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#ヒューマニティ
フィクションは使用上の注意をよく読んで・・・
大事件が起こると普段見えていなかったものがあぶり出されるということはある。
東日本大震災やそれに伴う福島第一原発の事故の時もそうだった。
そして2020年のコロナパンデミック。
あぶり出された見えていなかったものって何なんだろう?と問えば、なかなかどうしてはっきりとしたものが見つからない。すごい矛盾だ。
ここ数週間、私の頭の中でぐるぐる繰り返されるのは、
「もうおそいねや」という今井良介
人が悪魔に見えてくる時
お友だちではなくてもなんちゅうの?基本原則?方針?方向性みたいなもんがまあまあ重なっていて、なんじゃかんじゃあったとしてもある程度の和を保ってとある目的地までは辿り着けるんじゃないか?と考えていた人間の顔が突如悪魔のお面に見える。
そんなことってない???
別に悪魔がどんな顔しているかありありとイメージできるわけでもないんだけどね。。。
なんちゅうの?
内から迫りくるもの?ふぉって発散され
繰り返した方がいい失敗
そうでない失敗
人間っちゃア間違うもんだから
失敗なんて当たり前
とはいえ
繰り返せば繰り返すほどに厚みが増すような失敗もあれば
できれば避けたい失敗ってのがある
やっぱり前者の方がいいよね
では
両者各々定義して
前者を促進、後者を避ける
といきますか。。。
という考え方ね。
もうそれこそがアカン方の失敗の出発点ではないか?
そういうバカげたことを考えています。
力抜
「生きさせられている」は受動的か
ふとした疑問。
あんまり「私、生きてます」とか思わない方がいいんじゃないか?と。
自らのやることなすことに責任を全くとらないってこと??とも解釈されうるんだけどさ。
「生きさせていただいている」みたいな謙譲的表現ならまだ受け入れられやすいかな???
なんでこんなことをつらつら考えるのかというと、現代ってエゴが出ずっぱりな印象があるからなんよね。
私の人生、私の好きなように生きる
あまり
「冷徹な悪魔」ってロマンティック
冷徹な悪魔になれれば、浮世のあれこれに悩まされなくなりそうなイメージがある。ちょっとした超越感とでもいおうか。
ロジックの王様は数学。
数学は、高校生レベルの参考書を眺めているだけでも、私は、人間の日常生活からは遠いものだと感じてしまう。多分、結構多くの人が似たような感覚を覚えるのではないだろうか?
化学や物理の教科書も似たようなものだ。
とはいえ、私たちが現在享受している類の文明って、数