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「愛される幸福」と「幻の告白」

 「わたしは、おかあさんのこと、世間知らずのお嬢さんだなって思ってるの。おとうさんに愛されてて、おしあわせなことってさ。わたしは、おかあさんのようにはならないつもり。」

「だいたい、おかあさんってさ、自分から、ひとを愛したことってあるの?」

と、長女は、少し切れ気味に、わたしに話しかけて来た。

「自分から、ひとを愛したこと?」

「そうだよ。愛の基本でしょ?自分から、ひとを愛するってこと。愛されているから愛するんじゃなくて、好きで好きで、自分から愛してしまうんだよ、誰かを。」

 二〇〇三年 八月。

 引きこもりを解消して、好きなバンドを追いかけだした、まだ十五歳になったばかりの長女に、そう質問されたわたしは、そのとき、長女が、いったい、わたしの、何に、苛ついているのか、全く、解ってはいなかった。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 一九七六年 五月。

 十九歳で「演劇」を止めたわたしは、大学二年生から、「国立」に在る大学の、「社会学系のサークル」に入って、「大学院進学」を視野に入れた勉強を始めていた。

 やがて、そのサークルで知り合った「先輩」と交際しだしたわたしは、その約一年後に、手痛い「失恋」を、経験することになる。

 わたしは、まだ二十歳になりたてだった。そして、その「先輩」は、わたしよりもかなり年上のひとだった。

 もっと、信頼の出来るひとだと勝手に思っていたわたしは、その「裏切り」に耐えられなかった。

 そもそも、相手から乞われての交際だったはずなのに、結果的には、かなり、相手の身勝手な理由によって、一方的に「振られた」ので、経過はどうあれ、その「失恋」で、わたしは、大変な「男性不信」に、落ち入ってしまったのだ。

 落ち込みすぎたわたしは、

 ーーもう、わたしは、誰も、愛せないだろう。誰も、信じることも、出来ないだろう。

と、思ってしまっていた。

 しばらくは、精神的に立ち直れず、体調までも崩してしまっていたのだけれど、そんなわたしの様子を見て、さすがに、少しは悪かったと思ったのか、その「先輩」は、わたしに、「気晴らし」をしてくるように、と、ある場所を勧めてきた。

 それは、八王子に、かつてあった「大学セミナーハウス」である。

 そこでは、東京にある、全ての大学の大学生を対象にして、専門分野の垣根を超えた、さまざまな「学際的なセミナー」が、多彩に、企画されていた。

 二泊三日の「合宿形式」で、いろいろな大学から招聘された、さまざまな分野の教授の「講義」を聴いたり、学生同士が「討論会」をしたり、「余興」が開かれたり、などしていたのだった。

 あまり気が進まなかったけれど、下宿で寝込んでいても、気が晴れないことは、わかっているので、わたしは、その「合宿」に、参加してみることにした。

 そこで、出逢った、年が一歳しか離れていない大学生が、やがて夫となる「山口さん」だった。

    ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 方向音痴なわたしが、やっとのことで、その場所に辿り着いたときには、もう、参加すべき講義は、始まっていた。

