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怖くない小説の雑居房

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ホラー要素や残酷な展開がない小説たちの雑居房です。治安が良いです。
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記事一覧

【掌編小説】日の出のアクター

【掌編小説】日の出のアクター

 海沿いのコンビニを出るとすぐに、防寒具から僅かに露出した肌を滑って潮風が入り込 んで来た。立ったままうずくまり、今買った紙コップのコーヒーを両手で包んでカイロ代 わりにする。しかし、厚い手袋越しだとなかなか熱が伝わらず、もどかしくなって、頬に紙コップを密着させた。これはこれで熱くて耐えられない。
 暖を取るのに四苦八苦する俺をしり目に、涼恵はコンビニ袋を前後に遊ばせながら、夜明け前の青みがかった

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【掌編小説】スノウスコール

【掌編小説】スノウスコール

 東京では五年ぶりの豪雪だそうだ。
 上京して初めて、僕はこの大都会の積雪にくるぶしまで埋めた。
 念のため、車のタイヤをスタッドレスに替えておいて良かった。今日、明日に取材撮影 は入っていないが、何せここまでの大雪を纏った東京だ。カメラに収めない手はない、と 息巻いていた。そうだ、息巻いていたーーはずだった。
 合成皮ごしに触れる雪の温度は、防寒靴をものともしない。締め付けるような足の寒さから、

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【掌編小説】わすれな草

【掌編小説】わすれな草

「運転手さん、この辺りで止めてくださいな」
 老人は、タクシーの運転手に言った。声を出す、のではなく、声を引くような声色であることから、彼が相当な高齢であることがわかる。

 冬の盛り、吹雪く山間に老人はひとりで来ていた。
 この山脈のどこかに、春を待つことなく、わすれな草が群生していると知っているからだ。
 老人にもまた、春が来る前にわすれな草を摘みに行かなければならない理由があった。
老人は医

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【掌編小説】クローバーの妖精

【掌編小説】クローバーの妖精

 ある土曜日の晴れた午後。
 盲目の老人は、白杖と手すりを頼りに展望台広場へ続くなだらかで長い階段を上り終えると、誰かの気配を感じた。
「先客がいましたか」
 その柔らかい声に、広場の真ん中のベンチに腰かけている初老の女性が、ニつに縛った栗色の髪を揺らして振り返る。彼女はさびた小さな赤いお菓子の缶をひざの上に載せている。
 老人は自分の目の代わりに、女性から見えるものを尋ねた。
「どうですか、ここ

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【掌編小説】宮野山の神様

【掌編小説】宮野山の神様

【『シロクマ文芸部 お題:始まりは』参加作品です】

 始まりは、山肌に大海のように生い茂る桜の花の向こうから「おーい」と声が聞こえたことからだった。
 桜の絢爛さとは不釣り合いな、しゃがれた、潰れたような、それでいて腹の奥から捻り出したような男の声。
 当時、小学生だった僕は『山には神様がいる』という伝説を信じ切っていて、その声の主を神様だと思った。初めてひとりで外に遊びに出かけたのが、その宮野

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【掌編小説】毎朝

【掌編小説】毎朝

 今朝、新聞配達を終えたばかりの空は、陽に向かって雲が斑に赤く、まるで向こうに眠らない別の街があるようだった。

 きっと、気付かなかっただけで昨夜から明るかったのだ。だから、眠らない街でいい。

 日曜日の早朝に歩くのは、年寄りばかりで、6月も半ばに差し掛かろうというのに皆が春先の装いをしている。朝の年寄りは年中厚着だ。

 遠くからトラックのエンジン音が聞こえて、姿を見せないまま音は去っていく

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【短編小説】マスオ

【短編小説】マスオ

 月曜日が、来る。
 成人式の記念品でもらってから6年間も働いてくれているデジタル目覚まし時計のライトを、私は叩いて点ける。窓の外に見える街の日曜日の夜よりもずっと暗い部屋に、たったひとつだけ灯る緑色の光。
 あと1時間13分4秒、3、2、1。
 あと1時間12分で、月曜日に曜日が変わる。
 そしたら、会社に行かなければならない。最寄りの駅まで自転車で向かって、満員電車に揉まれて乗り換えを2回して

