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騎士団長は殺されるべきだったし、

ぼくは現代だろうが過去だろうが芸術シーンにまるで興味が持てなくて、過ぎ去った日々の中にそれらをほぼ(能動的には)含めていなかったんだけど、この前書いた騎士団長殺しの感想の中ではメインテーマであるそれらを幸か不幸か排除して仕上げることができました。ヘッダ画像をお借りしています。

果たして普通の人は、騎士団長殺しって言われた時に何がテーマだと思うんだろう?ぼくの感想をそのまま伝えますと、西洋だと思う。

騎士って日本にはいない。海外でしかも欧州、時間は中世だろう。でも実際にこの本を読めばわかりますが、騎士団長とは見た目西洋人ではないし、時期こそ中世(飛鳥時代?)かも知れないけどそんなことは関係ないんじゃないかと思えるほど異なる形で書かれている。

それは騎士団長がぶっ殺されているシーンが絵であるため。しかも日本画と表現されていて、舞台も日本であり(日本画と表現される媒体に外人の絵が書かれたらいけなかったりするんだろうか?)書かれている人もおおよそ日本人であるから、騎士団長というよりは武将殺しと表現すべきなんじゃないかとぼくらは思うことになるだろう。

そんな当たり前のように「ちょんまげ(耳横ふさふさ)野郎がぶっ殺されている絵」を見て「ああ、騎士団長が殺されているな」と思える人がいたらそっちのほうが恐ろしい。

なぜ日本画に騎士の名が冠されているかは果たして中盤に明かされる。雨田具彦の大切な人がドイツのくそみたいな特高警察に殺された。本当はそいつらの長である騎士団長(警察隊長?)をこっちがぶっ殺す予定だった。その本懐は遂げられねばならない。

だから絵になった。つまり騎士団長殺しという名前の絵は復讐である(ぼくはまだ上巻しか読んでいないため、下巻でもっと何かしらちゃんとした理由が明かされるかもしれないし、それならそれのほうが面白いと思う)。

復讐は復讐なんだけど(←このような間抜けで簡単な言い草で表現されるべき復讐ではない。なぜなら生涯の伴侶となるかもしれなかった人が殺されたのだから)、当時は日独が戦時的結びつきを強くしており、たとえ雨田具彦たったひとりの怪情報によってですら、その信憑性が揺らいでしまうべきではないとされた。だから雨田具彦はどストレートな表現でこの悲痛な体験を世界に訴えかけることはできなかった。

訴えかけたらどうなっていたんだろう?雨田具彦の親の権力を持ってしても日本の特高警察にやられてしまっていたんだろうか。

さらには雨田具彦がぶっ殺されていたらどうなっていたんだろう?そして本懐が遂げられていたらどうだったんだろう。その場合は、この物語自体が成立しないことになり、可能性に思いを馳せることが面白い気がする。

雨田具彦は絵の中で風刺的に当時の仲間たちを想い本懐を遂げさせた。でも周りに書かれている人たちははたして雨田具彦のオーストリア時代の同胞なんだろうか?

ともあれぼくがこれに納得いったのは本文25章あたりの説明を読んだ後に、芸術性の高い番組をたまたま見たから。

過去にこの番組について感想を書いたこともあったけど別に毎回絶対に見てるわけではなく、面白そうなテーマだったとしても普通に見逃すことがあるぐらいの興味度を持っています。だから本当に偶然でしかない。

言うなれば写実主義ではない日本画(浮世絵のみのこと?)は、写実主義一辺倒だった西洋画に衝撃を与えたらしかった。北斎とかもそうらしい。

海外の人々は日本画に3D性がないことに落胆しなかったんだろうか?衝撃という単語はオブラートではないのだろうか。

だからぼくは両手を前に突き出して斜め前だけを見てる石川五右衛門の浮世絵とか見ても全く意味がわからなかったんだけど、当時の絵が風刺画であり現代で言うところも漫画の機能を果たしていたことを知るにつけ、おぼろげに語られた雨田具彦がやりたかったことが理解できるようになった。

雨田具彦が大切にしていたオーストリアの恋人はドイツのろくでもない人間たちに殺された。だったら俺は「事実上自分のルーツとなっている日本」が遺した日本画で復讐してやろう、とした。おおよそ近代オーストリアに赴任していたナチスが想像できないような、飛鳥時代の日本人に仕方なくモデルになってもらった。

その衝動としては小学生が家で書いた物語や漫画の中でいじめっ子を刺し殺したりするのと変わらないぐらい原始的な初期衝動だったのかもしれない。

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