 二泊三日分の荷物を机の下に置いて、わたしは、さっそく、英語の辞書を取り出した。

 成り行きで来ているだけなので、全然、講義に興味が湧かない。読みかけの英語の論文を、辞書を片手に読み始めると、横から話し声が聞こえて来た。

 わたしも全然真面目な態度ではなかったけれど、講義中におしゃべりをするのは、さすがにまずいだろう、と思って、話し声がするほうに、わたしは顔を向けた。

 すると、男女の学生が、談笑しているではないか。

 ーー信じられない。講義中にナンパするとか。。

 それが、「山口さん」の、第一印象だった。

 かなり、悪い。

 そのとき、わたしたちは、一瞬、目が合っただけだった。

 「山口さん」のほうは、講義とは全然関係の無い英語の論文を、辞書を片手に読んでいるわたしを、「生意気そうな女の子だ。」と思ったそうだ。

 こちらの第一印象も、かなり、悪い。

 「山口さん」は、わたしとは専門が違っているらしく、その後は、あまり講義では会わなかった。

 次に、出くわしたのは、三日目のお別れパーティだった。

 なんだかんだ言って、体の良い「合コン」である。

 そのころのわたしは、「謎のモテ期」で、わたしとお話がしたい男子が、四、五人、わたしのまわりを囲んで、順番に、わたしに、質問を浴びせていた。

 すると、

「あ、ちょっと、いいですか? 椅子入れますね。」

とか、言いながら、「山口さん」が割り込んで来たのだ。

 ーーうわ、図々しいひとだわ。

と、わたしは、思った。

 何を話したかなんて、もう、全然憶えていないけれど、それでも、なぜだか、わたしたちは話が合った。

 話題がどうにも途切れず、全然、終われないのだった。

 第一印象の「ナンパ」は「ナンパ」ではなくて、わたしの勘違いだったし、話してみたら、意外と真面目で、全然擦れたところがない、田舎っぽい、全くモテそうにない男子だったのが、意外で、可笑しかった。

 そのまま、わたしたちは、話し続けたために、まわりにいた男子たちは、しだいに諦めて、一人減り、二人減りして行った。そして、いつの間にか、誰も、居なくなってしまった。

 それでも、話は尽きず、初めて会ったのに、まるで「親友のように」、時間も忘れて、二人だけで、ひたすら話し続けた。

 そのうち、窓から、やたらと、日が差して来て、その眩しさから、いつの間にか、夜が明けていることに、わたしたちは、やっと、気がついたのだ。

 まわりを見渡したら、

 「え? 誰も居ない?」

 パーティ会場には、わたしたち二人以外、もう、誰も、残って居なかった。。

 それが、わたしたちの「出逢い」だった。

 一九七七年 五月のことだ。

 わたしは二十歳、四月生まれの「山口さん」は、二十二歳になったばかりだった。

     ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 わたしたちの交際は、それから一週間後、「山口さん」の大学が在った「御茶ノ水」で、始まることになる。

 でも、わたしの「男性不信」と「人間不信」は、一向に、治る気配は無くて、そのことが、二人の前に立ちはだかり、「愛の成就」を、いろいろに、邪魔して来たのだった。

 十八歳で女子高を卒業して、東北の地方都市から上京した後、わたしに交際を申し込んできた男性は、それまでに、数人は、いた。でも、それらの交際は、わたしに、失望しか、与えて来なかった。

 七十年代の男性たちは、今の男性たちとは、あまりにも違う。

 女性を、「未来の家事従事者」か「性欲のはけ口」としか見ていないような男性が、あまりにも多かった。。

 女性に対して、「どんなひとなのか」という視点が皆無なのだ。

「得意料理は、なんですか?」

とか、

「どこに旅行に行きたいですか?」

「どんな車に乗りたいですか?」

「ケーキは何が好きですか?」

とか、聞いてくるだけで、

「普段、どんな本を読んでますか?」

 なんて、聞くような男性は、まず、居ない。

 ありきたりな、バカバカしい会話しか、男女間には、無かったのだ。

 わたしは、男と女である前に、「ひと」として、「理解し合いたい」と望んでいたのに、そんな視点を持っている男性には、ほんとうに、出逢えなかった。

 そもそも男性に「失望」しているうえに、「裏切り」に遭ったので、わたしの「男性不信」は、もう、沸点に達していた。

 男性の「言葉」は、もう、「きれいごと」にしか聞こえないわたしには、「愛」の「言葉」さえ、嘘くさくしか響かないし、すでに「邪魔くさい」のだった。

 「山口さん」は、素朴だし、擦れていないから、まっすぐに、「愛」を表わして来るけれど、わたしには、もう、それを、「受け取ること」が、出来なかった。

 「嘘くさい」とか、「どうせ、口から出任せでしょ。」とか、思ってしまう。わたしは、すでに、傷つき過ぎていて、とことん、こじれていた。

 それでも、わたしは、「謎のモテ期」なので、男性からのアプローチが、後を絶たない。

 もともとが、断れない性格なうえに、まだ、七十年代は、「女子たるもの、殿方に選んで戴けるように振る舞いなさい。」などという教育が、まことしやかになされていたような時代だったので、誘われると、「失礼のないように」とりあえず、会ってしまうのだった。

 でも、どんなときも、「山口さん」は、わたしを、見捨てることがないので、わたしも、しだいに、

 ーーもしかしたら、この人は、ほんとうに、良い人なのかな?

