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一次創作/二次創作としての秋川まりえ

ぼくはなんか一生騎士団長殺しを読んでしまっている。飽きないからです。ヘッダ画像をお借りしています。

飽きない理由として単純に先々を忘れちまってんのかな、と。あと伏線を伏線だよ~~~~~と明示してくれて、伏線を取り戻すときにも明示してくれる時と、一切してくれない時がある。つまり一度読み流してしまったらそこで終わりだ。

2回目以降に読むと、一度目で確かに忘れ去ってしまったあたりでも読んでると似てることがそりゃ同じ話だから出てくるから、当たり前だけど一回目より思い出しながら読める。

その中で秋川まりえの絵を書くに至る段落が1巻目、上巻というべきですかね―――にあるんですが、ここで主役は一回断る。依頼相手は騎士団長殺しのメイン人(びと)である免色ですね。

断る理由は免色が金に物を言わせて「主役がやるべきタスク」つまりtoDoリストみたいなものを決めてしまうから。でも金があるならそりゃそうだよねと思えてしまうことでしょう。

主役だけでは絵画教室のオーナーにアポイント得てその中の生徒ひとりに絵のモデルをアサインするなんて無理だから、あまりこういうクソ寒いことは言いたくないけど、免色が持っているコネクションや金は主人公が持たざる舞台装置の役割も持っている。狂言回しでもいいっすかね。実際狂ったこと言ってるようにこの時点では主役や読者に見えるかもしれない(ぼくは免色がいなかったらこの話からはいくつかの魅力がどさっと欠けてしまうことと思う)。

免色が狂っているか。狂っているのかもしれません。ぼくはそこまで狂っていないと思う。自分の子供を勝手に生んだ過去の恋人(女が男をレイプしたような過程で生まれたんだから)がおり、自分はその後いろんな意味で自己実現達成したし、扶養の義務もなぜかないので自分の子かもしれない人を遠くから望遠鏡でいつでも眺められる家をわざわざ買って住む。その家には当該過去の恋人のお洋服が一切飾ってある。

なんといいますかこれを「狂っている」というのはごく簡単で、物語を金品的価値として「消費」しようとするのであれば絵に書いたような狂っているねと言うべき対象であるような気がする。これをもし自分事にしたのであれば、単純に「狂ってんな」とか言えるだろうか。盗撮は犯罪だけど盗視は……のぞき?仮に何らかの刑法に触れてたとして、そこはそこで「いや、物語だしw」で弁護できようもの。狂ってんじゃんぽいじゃんそれ憧れちゃうじゃんと。

ぼくが免色の反応として不思議だなと思ったのは、作者……絵の作者である主人公の動機といいますか絵を書くための初期衝動について少し勘違いしてる節があることについてでした。

つまり前置きが長くなってしまったが本題でもあるこの続きは明日に……

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