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霧のディアス・ポイント
アフリカ南部に冬が始まらうとする頃、大西洋に面した港町リューデリッツを訪れた。首都から幹線道路を南下して七時間以上の距離を、案内を傭ひ、道中の名所を巡りつつ進む旅程の終着點だつた。
海と砂漠に挾まれた小さな町の名は、この地に進出し、舊ドイツ領南西アフリカの建設に繋がる橋頭保とした商人アドルフ・リューデリッツ(1834-1886)に由來する。二十世紀初頭にダイヤモンド採掘により繁榮し、現在は當時の入植者が遺した色鮮やかなユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)樣式の建築群が觀光客を集めてゐるが、その全ては原住民の犠牲を伴つて築かれたもので、白人入植者による抑壓の歷史を傳へる史跡も散在してゐる。
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町を離れ、深く入り込んだ灣を迂回して西に進むと、燈臺が立つばかりの崖岸に至る。ここは、喜望峰を發見したポルトガルの探檢家バルトロメウ・ディアス(1450-1500)が航海の途次に上陸してAngra Pequena(ポルトガル語で「小さな灣」)と命名し、十字の石碑を遺した場所とされてゐる。その後、Angra Pequenaはドイツによる入植に伴ひLüderitzbucht(リューデリッツ灣)と改名され、また、かつての上陸地點(ディアス・ポイント)の遺跡は南アフリカ白人政權による占領期に國定記念物に指定され、複製された十字碑が建てられた。
燈臺を過ぎて砂地を歩いて行くと、前方に小高い巖が海霧に罩められて佇んでゐた。その根本には處處に水が溜り、海岸植物が鮮やかに群生してゐる。南ア占領期に据ゑられた石碑が殘されてをり、巖へと通じてゐたらしい木橋はその一部が往時を偲ばせるのみだつた。荒寥たる霧中から、潮曇の巖頭に仄見える十字碑を仰ぐと、神秘的な心持がした。
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