに至るまで実直であるように見える時は、大抵は沈黙している

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(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(3):第一章「悲劇的なもの」第二節

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(3):第一章「悲劇的なもの」第二節

第一章 悲劇的なもの第二節 倫理的なものの根本的本質における悲劇的なものの条件

 我々は、ヘーゲルの思想の弁証法(Gedankendialektik)が悲劇的な個別的主体において意志の弁証法(Willensdialektik)へと移行するのを見たが、同じことが普遍的な倫理的意志規定の分野においても起きている。その二つの領域、道徳(Moral)と法(Recht)は実在弁証法的矛盾に同様に貫かれてい

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(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(2):第一章「悲劇的なもの」 第一節

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なもの』(2):第一章「悲劇的なもの」 第一節

第一章 悲劇的なもの第一節 悲劇的なものの特徴的な前提

 悲劇的なものの様々な現れ方を分類しようとする時、最も手近な分類根拠として、主たる関係者(訳者注:悲劇の主人公)の性格及び、彼の運命との接触の形式が挙げられる。我々は単なる運命の単純な悲劇的なものを認めないため、偶然との衝突の形式はまずもって二次的なものとして、衝突する個性の内容を優先しなければならない。悲劇的英雄については故なく語られるわ

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(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なものと形而上学的なものの形態としてのユーモア』(1):序言~緒論

(翻訳)バーンゼン『世界法則としての悲劇的なものと形而上学的なものの形態としてのユーモア』(1):序言~緒論


訳者前書き 下掲及び続稿は、ドイツの哲学者ユリウス・バーンゼン(1830-1881)の掲題書(原題:Das Tragische als Weltgesetz und der Humor als ästhetische Gestalt des Metaphysischen)の邦語訳。バーンゼンは、ショーペンハウアーの影響の下、その悲観主義を継承しつつも独自の立場を打ち立てた思想家、また「性格学」(

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屋根裏の古文書

屋根裏の古文書

 ある親戚から、屋根裏から他の古道具と共に見つかつたといふ、明治頃のものと思しき小册子を手に入れた。紙縒で簡素に綴じられてをり、長い間放置されたために劣化が著しく、蟲損も多い。表紙には、辛うじて『當代風俗辨』と墨書してあるのが讀み取れる。中身も判讀可能な箇所を繙くと同じ手で書かれてをり、誰かが他の閲讀に供するため、當時の文化について見聞したことを書き留めたものらしい。
 記事の一例を示せば下掲の如

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旅館にて

旅館にて

 薄暗い廊下に、人影がせはしげに搖曳してゐる。さざめきが高まり、後退ると、從者を先拂に土埃色の略裝姿が足取り輕く歩み出た。嗄聲で冗談を言ひながらも、間近に見る面貌は強張つてゐる。圍繞する衆人はその身に纏ふ血と埃とに敬意を拂ひ、暫しひそまつてゐた。
 小柄でどこか戲けたその樣は、何かを演じるままに演技の區別を失ひ、觀客を求めて流浪を續ける旅藝人のやうでもあり、いつ散文的な終幕が訪れるか知れぬ身の上を

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霧のディアス・ポイント

霧のディアス・ポイント

 アフリカ南部に冬が始まらうとする頃、大西洋に面した港町リューデリッツを訪れた。首都から幹線道路を南下して七時間以上の距離を、案内を傭ひ、道中の名所を巡りつつ進む旅程の終着點だつた。

 海と砂漠に挾まれた小さな町の名は、この地に進出し、舊ドイツ領南西アフリカの建設に繋がる橋頭保とした商人アドルフ・リューデリッツ(1834-1886)に由來する。二十世紀初頭にダイヤモンド採掘により繁榮し、現在は當

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印象 ベルリン

印象 ベルリン

 「ミネルヴァの梟は迫り來る黃昏に飛び立つ」といふ言葉がある。日没後の靜寂の境地において調和した灰色の世界を寫し取る者がある一方で、かつて、到來せんとする薄明の豫感に戰きつつ、夕鴉の如く鳴き渡つた者がゐた。
 「ドイツ表現主義」と稱される詩人の一團は、急速に近代化する社會を前に、言ひ知れぬ不安と確かならざる希望とを抱きつつ、内奧から湧き上がる衝動を詩作として昇華させた。作家の由來や關心はそれぞれ異

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印象 東ドイツの地下壕

印象 東ドイツの地下壕

 初夏、思ひ立ち、僚友に同道を乞うてベルリンに向つた。中央驛にて貸自動車を索めたが生憎と拂底してをり、鐵道でポツダムに赴きやうやく車を得た。
 幹線道路を走つてベルリンの喧騷を抜けると、やがて森林地帶となる。しばらくして支線に折れ、鬱蒼たる木々を拓いた道を案内に從ひ更に奧へと進むと、不意に人工物が現れ、目的地に着いた事を知つた。

 集合場所は敷地を圍ふ鐵柵の一端に設けられた門の前だつた。三十年近

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