と、感じるようになって行った。

 「山口さん」は、わたしを「ひと」として、「理解しよう」としてくれた初めての男性だった。ようやくそういうひとと出逢えたのに、わたしは、もう、そのことさえ、簡単には「信じること」が出来ないように、なってしまっていたのだった。

 「どこまで、赦せて、どこまで愛せるのか、と、毎日測られているような感じがしていた。」

と、後日、二人の関係が、安定してから、「山口さん」は、わたしに、そう話したことがあった。

 そう、わたしは、「山口さん」の「愛」を、測っていたのだ。もう、これ以上、決して、傷付きたくはなかったから。。

 半年くらい、日々、すったもんだ、ぎくしゃく、し続けた。

 「山口さん」は、わたしに、「愛」のこもったアピールをし続け、わたしは、「どうせ嘘くさい」と、避け続けた。

 けれども、やがて、「山口さん」の「本物」の「誠意」に、わたしは、ついに、根負けした。

 そうして、泣いて、自分の不実を、詫びたのだった。

 もう一度、「山口さん」だけは、「信じてみよう」と、思った。

 だから、わたしたちは、結ばれた。

 たしかに、長女の言うように、わたしは、「愛されたから、愛した」のだった。

 それは、「自分を可愛がること」であって、ただ、「愛を受け取れたこと」でしか、無かったのかも、しれなかった。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 二〇〇四年 十月

 お誕生日が来て、わたしは四十八歳になっていた。

 パートの仕事から帰宅して、シャワーを浴び、ライブを観に行くために、身支度をしていると、

「おかあさんは、やっと、自分から愛せるひとを、見つけたんだね。」

と、長女が、話しかけて来た。

「え?」

「おかあさんは、頼まれてもいないのに、いっつも、何度でも、自分から会いに行くでしょ?それが、自分から愛するって、いうことなんだよ。」

「だからね、おかあさん、誰かのことを、自分から愛することが出来たら、それは、おかあさんのはじまり、なんだ。」

 長女は、わけ知り顔で、そう、言ってのけた。

「おとうさんと結婚しないで、待っていれば、もっと、ちゃんと会えたのにね。」

「ちょっと待って。わたしの子どもくらいの年のひとなのに。変なこと、言わないでよ。」

 長女は、それでも、引き下がらなかった。

「年なんて、関係無いよ。おかあさんは若く見えるし、結婚したり、わたしたちを生んだりしていなかったら、もっともっと若く見えたはずだもの。きっと、お似合いだったと、わたしは思うよ。残念だったね。」

「おかあさんは、なんでも、進み過ぎてるからさ。自分の時代のひととは合わないんだよ。」

「でも、ま、おとうさんと結婚しなかったら、わたしは居ないけどね。」

長女は、私を見ながらそう言って、いたずらっぽく笑った。

わたしは、あっけにとられ、絶句した。

それでも、長女のその指摘は、わたしを混乱させた。

 ーーたしかに、わたしは、頼まれもしないのに、いつも会いに行っている。。こんなことは、今までの人生には、なかったことかもしれない。

「自分から愛すること」と「わたしのはじまり」

 二つの言葉が、頭のなかをぐるぐると廻った。

「おかあさんはね、ひとと結婚するんじゃなくて、芸術と結婚するべきだったんだよ。一緒に居るひとは、パートナーで良かったんだ。」

「それに、子どもなんか、生まなくて良かったのよ。芸術が、おかあさんの子どもなんだから。もう、今さら、遅いけどね。生き急いだね、おかあさんは。わたしは、そうならないようにするよ。」

