フィクションは使用上の注意をよく読んで・・・

大事件が起こると普段見えていなかったものがあぶり出されるということはある。

東日本大震災やそれに伴う福島第一原発の事故の時もそうだった。

そして2020年のコロナパンデミック。

あぶり出された見えていなかったものって何なんだろう?と問えば、なかなかどうしてはっきりとしたものが見つからない。すごい矛盾だ。

ここ数週間、私の頭の中でぐるぐる繰り返されるのは、

「もうおそいねや」という今井良介の有名なセリフと、

「遅いっちゅうたかて、、、わしら生きとるし、、、ってことは数日だか何十年何百年だかは分からんけども、、、生きて行くわけやから」、、、。

Mr. Childrenは「まだ間に合うさ」と唄っていたけれど、「間に合うか?間に合わないか?」とかいう感覚とは違う。

「もうおそい」わけやから、、、「間に合う」わけはなし。

おかずというか、、、スパイスなのよね。

私たちが相当なエナジーを投入して編み出している、そしてこれからもずっと編み出していくフィクションって。

そこを忘れちゃあならんだろう。

フィクションは必要不可欠なのよ。

でもやっぱりフィクションなんだってこと。

それによって生かされるものがある。

絶妙の匙加減が肝要。

間違っても塩コショウでお腹を満たそうなんて馬鹿なことをする人はいまい(多分)。

そうは言ってもねぇ。

スパイスって。。。

依存性?習慣性?Addictive???中毒や!

ともかくクセになるのよね。

ね。

やっぱり「間に合う」とか「間に合わない」とかの問題ではないでしょ?

クセを知りそれをいかに抑えることが出来るか?

アルコール依存症の治療に当たって不可欠なこととして有名なのが「私は酒は止めることが出来ないと認めること」というのがある。

「いつでも止めれる」なんてすかしてちゃあダメらしいのよね。

スパイスの場合はでもねぇ。。。止めなきゃなんない理由というか動機というか事情ってもんがねぇ。。。酒やタバコに比べると大してないというか。。。勿論何でも過ぎればダメなことは誰でも知ってるんだけどね。。。

むしろね。

「過ぎれば悪い」の真逆というか、一切「悪かろう」とも思えないヤツ。

こいつらが厄介なんだろうなぁと感じている。

「悪いんかも??」って露も思わないってことはさ、、、逆に押し付けてきさえするわけじゃない?「お前らバカなの???このスパイス摂らないなんて」って、、、。話がスパイスなら「お前の方がアホじゃ」と言い返すのも難しくはないんやが。。。

事実は小説よりも奇なり。

矛盾しているようだけど、ほぼ無限に思える私たち人間の想像力も、私たちが生きている現実を完全網羅することはできないのです(ここはあえて丁寧語で言う)。

正しいか正しくないかは別にして、思い込みや押し付けは作法として間違っている。

「これしかないやんけ」ってのはもう聞くからにキケンなニオイしかしない。

もっとキケンなのは、コンテンツも作法も何から何までふつー(以上にいい)と思い込んでるもんで、もはや自己振り返りが完全に停止してしまっているケース。

これはヤバイよ。

モノゴトは何でもぐるぐる巻きこんで動いていくからなぁ。。。

これは私たちが編み出すフィクションも同じことなんよね。。。

現実とのボーダーがはっきりしている小説とかの方がまだ御しやすい。

あたかも「これが現実!」とでも言わんかの如く、際限なく続けられるフィクション(現代の科学)は危な過ぎる。

もう巻き込まれてそっから出てくることができない(=現実とフィクションの境がよう分かっとらん)人間が無数におる。

それぐらいキケンなのよ。

今の状態って。。。

それでも。

こういうどうしようもない状態を何とかしたいと思った時、簡単な答えやそこに導いてくれる方法を見つけたいと思ってしまったなら、きっとあなたは現実の端っこすら見えていないし、そういう見方しかできなくなってしまった自分に気付くこともできていない。

私たち人間は愚かではあるけれどももっともっと深いしやさしい。

特に深さよね。

私たちもこの大宇宙に存在する物質でできとるもんなんやし、ずぅぅーーーーーーっとずぅーーーーっと巻き込み巻き込みで出来上がっとる。

そういう方面のイマジネーションね。

働かさないかんね。

巻き込みは際限ないんやけども。

ともかくトライアッドやから。

3ね。

三角形でもなんでもいいや。

3点のそれぞれの中にまた3点があって、その3点のそれぞれにもまたまた3点があって、、、、という無限連続。

どこまで深掘れるか?はそんなに重要でもない。

所詮3点やから。。

段階は違えどそんなにカタチは変わらん。

大切なのは似たものが結構あっちこっちにあるということ。

とんでもなく遠くにあるように思えるもの同士でも似ているな?と感じられればいろいろとインスピレーションが湧くというものだ。

事実私たちはそうやって生きている(生かされている、かな???)。

難しく考え過ぎることもない。

だって私たち人間ってことば使ってるし。ふつーに。

ことばを使っているということは即ち3点でモノゴトを見、感じ、考えているということ。

礼儀作法正しく使っておれば、そのうち何か光が見えてくる、なぁんてこともあるかもしれない。

投げず諦めず。

せいぜい楽しんで参りましょうー。

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