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メディアにおける正統性および正当性について

メディアの発達により、正当性の範囲が広がりつつある。

正当性の範囲が広がることによって、言葉の質が悪くなってきている。

侮辱罪や名誉毀損罪などのような罪があるものの、その定義も難しく、手遅れになる頃に罪になるケースが多いように思う。

この記事では、「やっぱりそういうことってダメだよね」という話をしていく。

正統性と正当性

この2つの言葉は似ているようで、全く違う。

この2つの言葉の定義を例とともに紹介したいと思う。

正統性

この正統性は、正しく法律を遵守しているかどうかで判別される。

これは、人を平等にまとめ上げるために作られたもので、大人数を動かしやすくしたもの。

暴力で言えば、法律に抵触しない暴力は許されることになる。

正当防衛や警察、自衛官などがそれに当てはまる。

悪口で言ってしまえば、人を深く傷つけたり、名誉毀損となる言葉などでない限りは放置されることになる。

なぜならば、法律に定められていないから。

SNSがその代表例だろう。

近年は、正統性では埋めきれない穴が、あちこちにできているように思う。

正当性

こちらは、法律に当てはまらない「正義」の方。

道理にかなって正しいことをした場合に使われる。

これは、

「○○君が△ちゃんをいじめていた。だから、殴って止めた。」

のような例が当てはまる。

基本的に、暴力は振るってはいけないもの。

暴行罪となる可能性がある。

「暴力で解決することはしてはいけない」と警告しなければいけないこと。

けれども、周囲の人は真実を知ったとき、いじめっ子を殴って止めたことを許すだろう。

手段が間違っていたことを注意しながらも、その子を褒めるだろう。


これは仮面ライダーとかでも言えることのように思う。

仮面ライダーは、悪さをする奴らを暴力をもって止める。

そこの世界には警察の入る余地はない。

けれども、現実でそんなことをすれば即刻逮捕だろう。

だが、正義に照らし合わせれば間違っていない。

なぜなら、悪いことをしている奴らを止めたからだ。

正当であるかのように振舞った正統性に反する言動

僕はTwitterを毎日見ている。

そこでは、様々なニュースに対して、振り回されている、あるいは振り回している人たちをよく見かける。

最近で有名なのは、回転寿司チェーン店「スシロー」での事件だろう。

ある若者が醬油やガリ、人の頼んだ寿司をペロペロしたりたくさんとって無駄遣いしていて、それを面白がって動画撮影して投稿していた、そんな事件(だったと思う…)。

その事件発覚により、スシローの大元の会社である「株式会社あきんどスシロー」の株価は急激に下がり、大きな損失を出した。

犯人は見つかり、賠償命令が出された(と思う…)。

この事件が発覚したのは、メディアのお陰ではあるし、犯人は見つかって責任を取らせることはできたように思う。

食の安全に対する意識が上がった事件でもあった。

メディアの有効性が示された瞬間のように思う。

けれども、その後が良くなかった。

ニュースで話題になったことに興奮をした、余程時間の使い方が上手く、時間がたくさんあるのであろう人たちは、犯人の特定や周囲の環境を探り始めた。

そして、加害者およびその家族や学校を特定し、晒し始めた。

今度は、他にも投稿されていた、過去の似たような事件も晒され始めた。

それに対しても同じようなことが起きた。

そして、ニュースをよく見て考えて話していない、お忙しいのであろう人たちは騒ぎ始め、加害者たちを責め立てた。

こういう人たちは、自分たちに正当性があるんだと考えて、言葉を出しているのだと思う。

本当ならば、裁く資格すらないはずなのに。

けれども、正統性で言えばアウトだ。

こういう案件は、被害者と加害者と警察の間で終わらせるべき話であり、赤の他人が首を突っ込んで、自分のことを棚に上げて話していいことではない。

自分の思ったことを、そのままの勢いでぶつけていいことではない。

自分の考えが、時には間違っていることに気づかなければならない。

自分の正当性が全て合っている、なんて保証はどこにもない。

メディアは、集団リンチをする場と化している。


あなたは、人に注意するときどうやって伝えていますか?

メディアを通じて伝えているのでしょうか?

それとも、直接伝えるようにしているのでしょうか?

どちらにしろ、直接言うことになるのではないでしょうか。


メディアからの一方的な言葉は無責任だ。

相手側には反論する余地がない。

直接言える立場や関係がないのであれば、わざわざ言う必要はないのではないかと思う。

言う資格がないと思う。

もしメディアを通じて言うとしても、優しく言ってあげることはできないだろうか。

大切な人に注意をするように、言ってあげることはできないだろうか。

ここしばらく、そんなことを考え続けている。


とはいえ、僕も一歩間違えればこうなりかねないので、気を引き締めねば!と思った次第です。

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