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【掌編小説】残暑の意地

【掌編小説】残暑の意地

「快丸クラブの78番。金曜の夜中1時に決まって、だよ」
 モリタが下卑た笑いを時折混ぜながら語ったのは、1年B組を揺るがす大ゴシップだった。
 高校入学後、初めての夏休みも終盤に差し掛かっていた。出不精をコロナのせいにしながら自堕落に、そうめんをすすり、オンラインゲームをし、かき氷を食べ、オンラインゲームをし、時々家族で外食をして、帰ってすぐオンラインゲームをし、寝落ちするだけの夏が終わろうとして

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【掌編小説】遺りもの

【掌編小説】遺りもの

 祖母ミチコの通夜の賑わいが、生前の祖母の性格を表していた。
 小さな集落である。村の人間のほとんどが参列してくれたが、涙声よりもずっと笑い声の方が多く、夜分まで、祖母の横で村祭りのような通夜が続けられた。
 祖母は誰にでも、優しい、というよりかは甘かった。何事も自分の意見を通すことはなく、人に譲り、残ったもので生活を形成していた。
 その残りものを集めに集めて、末期までは薄利多売をそのまま形にし

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【掌編小説】コンビ、潜る

【掌編小説】コンビ、潜る

 この国での主な収入源は『発掘』だ。
 対象は高価な石や古代の遺跡等々。掘り当てれば 大きいが、外せば収入はゼロ。発掘の腕により貧富に激しく差が開く、そんな国だ。

 業者のやり方は、大きく二つに分けられている。
 ひとつは対象物の埋まっている場所を推測し、そのポイントに向かって正面にドリルの付いたマシーンに乗り発掘する方法。もうひとつは闇雲に地面を掘り漁る素人のやり方だ。

 俺のやり方はこの二

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【掌編小説】インク商法

【掌編小説】インク商法

 僕はよく人に、髭が濃い、と言われる。そのせいで中学の頃は『コソ泥』、高校では『雑木林』とあだ名を付けられ馬鹿にされた。
 でも、社会人になって、毎朝髭を剃るようになってから気が付いた。
 僕は髭が濃いんじゃなくて、髭が太く硬くしぶといんだ。つまり、並大抵の髭剃りじゃ根本まで剃り切れず、髭が残ってしまう。無理に剃ろうとすると、負けてしまい、流血。もっと早くこの事実に気付けばよかった。だって、髭がこ

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【掌編小説】のびるチーズの話

【掌編小説】のびるチーズの話

今日は家族で楽しいピザパーティー。
お父さんの食べたピザのチーズが、伸びる伸びる。
それを見て、お母さんと息子、大笑い。
息子と手を繋いで、伸びたチーズの下をくぐったりしたら、それはもう家が揺れるほどの笑いが起きた。
味をしめたお父さん、チーズを伸ばし続けて、そのまま朝を迎える。
伸びたチーズを口に咥えたお父さんが「ほはひょう(おはよう)」。
家族、またもや大笑い。
お父さん、チーズを咥えていたら

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【掌編小説】ワンタンブルース

【掌編小説】ワンタンブルース

 最後の晩餐は松仲飯店のワンタンにしようと決めたのは、俺が死ぬ決心を固める遥か前だった。

 20年前。その頃、大手小売店の青果部門で俺は朝から晩まで野菜とにらめっこしていた。若かったこともあり、キャベツや白菜が隙間なく詰まった段ボール箱を日に何十箱も運搬し、売り場に出せば大声で売り込みをするフィジカルな仕事を毎日こなしていた。
 年中ほぼ休みなく働いていた。シフト上で俺が休みでも、店は365日休

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【掌編小説】閉塞された公園で

【掌編小説】閉塞された公園で

 その公園に行くと、少年は色の落ち込み始めた空に小さな両手をかざして立っていた。
 公園は団地の棟に隙間なく囲まれていて、まるで外部の目から逃げ隠れているように見える。そのため、冬の陽が浅い頃には棟の影に沈み、寒い。少年の半そで、半ズボンの姿は今の気温の中では異様だった。
 俺は隅のかび臭いベンチに腰掛けて、缶のボトルコーヒーを開ける。遊具には目もくれず、すべり台の踊り場で手を頭上にかざし続ける少

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