 そう言い残して、長女は、出かけて行った。

 わたしは、これまで、「愛すること」を、人生のなかで、「一番大切なもの」と思って、「人生」の中心に置いて、日々を紡いで来たつもりだった。

 でも、わたしは、「愛されたから愛した」人生を紡いで来たのであって、「おとうさんに愛されておしあわせな、世間知らずのお嬢さん」でしかない、と、長女には、映っていたのだ。

 長女が、わたしに対して、めちゃくちゃなことを言って、挑発して来るときは、いつだって、何かに気づいて欲しいときだから、これは、ちゃんと考えないといけない。。

 わたしは、そう、理解した。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 「山口さん」が差し出す「誠実な愛」にやっと気付けて、その「愛」を受け入れることが出来たわたしは、再び、「愛すること」を、自分に、取り戻すことが、出来たように、思った。

 それに、こんなにも、わたしのことを、理解しようとしてくれて、気遣ってくれるひとには、もう、この先、出逢えないだろう、と、思ったのだ。

 女性に対して、ちゃんと、「ひと」として向き合ってくれるような男性が、ほんとうにいなかった時代に、そんなひとに出会えたことが、わたしは、純粋に、嬉しかった。

 このひとと、生きてゆければ、わたしは、きっと、しあわせになれる、と、確信出来たから、わたしは、もう、迷わないことにしたのだ。

 だから、わたしは、それまで、勉強ばかりしていた暮しかたをあらためて、「生活」を「充実させること」に、シフトチェンジした。

 したこともない「料理」も、「料理本」を見ながら、基礎から学んで、出来るようにしたし、家事全般も、「愛されること」に、応えようと、頑張って、出来るようにしていった。

 わたしたちの「同棲時代」は、六年間も続いた。学生時代は終わり、わたしは、大学院への進学は断念して、「公務員」になった。

 それは、まず、わたしの父から、

  「女の子なんだから、そんなに勉強しないで、嫁に行ってくれ。大学院にまで行かせるわけにはいかない。」

と、言われてしまったことが大きかった。

  それに、「山口さん」も、

 「ぼくが、一生、きみを守るから、学者なんかにならなくていい。」

と、言ったのだ。

  わたしは、結局、「演劇」に次いで「学問」も、捨てた。

 それでも、「愛されること」は、わたしに「幸福」を、もたらした。「安心」が、わたしのこころを満たしたのだ。

 「男性不信」も「人間不信」も、「愛されること」によって、癒やされ、やがて、あまり目立たぬほどの「傷」になり、小さな「かさぶた」になって行った。

 母の反対もあって、「結婚」までは長い道のりだったけれど、それでも、わたしの日々は、「幸福」だった。

 わたしたちは、仲良く楽しげに暮らした。どんな小さなことも、お互いが納得出来るまで話し合い、なおざりにはしなかった。

 喧嘩もしたけれど、喧嘩をするから、お互いに言いたい放題で、不満が、後々まで残ることは、決して、無かったのだ。

 それでも、ときおり、自分が捨てて来た「世界」を、遠い目で、思い出すことは、あった。

 自分で選んだ「平凡な生活」だったけれど、ふと、考えてしまう。

 もしも「女優」になっていたら。。

 もしも「学者」になっていたら。。

 ーーでも、いいんだ。今のほうが、絶対に、「しあわせ」なんだ。これで、正解だったはずなんだ。

 思い出すたびに、そう、自分に、言い聞かせた。こころの奥底のあたりで、時々ドクンと動く「衝動」に、わたしは、「絶対に」気づかないふりをし続けた。

 やがて、子どもが生まれ、考える時間もない暮らしは、全てを、凌駕して行ったのだ。

   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 「おかあさんはさ、有り余るほどの才能があったはずだと思うんだよね。なのに、なんで、全部おとうさんに捧げちゃったの?ほんとうに、それで、良かったの?それで、自分は、しあわせだと思っているわけ?」

