情報を集めず、あっても隠す。都合が悪ければ改竄・破棄。これでは過去から学べない。 政倫審が話題だが、元は誰からお金を集め、どう使ったかという問題だったはずだ。特に使い道は当選するための金。政権の正当性がない。強いものが強いまま。 こうなるから、情報は公開されなければならないのだ。
相手の痛みをその痛みを知りたい人の経験で数値化できれば分かりやすいのにな。仲間が三人以上いないとあまり意味なさそうだけど
理不尽なことで注意されることがある。 それを愚痴るくらいは構わないが、他人に正当性や共感を 求めることはやめたほうが良い。 下手に「自分は悪くない」という意識がついてしまうと、 それから注意や助言を素直に聞けなくなる。 それは成長の阻害であり、痛い大人になってしまう。
最近は恋人の事がよく分からないけれど、別れを押し付けてきたのに結局私といることを選んだ事とか、私が課しても課してこない事とか、求めて来ないけど求められた事に応える事とか、好きって言われてないって言ったら言葉足らずだったって言う事とか、そんな抽象的な事に正当性を感じている。
ロシアとウクライナの紛争(戦争)は、双方に正当化する論理があり、どちらの側で考えるかにより、正当性(善悪)が異なってきますが、ソ連邦崩壊後、かっての共和国のほとんどは、NATO軍事同盟に加盟し、ウクライナまで加盟表明、ロシア大統領が、発狂するのも理解できないことでは、ありません。
「お金を得ることを目的とはしていません」とするのも、お金を得ることを目的とするのも、そもそもがお金に価値があると思っているかぎり、どちらも同じです。両者には何のちがいもありません。そこにイイもワルイもありません。お金を得ていないからといってその正当性を主張したところで同じです。