見出し画像

「敢えて」眺める

これも、ある種の「自己防衛」。



わたしは、ある癖に最近気付いた。
それは、「敢えて」眺めること。

ここまで読んで、頭の中が「!?」状態の方…正常な反応ですよ。笑

では、この「敢えて」眺めるとは何ぞや?
それを今から、ことばにしてみようと思う。


実は、「敢えて」というところがポイントだったりする。
何を、「敢えて」眺めるのか?

それは、わたしを傷付けたり、こころを殺した人達の「顔(画像)」を眺めるということ。

昔やられた連中に関しては、画像はないし、大体はこの世にいなかったり自爆してる者もいる。

そういう連中に対しては、
「(ああ、わたしにやっていたことがさまざまな形で返ったのね。やっぱりね。笑)」
と思っている。笑

何だかこの時点で、とてもわたしが愚かで気持ち悪い物体かつ極悪だということがバレてしまった…。笑


けれど、現在進行系の連中も存在している。そういう連中の画像を、敢えて眺める。

それは、万が一遭遇した際に、わたしの表情がブレないようにする為。
ブレないというか、ドス黒く渦巻く哀しみや怒りを表さず、とにかく「無」で相手に感情を読まれないようにする為。

「無」感情を作るには、死んだ目で何も写さない訓練を日々訓練する必要がある。
そうなると、相手の顔画像なんて見たくないけれど「敢えて」眺めることが効果的なのだという結論に至った。


現在進行系でこころを殺して来ている連中の中でも、特に好きな人に対しては中々効果は現れているように感じる。

わたしは、よく知人などに「無」の状態を見られた際に

「ちょっ…Nagomi…今めっちゃ怖い!怒ってる??マジに怖いから、その目!」

と、よく言われる。笑
その時は、怒っているわけでもなく、ただただ「無」だったので知人からはとても驚かれた…。
というか、ビビっていた。笑

その現象が、好きな人に対しても起きている。笑
別に厳しい目つきをしているわけではないけれど、わたしの目つきは怖いらしい。

「無」の状態で、好きな人を眺めたら100%身構えられる…というか全身からビビッているオーラが出てくる。笑

わたしからすると、

「(お前らが先にこういう目をしたんだぞ?腫れ物のように気持ち悪いという態度と表情を出したんだぞ?それに対してただ「無」で返してるだけだからね。笑)」

わたしのこころの声

ただそれだけのことだ。

わたしは、こんな奴らにこころを殺されたことに対して本当に憤っているだと思う。
今後遭遇する可能性もあるだろう、だからこそこれからもこの訓練は継続していく。



敢えてこころを殺した人達の顔を眺める。
それは、自爆でありながら、自己防衛にもなる。
わたしのこころを殺した人達へ、わたし以上に藻掻き苦しんで奈落の底に落ちてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?