 出掛けに、キレ気味の長女は、また、わたしを挑発してきた。

 その言葉を、思い出しているうちに、「追っかけているひと」の、「弾き語り」は、始まっていた。

「自分から愛すること」

「おかあさんのはじまり」

 長女が突きつけて来た、この二つの言葉を思い出しながら、

 目の前で、歌っているひとを、わたしは、見ていた。

 ーーこのひとは、自分のこころを表現しているにすぎないのだろうけれど。。

 ーーなぜ、このひとの声は、こんなにも、わたしのこころを、えぐって来るのだろう。。  

 ーー自分の過去に対して、同じようなおもいを持って、似たようなかたちで表現しているから、なのかもしれない。。

 ぼんやりと、そんなことを思いながら、ただ、そのひとを、見つめていた。

 ーーたしかに、長女が言うように、わたしは、あと二十歳若かったら、このひとに、自分から、「告白」していたかもしれない。。

 こころを魅了して止まないその「うたごえ」を聴きながら、わたしは、そのとき、素直に、そう、思った。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ーー出口はどこ?

 わたしは、焦っていた。

 ーーあそこ、かも、しれない。

 遠い先に、オレンジ色に小さく光る灯りが見える。

 わたしは、手探りをしながら、それでも小走りに、その灯りのほうに、向かって行った。

 ーー出られた。

 ほっとして、目が覚めると、横に、夫が寝ていた。寝息が聞こえる。

 もう、安心だ、と思えて、わたしは、また、眠りに就こうとした。。

 ふと、そのとき、わたしは、気がついたのだ。

 ーー夫は、「出口」に居たひとだったのかもしれない。と。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 人生の分かれ道に遭遇すると、ひとは、たいてい迷ってしまう。

 「目的」も叶えたいし、「しあわせ」だって掴みたい。だから、どうしても、焦る。

 迷い道で、苦しんでいるときに、出られそうな道すじを見つけたら、一刻も早く、そこから出てしまいたくなるのだ。

 でも、ほんとうに、行ってしまって良いところなのか、よくよく吟味しないと、間違える。。

 ほんとうに、探すべきところは、「出口」ではなく、「入口」だからだ。

 「入口」は、ほんとうの「自分らしさ」を、何ひとつ失くすことなく、「そのままの自分」で、自然に、すんなりと、入ってゆける道すじだ。

 自分を変えないと入ってゆけない道すじは、実は、「出口」なのだ。

 ほんとうの「入口」は、その人にとって、たったひとつしか、用意されていないのかもしれない。

 だから、なかなか見つからない。見つけるのには、きっと、時間がかかるのだ。

 「どうして、待てなかったの? 生き急いだね、おかあさん。」

 長女の声が、わたしのこころのなかで、何度も、響いた。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 わたしは、どこかで間違ってしまったのか。。

 「女優」になったかもしれなかったわたしも、「学者」になったかもしれなかったわたしも、その可能性を試してみることさえ放棄して、「愛されること」の「幸福」を、安易に、選んでしまったと、長女は、わたしを、非難しているのだ。

 それでも、と、思う。

 わたしは、「愛された」から、それに応えて「愛した」としても、夫との間には、揺るぎない「愛」が、ちゃんと、存在している。

 わたしたちは、これまで、どんな難題が降りかかっても、いつも、手を取り合って、乗り越えて来たし、人生をかけて、「愛」を「育てて」来たつもりだ。だから、そこに、「嘘」は、ひとつだって、無い。

 あのとき、たとえ、そこが、わたしにとっての「出口」でしかなかったとしても、そこに夫が、居てくれたから、わたしは、「人として」の「こころ」を、取り戻すことだって、出来たのだ。

 わたしは、夫に、感謝しているし、自分のこれまでの人生を、決して「後悔」しては、いない。

 わたしは、強く、そう、思っているのだ。

    ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 とてもとても白い景色のなか、遠くに「誰か」が立っているのが、見える。

 煙っているのか、それとも、霧の中なのか。。

 ーーまるで幻のようだ。

 思わず、わたしは、そう、呟いた。

 導かれるように、歩いてゆくと、そのひとは、大きな「白い門」の横に立っているのだった。

 でも、そのひとは、わたしとは、反対のほうに顔を向けて、わたしには「知らん顔」をしている。

 ーーあ。

 疲れ切って、ソファーに、崩れていたわたしは、まるで「白日夢」のような「幻」を観ていた。

 「幻」のようなそのひとは、わたしが、「自分から好きになって、追いかけていたひと」だった。。

    ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 「おかあさんはね、ひとと結婚するんじゃなくて、芸術と結婚するべきだったんだよ。一緒に居るひとは、パートナーで良かったんだ。」

