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Enghienでの2週間強の音楽祭では現地のご家庭にホームステイ。子供達もペット達も可愛かった。パパもママも優しかったなぁ。ちなみにこの子たちはまだ英語が話せず、私はフランス語が話せないのでジェスチャーしながら遊んでた。いつも、ハルカ〜って駆け寄ってきてくれて、良い子たちだった!
ベルギー、ブリュッセル付近で見た風景🐏🐂人々の生活を垣間見ることができで嬉しかった。観光地よりもこういう景色が好きだなぁ、生きてる実感がすごい。
ブリュッセル、20分のロマンス
「キミのことを愛している!」
ブリュッセル空港に向かう電車内で、会って5分のベルギー人に言われた
自然豊かなアンギャンでの音楽祭を終えて、半日ブリュッセルでベルギー人の友人と観光をした。
そのあと、友人とはバイバイしてブリュッセル中央駅からブリュッセル国際空港へ向かう電車へ向かった。
人の少ない車両で、3週間滞在した最後のベルギーの景色を名残惜しみながら愉しんだ。
ブリ
快晴のザルツブルグで大泣きした日
中学生のときの話である。
「私の理科の点数みんなにバラしたやろ!最悪!」
と、クラスの友達に詰め寄られたことを今でも鮮明に覚えている。
もちろん、結論からいうとバラしてない。
そもそも、バラすほどの友達が私にはいなかった。
私は、他の誰かがその子の点数について話してきたので点数は知っていたが、かなりの高得点だった。
私は筋金入りの文系脳なので理数系はさっぱり苦手で、その時のテス
訪れた国の数=ステータス?
ウィーンに住んでいたとき、特になにも特別感を感じることなく、日本に住んでいるときと同様、淡々と生活していた。
[日本にいるような感覚]を、持っておかないと自分を保てなかった気がする。
ウィーンが肌に合わないと感じていれば尚更。
シェアハウスしていたシェアメイトの友人も日本人、大家さんも日本人で他の住人も日本人ばっかりだったこともあり「私が外に出なければここは日本だ」と言い放って
アインシュタインが通ったプラハのカフェでの思い出
4/18はアインシュタインが亡くなって65年目だったそうだ
偉人の人生と自分の人生の一部が交わっているかどうか思いを巡らしたところ、そういえばチェコ・プラハでアインシュタインが行ったカフェに行ったことを思い出した。
ウィーン生活も終盤だったのでせっかくなら行ったことない周辺の国にも行こう、とベルギーの音楽祭から帰ってきてからすぐのバタバタで弾丸のプラハ一泊二日だった。
行き当たりばったり
全身全霊の“自分”でいれたNY旅
アッパーウエストサイドを黙々と歩いていたときにやっと生きてる実感がした。
他人の生活を垣間見ることで、別の世界が己の生活を際立たせてくれるときだった。
ウィーンに留学しているとき、悩みの塊だった。ザルツブルクで号泣したあの日から、自分にとって合わないものが何かを自覚し始めていた。長く居続けられないことに気づいた気持ちを殺して、どうにか自分を誤魔化しながら、騙しながら生きていた。
そも
また住みたい街、ベルリン
海外のどこかにはいつも自分のそのときの辛い気持ちが反映されていて、全てがいい記憶ではないけど、ベルリンはとてもいい街だった。
言ったら叶う的な道理がこの世にはあると信じて、ベルリンにまた住みたいとここに記しておく。
ウィーン留学直後、レッスンを受けるためにベルリンに飛んだ。3週間強の滞在。
可愛い生徒にも恵まれ、ヴァイオリニストとしても仕事もあり、会いたい人にはいつでも会える福岡の気