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つらつらと書いた仕事のことをまとめました。
私の失恋の感情でうまく伝えられなかったり 言葉を読んですぅっと心に沁みていったクリエイターさんのnote。読ませてくれてありがとうございます。きっと素敵な優しい人たち。
私の決めていること。 シンプルに戻す。 人と違うことをする。 以上です。 同じことを誰かがしてもできないことをする。 そういう自信をつける。人徳を積む。 同じ道を生きるのは性に合わないし 切り開かなければ私の成長はない。 そんなストイックな気持ちになっていました。 今は少し変わってきたかな。 そして、フォロワーが多いか少ないかで 左右される仕事はしません。 具体的にそれを伝えてどうするか。 見る人、聞く人にとってメリットがあるのか。 私はこのnoteを 自分を取り戻
私が言いますよ〜!って言ってくれるパートさん。 伝え方が変な気がする。 毎回私がわがままの迷惑系になってしまう。 伝えなくていいですよ、って言ったのに 他の方からあの人を悩ませないでと言われる。 運用する上で解決策になることならと伝えたことが私の感情で終わる。 とても難しい。
ご自由にお書きください。 そうnoteのはじめにテキストで打ってある言葉。 少し振り返ってみます。 noteを始めたきっかけは 失恋でした。 納得のいかない突然のやりきれない気持ち 他人に話しても もどかしくてスッキリしない気持ち。 目覚めれば涙が溢れ 暇だから抜け出せないのだと仕事に没頭したり。 パンデミックになり コロナが私の生活を一変させて 必要としていたものが 無理をしてきたのかもしれないと 認めざるを得なくなったこと。 恋から立ち直りたかったはずが 私自身を
頑張れるって時。 同じ時間をどう過ごしているのかに 出会えた時でもあって。 仕事終わりにダブルワークする人。 夜の時間のために仕込みをする 昼間に出会える人。 一日って本当に色々な時間のひと時で。 ちょっと勇気を出すだけで 世界は広がる。 そう思います。 当たり前が当たり前なんかじゃないってこと。 日本は特にまだまだまだ 恵まれているってこと。 その中で 健やかに生き抜いていく術を 見つけていけること。 ここに落とし込んでいくと 辿り着きます。 バングラディシ
本当に興味のない人にとっては どうでもいい話なんだけれど フォロワーが、何万人 デモに何万人。 お金で買える時代。 生き抜ける時代。 みんなって誰なんでしょうね。 流行りってその他大勢で多数って なんなんでしょうね。 少数派がすごいとか 多数派がすごいとか それで案件がもらえる。 法が変わる。 少ない人達が声を上げる。 ちょっと待って一旦落ち着いて あれ? なんかこのムーブメント大丈夫かな?って 冷静に捉えられる人が好きです。 それを無関心と言うのかどうか。
ご無沙汰になります。 約2年ほどうちで一緒に住んでいた彼。 彼は10分ほどの距離に借りている部屋がある。 ついに自宅へ帰って寝てもらうことにしました。 結論は、最高です。 2DKの我が家。 空間がなくなり物に押しつぶされそうになり 彼の飲み会帰りの介抱&いびきと寝言に ほとほと疲れ切りました。 平日は早く寝てしまう彼、 週末は華金から飲みまくり 友達とのBBQやら海の家やら楽しんでくるのはいいのですが、帰宅してからが本当にめんどくさいのです。 3日前のこと。 彼は男
目は言葉よりもよく気持ちがわかる 言葉は通じなくとも 相手の感情が変化する瞬間を 汲み取ること SNSに疲れたのは言葉のせいだったか しみじみとしっくり。 納得した。 腑に落ちるとはこのことかも。
不安から流れ出て行くものがある 崩れないように完璧を捨てる 不完全の美しさを楽しむ 今自分がどう見られるかより 自分が不安だからこそ 自信がないからこそ どんな風に鎧を固めてきたのかを 振り返るようになった 多分傷ついた分 固めてきたものは完璧に分厚く硬くなっていて 弱さを認めてはならないと 攻撃したり悲劇のヒロインやってみたり 言われたくないから完璧にこなせるよう そうやって守る術を身につけてきた 逃げたくなるものが増え 頭の中でブレーキをかけることが上手くなって で