「それに、子どもなんか、生まなくて良かったのよ。芸術が、おかあさんの子どもなんだから。もう、今さら、遅いけどね。生き急いだね、おかあさんは。わたしは、そうならないようにするよ。」

 長女の放った言葉が、わたしに刺さって来た。

 ーーそうだ。あのひとを、自分から好きになることで、わたしは、もう一度、「自分から愛していたもの」を、思い出すことが出来たのだ。

 「自分から好きになって追いかけたひと」は、わたしを魅了して止まず、もし、若かったら、自分から「告白」してしまったかもしれないほどに、わたしを「虜」にしてしまったのだけれど、それさえも、おそらくは、気付きのために、自分から創り出した、象徴的な「幻」だったような、そんな気さえ、するのだった。。

 「芸術との結婚」

 そう、芸術が象徴する「観念の世界」こそが、実は、わたしが、ほんとうに「愛するもの」だった。それは、わたしが決して「飽きることがないもの」なのだ。

 たしかに、長女の指摘して来たように、わたしは、「ひと」よりも、「観念の世界」のほうを、より、「愛して」いるのだった。

    ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ここ最近の、ある日のこと。

 一生懸命に、文章を紡ぎ続けるわたしを見ながら、夫が、言った。

 「最近のきみは、生き生きしている。きみは、変わったね。」

 「え?」

 わたしは、携帯に書く手を止めて、夫を見た。

 「変わった? どう変わったの?」

 「きみは、自由になったんだよ。」

 そう言って、夫は笑った。

  ーー自由になった。。

 その言葉を聴いた瞬間に、わたしは、ここ二十年ものあいだ、ずうっと抱き続けていた「全ての疑問」が、氷解したことを感じた。。

 ーーそうだ。わたしは今、ちゃんと、わたしらしく生きることが出来ているのだ。

 やっと、わたしは、自覚した。

 わたしが入ったのは、間違いなく、たったひとつの「入口」だったのだ、と。

 わたしは、ただ、自分で、自分を縛って、ずうっと「自分らしさ」を失くしていただけ、だったのだ。

 それに、わたしは、「愛されたから愛した」のでも、無かった。

 わたしたちは、初めて出逢って語り合った夜に、「親友のように」語り明かしたあの夜に、たぶん、同時に「恋」に落ちたのだ。

 そうして、もう、あの夜のうちに、二人で、一緒に、「入口」に飛び込んでしまったのだ。

 わたしが、あまりにもこじれていたために、時間がかかり、分かりにくくなってしまっていただけ、だった。

 だから、「入口」を、「出口」と勘違いしていたのは、きっと、わたしだけ、なのだ。

 夫とは、いつだって、対等な関わり合いかたを、築いて来た。

 そして、わたしたちは、今だって、ちゃんと、お互いに、思い合っている。

 これからも、わたしたちは、絶対に、大丈夫なんだ、と、わたしは、思った。

    ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 それでも、わたしが「文章」を綴るとき、「白日夢」のなかの「白い門」の横に、「幻のひと」は、いつだって、所在なげに、立っている。

 そのひとは、きっと、わたしの「こころ」が創り出した「幻」に過ぎないのだろうけれど、まるで、わたしの「観念の世界」の「衝動の全て」を「請け負っている」かのように、わたしが文章を綴るその世界で、ときおり、ギターを爪弾きながら、わたしには知らん顔をして、当たり前のように、「自分のうた」を歌っている。

 「幻のひと」の、その「うたごえ」を聴いてしまうと、わたしは、やがて、「蛍」になって、「白い門」のまわりを、くるくると、飛び回りはじめる。

 そうして、こころのなかに、導かれるようにして表れてくる「言葉たち」を、「自由」に「掬い上げて」、紡いでゆくのだ。

 「幻の告白」は、永遠に「まぼろし」のまま、胸の奥底に「秘めたまま」で。。


 






 




 




 

 










































































































































































































































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