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自分の窓を閉じた時

自分の窓を閉じていったきっかけ

思い返すといくつか思い当たります。

ささいなことです、今思えばね。

だけどその時の私は、

多分とっても深く傷つき、とっても悲しかったんだと思います。


多分というのは、その時の気持ちをはっきりとは覚えていないから。出来事は覚えているけど、感情は覚えていない。辛くて封印でもしちゃったかな。

じゃあ、傷ついていたかわからないじゃないか、そうなんですけどね。

比べるのは難しいから定かではありませんが、私は子供の頃や学校の記憶が少ない様に感じます。もしかして、感情が揺さぶられないように麻痺させて過ごしていたのかな、そんな風にも考えます。

それでも記憶に残っていることはあります。

例えば、給食の時に隣の男の子が笑わせてきて、口に入っていたものと一緒に、鼻水までブオーーッと吹き出してしまったこととか(恥ずかしかったー)

自信満々に手をあげて答えたら「違います」と言われて恥ずかしかったこととか。(恥ずかしいばっかりだな)


まあそれはそれとして、とにかく衝撃を受けたことは、はっきり覚えているんだと思うんです。

ってことは逆もありで、はっきり覚えていることは、当時の私にとって衝撃的な出来事だったんじゃないかという仮説です。


で、心を閉ざした出来事です。


母親と祖母が台所で作業をしながら話をしています。祖母が喋り続け、母はひたすら嫌そうに相槌を打っているんですけど。その横で私は母に話したくってずっと話が終わるのを待っています。

やっと話がきれ話しかけます「あのね」でもまたすぐに祖母が話し始めます。ずっと待っても二人ともこちらを向いてくれることはありませんでした。私はあきらめます。

「私の話は聞いてもらえない」ひとつの窓が閉じました。


生まれたばかりの妹が部屋で寝ていました。何をしたのか、母に「静かにして!」と怒られました。私はかっぱえびせんを噛まずに唾液で溶かしながら食べ、忍者のような抜き足差し足で歩きました。「これならいいでしょ!」小さな反抗心があった様に思います。

「とにかく静かにしなきゃいけない」また窓が閉じました。


学校から帰ってきて「ただいまー」と大きな声で言いました。すると奥から祖母が「おかえりー」と嬉しそうに出てきました。ところが私の顔を見るなり「なんだお前か」そう言って奥へ戻ってしまいました。その頃年の離れた妹は可愛い盛り。保育園から妹が帰ってきたと思って飛び出してきたのでしょう。

「かわいく話すのはやめる」また窓が閉じました。


話をしない、元気にしない、声は低く無愛想、これでほぼ私の完成です。

結局その態度を、母にも祖母にも文句言われ続けるんですけどね。

お前らのせいじゃーい!

**


今思えば、そんなの気にしないで、またのびのびと過ごしてもよかったんだと思います。

でも、私は気にしました、やってはいけないと。絶対やるもんかと意地になっていたところもあったと思います。でもそれは、それだけショックで悲しかったから自分を守ろうと必死だったんでしょう。


「おばあちゃんばっかり話してないで私の話も聞いてよ!」

「これくらいの音も出しちゃいけないの!」

おばあちゃんに何回も間違えさせて「イエーイ私でしたー」

そのくらいのこと言えたらよかったけどね。そりゃームリか



そしてこれは、家族だけでだなく、その後の対人関係にも影響を与えてきました。

私は尊重されない
心から楽しんではいけない
私は歓迎されていない

それはとても悲しいことです。だから自分を守るために、感情を出さず、いつも冷めた様な自分でいました。同じような冷たい態度をとったこともあります。

人と深くなんて付き合える訳がない



私は怖くてしょうがなかったんだな、あなたなんかいらないって言われることが。

大したことないって言われればそうなんだけど

私にとってそれは、生きていけなくなるくらいの恐怖だったんじゃないかな。






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