嫌なことがありました。私がどれだけ言葉を紡いでも、それはふるいにかけられて、結局残るのは相手にとって都合のいい言葉だけ。こんなことになるなら、わざわざ身のうちをさらけ出さなければよかった。言えば何か変わるかもしれない、そんな浅はかな自分の考えを呪った。もう二度と心を開かない。
わたしが、若ければ。 わたしが、頭が良ければ。 わたしが、ガリガリに痩せていたら。 わたしが、可愛ければ。 わたしが、健常者だったら。 好きな人に、愛されていたのだろうか。 全て逆だからこそ、周りが 「いい加減目を覚ませ気持ち悪い!」 と詰めてくるんだね。 愛なぞ求めるなって。
いきなくていいと許された場合に、その後に本当に生きたいのかという問題ってもんありますし、気合いとか論外な話辞めた時、本腰入ります。管理教育と安楽死は分野遠くありません。そういった事への管理を何処迄とくのか?という。義務を免除されて、フラットに生きたいか尊厳死したいか、これは。
想定内の答えだった。 なのに、なぜだろう。 実際にその答えを聞いて、落胆と共に圧力に負けた。 結局、弱者である障害者が悪者になるしかないんだ。 わたしが害悪だったんだ。 我慢し続けて、今以上に壊れて消えれば良かったんだ。 無能さ、無価値感を改めて突きつけられた、それだけの話。