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「ミニマリスト」とは何か。
「ミニマリスト」の根本的な考え方はこうだ。
自分にとって、余計な、枝葉末節な事柄は切り捨てる。
「本当に必要なもの」だけに注力する。
ゆえに、自分は「本当の人生」を歩めるという思想だ。
「より少なく、しかしより良く。」
この考えは、現代に生きる人々を魅了して止まない。
この煩わしいタスクが、日常の雑務が、いかに自分を阻害して止まないか。
それゆえ、いかに自分は「本当の力」を発揮できていないか。
ここに、「本当の自分」を実現できない理由は出揃った。
自分の周りにある「なにものか」が、自分を邪魔しているがゆえに、自分は「本当の自分」になり切れない。
そのような指向性を持つ者は、容易にミニマリストへと転化する。
そしてそこに、「本当の自分」の面影を見出すのである。
しかしミニマリストへの転向は、本人の意思だけによるものではない。
時代が、人々にミニマリストへの転向を促して止まないのだ。
まるで、そうしなければ生きていけないかのように。
この何もかもを瞬時に取捨選択しなければ、すぐにパンクしてしまうような時代に、ミニマリストは生き方としての正当性を色濃く帯びた。
その排他性は、他の生き方をする者を劣位な存在とみなす。
ミニマリストは、他人がミニマムでないことに耐え切れないのだ。
ゆえに、「押しつけがましいもの持たず」と化した存在は、他人にこう要請する。
「あなたもまたミニマリストたれ。」
この教布は、まるで宣教師のように、彼らの口から常に発せられることになる。
自分の暮らしが、いかに先進的で、いかにミニマムで、いかに素晴らしいのか。
彼らは、常に喧伝しなければいけないという、ある種の使命感に駆られている。
しかし、それは裏を返せば、ミニマリストの脆さを白状しているに過ぎない。
ミニマリストは、本心から言えば、「ミニマリスト」という生き方に自信がないのだ。
しかし、自分が砂上に築いてしまった虚栄の楼閣に正当性を与えるため、今日もまた「持たない」活動にいそしむのである。