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#小説
ワイとその不確かな避妊
街とその不確かな壁を読み進めて、序盤は全然感想書かなかったけど、途中から結構思うことが増えたので書いてます。ヘッダ画像をお借りしてます。
下記のような感じで感想を持った。うちに住んでいる要約お嬢が要約する:
なんかえのんみたいになってしまったが、彼女は分裂症なのだろう。
こうして見ると、世界の終わりとハードボイルド~~~と似ても似つかない部分を見るにつけ、感想者としてのぼくの中にようやく自我
みどさーという単語はみどさーの女の人しか使わない
引き続いて騎士団長殺しの下巻を再度読んでいて、やっぱな的なことがあった。ヘッダ画像をお借りしています。
これまで多分夥しい数の騎士団長殺しの感想を書きなぐって来たんだけど、やはりいつもどおりそのいずれもと関連しないものである。
前回はこのようなことでした:
時間を固定するっていうのは書き物も同じである。さらに特定の年齢層を固定化し、他と切り分けてしまう、分断してしまうアラウンドサーティという
恋する十二単とタンクトップ姿の夏の匂い
射手座のぼくらは果たしてルイ・アームストロングの加護を受けているのだろうか?騎士団長殺しを読みかえしていて色々なことに気づく。ヘッダ画像をお借りしています。
とうとうぼくは下巻に帰ってきた。上巻と下巻あり、よくわからん別れ方をしている。2巻とか上中下とか呼ぶのは嫌いなんだろうか?一部二部となっているのは、果たしていつかすました顔で続きを書いても違和感なくするためだろうか?それはそれで歓迎なのだが
一次創作/二次創作としての秋川まりえ②
騎士団長殺しの上巻で免色が主役に無理やり絵をかかそうとしたんだけど、不自然……といいますか気になる動きがあった。ヘッダ画像をお借りしています。これは表象下の免色が秋川まりえをダンボールに梱包し、連れ去ろうとしている絵……のイメージで借りました。
気になる動きとはいつもどおり主役に絵を書かせる行為を強要するところだけど、もちろん免色は強要などしない。なんかわからないけど書くか……という形にいつの間
一次創作/二次創作としての秋川まりえ
ぼくはなんか一生騎士団長殺しを読んでしまっている。飽きないからです。ヘッダ画像をお借りしています。
飽きない理由として単純に先々を忘れちまってんのかな、と。あと伏線を伏線だよ~~~~~と明示してくれて、伏線を取り戻すときにも明示してくれる時と、一切してくれない時がある。つまり一度読み流してしまったらそこで終わりだ。
2回目以降に読むと、一度目で確かに忘れ去ってしまったあたりでも読んでると似てる
スバルフォレスターの男と主人公の奥さんの同義体性について
昨日、騎士団長殺しの上巻にある一節について考えていました。すると、自動的に─────といいますか消去法的に……?スバルフォレスターの男がなぜ存在したのかが解った気がした。ヘッダ画像をお借りしています。
上巻にスバルフォレスターの女が出てきます。昨日はそれが佐倉双葉のイメージだと言い、好き放題描写しました。
流石にそれは乱暴だった……としても、身近なたとえにスバフォの女を当てはめたことで、なぜ本
共通した欠如とは、欠如が本来宿る媒体を無くしたまま統合できるのか?
騎士団長殺しの1巻、もしくは上巻と言うべきなんでしょうか、上巻の278ページには主人公が書いた絵を自分で見てるシーンがありますね。ヘッダ画像をお借りしています。
さらに一瞬別の場所に行ってた主人公は、座ってた椅子が同じ場所になかったことに気づきます。こと絵を眺める位置については神経質だかららしい。
つまりこの場面は本の表題でもある騎士団長がマジで登場して、読者をビビらせるシーンなんだけど、その
還(かえ)ろうメタファー
騎士団長殺しの下巻を読み終わったため書いています。ヘッダ画像をお借りしています。前回
これは別に意図して記念碑的にそうしたかったわけではなく、昨日は単にめちゃくちゃ気分が悪くて本を読むしかなかった。
ぼくは最初騎士団長殺しを買う前に、そのサブ題名をなんじゃらほいと思ったことがあった。
だってまず団長を殺すのに、中世以外の話をどう想像するだろう?そこへして変わりゆくイデアだの移ろうメタファーだ
携帯の「携帯性」とは何か?
騎士団長殺しを読んでると、折に触れて作者の考えの一端に触れる事がある気がします。ヘッダ画像をおかりしています。
携帯でキャメラ
例えばこういう一節があります(中身のコピーをダイレクトに書きたくはないので、表現は勝手にぼかすといいますかいじってあります)。
この意見は名もない主人公の考えに見えるけど、作者の考えであるようにも思える。それは逆接的(「しかし」的な意味で言ってるので誤字じゃないつも
秋川まりえのイメージがおかっぱ座敷わらしに固定されてしまった
ぼくは以前、騎士団長殺しの1巻……といいますか上巻を読んでいて、秋川まりえの造形について想像すると自分が知っている少女に当てはめざるを得なかったという話をしました。ヘッダ画像をお借りしています。
別に読む必要はないんですがそれについて書いたnoteはこれで、
最新の感想はこちらだった気がする。
でもその少女は非実在であり、「騎士団長殺しの下巻」を210ページまで詠み勧めたらいつのまにか上記の
騎士団長は殺されるべきだったし、
ぼくは現代だろうが過去だろうが芸術シーンにまるで興味が持てなくて、過ぎ去った日々の中にそれらをほぼ(能動的には)含めていなかったんだけど、この前書いた騎士団長殺しの感想の中ではメインテーマであるそれらを幸か不幸か排除して仕上げることができました。ヘッダ画像をお借りしています。
果たして普通の人は、騎士団長殺しって言われた時に何がテーマだと思うんだろう?ぼくの感想をそのまま伝えますと、西洋だと思う
免色の『秋川まりえが自分の娘かもしれない』について考える
ぼくはメインキャラクターたちよりも長く生きてない気がしますが、なんとなく免色の言っていることがわかる気がしたのでメモしています。ヘッダ画像をお借りしています。
それは顕れるイデア編の25話目あたりにある一言です。この話は結構話が動き始めて大事なので、一言つってもそのひとつひとつがつながっており、つながったその全容は重苦しい。
免色のいうことを主役は理解できていないように読者であるぼくには思える
物語:150日連続でnoteを更新したい人
※このnoteはフィクションといいますか想像です。
まずい。明日更新するためのnoteが無い。
正確には「明日(日付的には今日)更新するためのnoteの題材が何も決まってないし、当然ひと文字も書かれては居ない」。今は大体日付が変わったくらいの時間。つまり深夜だ。
今日の作業中に読んだニュースや話題なんかに注意深く気を払っていれば、自ずとnoteに書けそうなことは浮かんでくる。自然な帰結として