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物語:150日連続でnoteを更新したい人

※このnoteはフィクションといいますか想像です。

まずい。明日更新するためのnoteが無い。

正確には「明日(日付的には今日)更新するためのnoteの題材が何も決まってないし、当然ひと文字も書かれては居ない」。今は大体日付が変わったくらいの時間。つまり深夜だ。

今日の作業中に読んだニュースや話題なんかに注意深く気を払っていれば、自ずとnoteに書けそうなことは浮かんでくる。自然な帰結として数千字のnoteが完成することだろう。

僕には何も思い浮かばなかった。いつもどおり注意力散漫に日々を過ごしていた。ただビジネス的なnoteには目を通し、それなりに有意義な時間を過ごせたつもりだ。

そのnoteの感想を書いて自分の更新内容とするやり方もあっただろう。実際にそういうnoteはいくつも書いている。

別にnoteを更新するだけなら、字数に拘る必要なんて無い。その日食べた食べ物について言及すれば良い。人によって2つ3つの段落ができ、500字ぐらいのnoteなんてすぐ出来上がるだろう。僕だって今書いている更新内容はそんなものでいいと思っている。でもそうしては居ない。おそらく僕は自分が食べた内容を自分のアカウントに記録して、ページ内に置いておくことにあまり意味が見いだせて居ないのだろう。

もとより日記とかエッセイみたいなカテゴリがある以上「誰かのためになる役立つnote」を書かなければならないというような使命なんて僕らにはないのだ。

含蓄のあるnoteなんていうものはビジネスの第一線で職務を全うしている、職業=人生=趣味とも呼べそうな層が、その人生を潤わすためのひと手間に自信を持って書いてくれている。僕らはそのおこぼれを預かってそれぞれの人生を潤わせば良いのだ。平和で満ち足りた生活を送っている人々が、彼らの人生それぞれで得たノウハウを書き残しているだけの話であり、むしろそれを金銭を得る手段のために利用すれば良いものを、そうしたことに使わないで僕らの眼前に披露してくれている。

そうして得たアイデアや学びを僕らは自分の生活にアウトプットして行くことだろう。非常に単純な例を出すならば、さっき僕が述べたような「含蓄の深いnotesを読んで、その感想を書く」というものが挙げられる。

「先人たちの貴重なアイデアと相対した。自分はこう理解した」と紹介をしっかりと交えながら書き記す。大学教育の一般教養科目における中間考査程度であれば、そういった課題が出題されることすら起こり得るのではないだろうか。つまりそれほどその行為は有意であるということ。

思えば僕らは幼少の折から、秋が来るごとに夥しい数の読書感想文を書かされてきた。本を読む習慣などあるはずもない僕らは、平均的な図書室であれば恐らく蔵書され得ている教育系漫画を立派な書籍であると言い張り、その都度読書感想文課題の題材として利用しお茶を濁してきた。

その「(無理矢理にでも)読書感想文を書く」という経験がnotesを更新する行為に役立っているとするのであれば、文部科学省による学習指導要領は多かれ少なかれ間違った成り立ちはしていなかったということらしい。

僕はアニメやドラマも見ていなければ週刊誌も購読しておらず、情報を能動的に取り入れようとはしていない。notesが更新できないことも必然と言えるかも知れない。アニメやドラマのような作り物の感想は純度の高い情報だ。「オリジナリティのある制作物から人それぞれの感想が抱ける」という結実はその思いを抱いた個々人の生命の息吹と同じように等価値であるべきだ。

知らない人、つまり「第三者の感想を見聞する」ということは「自分以外の視点が得られる」という意味があり、自分が抱いた感想と比較、照らし合わせることで自分が一度抱いた感想を客観的に浮き彫りにすることが出来るだろう。つまり僕らは他者の抱いた感想について寛容であることこそが自分にとって利する行為なのだろう。

どういう結論になるか書き始めたときには検討もつかなかったが、どうやらそのような結論を得ることが出来た。今日も僕はnotesを更新することが出来るだろう。

前日(例:3/1 24:00)までに当日(例:3/2 10:00辺り)更新するnotesのストックを書いておくというルーチンワークが定まれば、最悪その日(3/2)の午後あたりに遊びや緊急の用事が入ったところで、また今のような恐ろしい時刻に更新する内容を書き始めれば次の日用の更新に充てる時間を導き出すこともできるだろう。

大切なのはnotesの更新を義務にしないことだ。義務にすることでまるで業務のような使命感が生まれてしまう。しかも業務と違っていやいや更新しても対価など無い。自分の時間と体力を無意味に浪費するだけになってしまいかねないだろう。結果として潤うのはDAUを稼げた当該サイトだけだ。他人の感想を土足で踏むべきではなさそうだという結論を先程我々は手にすることが出来たが、無償で他人に尽くすことはそれとは全く違うことだろう。

やがて僕は安堵してnoteを公開するためのボタンを押すだろう。「ここまで読んでくれてありがとうございました」の言葉を添えて。

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