ふと朝モンステラの葉を触る。 ちょっと元気がない。 朝にたっぷりと水をあげ 夜に帰宅する。 ピンっと張りのある葉に ありがとうと思える。 私には子供もペットもいない。 こういう瞬間がそこはかとなく 好きだ。 今日もモンステラと私と 誰かのにこりを 感じられたような気がする。 働くとは日々とは そういうちょっとした 嬉しいの積み重なりなのかもしれない。 うまく行くことなどほとんどなくとも ふとしたありがとうの気付きの 積み重なり。 そこに立ち戻れるかどうか。 しんどい時
ベストを尽くしたら プライベートは関与しない。 わかってもらおうともしない。 わかってくれる人は少ないかも。 でもそういう加減が また明日の糧になることとか この年になって塩梅とか わかるようになった気がする。 じっくり。 わかっているようでわからないもの 仕事の一瞬の重さよ。
自分のためだけに 綺麗でかっこよくいるのは スーパーすこぶる難しい。 パジャマ姿で気の抜けた自分も大好きなのだ。 スーパーすこぶる好きだ。 明日は自分のために自分を整えよう。 あたたかくしておやすみなさい。
結論。 ダメ男ならその恋を応援せず、やめなって言ってくれる友達を本当に大切にして欲しい。 しかしまぁ、恋とは盲目なもので やめなって言われるほど、 彼は悪い人じゃない!と守りに入り やめなって言ってくれた友達のアドバイスも 説教混じりで自分のことを 全否定されているように感じるものだから その友達を嫌いになるものだ。 ①昔、私はダメ男好き…なはずではなかったが 結果ダメ男だったので友達にはやめな!と よく言われていたものだ。 時が経ち、私はダメ男好きだったと自覚している。
お仕事にしても、彼氏彼女を作りたい人にとっても。 このフレーズ。 私はいつも断ります。 あなたにとっての都合の良い人と 私にとっての築きあげてきた素敵な関係性と マッチするとは限らないからです。 具体的にどんな人を探しているのか そういう言葉がないのに 漠然と良い人。 これは無理な話です。 こんな人を探している。 きちんと誠実に言葉にできる人。 ここから全てが始まっていきます。 大切な人を雑に扱う人に 紹介などできません。 まず、ここから。 私のご縁の繋ぎ方。
夢に出てきた。 好き顔のかつての後輩くん。 夢の中ので(夢の中です。強調。) なぜか、すごく好意をもってもらって 付き合ってください!的なことを言われた。 なんかいいよ的なことを言った。 でもかつての後輩くんは周りの人の前でベタベタしたい感じで リアルの私はパートナーが今現在いて だんだんと、なんか違うかも…困るかも…って思っていた。 これは恋したいのかも? の気持ちであって 今いる彼との暮らしや 日々の他愛もないほっこりしたことを 思えば思うほど 断らねばならない。
言葉は力だ。 宮崎駿監督が語っていた。 映画の中で言わんとしていることは 子供の時はただ気持ち悪いような ただ怖いようなそんな感覚でしかなく 大人になった今 感じる視野が一気に広がって なんとも言えない気持ちになった。 昔から、言葉にして後悔することも多く 言葉にしなければ息が詰まり 息を吐くように言葉にすることで 力を抜いたり得ているのだと思った。 時にはそれが音楽だったり 映像だったりリアルだったりSNSだったり。 色々色々で。 言葉にできない時はその感情が
頭に浮かぶ。 心にもやりとする。 ぐるぐると巡り悩み始める。 頭から離れなくなる。 このパターンはいくつかあり 沈黙を貫くかどうか。 言葉を発するかどうか。 思慮深く悩む時がある。 その時、最近心掛けているのは まず私自身に起こっていることなのかどうか。 自分に起きていることなら自分でなんとかするか、頼る人を間違えないようにする。 自分に起きていないことなのなら どこまで感情を介入させるのか また、何かアクションしなければと考える。 一旦、ここで自分を俯瞰してみる。