マガジンのカバー画像

雑記

19
雑多な記事のまとめ。
運営しているクリエイター

記事一覧

学校公演の意味とは(すべての公演に行く人へ)

学校公演の意味とは(すべての公演に行く人へ)

私はバレエの公演をよく見に行く。

最近よく見聞きするのが、学校公演。
中高生あたりを相手に、カンパニーが学校へ赴いたり、学校側が生徒を引き連れて劇場にやって来たりする。
後者はいわゆるスクールマチネというやつで、その回のチケットは一般発売がなかったり、あっても僅少で購入サイトに注意書きがあることが多い。

私も中学生の頃に、通っていた学校の芸術鑑賞プログラムでバレエやお芝居、人形浄瑠璃などの公演

もっとみる
気が向いたので書いてみる

気が向いたので書いてみる

この前、と言っても結構前、自転車でスーパーに行った。
店の駐輪場に自転車を停めて買い物をし、帰ろうと駐輪場に戻ると、なんと、カゴにゴミが捨てられていた。

しんじらんない。。。

見たくもなかったが、あれはおそらくアイスのパッケージだったと思う。
でもそんなことはどうでもいい。

他人の所有物、それも違法駐輪でもなく営業時間中のスーパーの駐輪場に停めた、買い物客の自転車である。
ありえない。
まあ

もっとみる
できればやりたくないことに対する心理的ハードルの高さについて

できればやりたくないことに対する心理的ハードルの高さについて

大抵のことは4つに分けられる。と思う。

やらなくてもよいが、やりたいこと。
やらなくてはならない、やりたいこと。
やらなくてはならないが、やりたくないこと。
やらなくてよいし、やりたくないこと。

あまり的を得ていないかも知れないが、なんとか言い換えてみると、
趣味。
天職。
面倒。
無駄。
みたいな感じだろうか。

人間、条件さえ整えばやりたいことは放っておいても勝手にやるものだ。だってやりた

もっとみる
芸術とエンタメは、分類ではなく概念である

芸術とエンタメは、分類ではなく概念である

それは芸術か、エンタメか。

演劇、舞踊、ミュージカル、オペラ、コンサート。
どれが芸術でどれがエンタメか、そんな会話を何度かSNSで目にしたことがある。いわば、芸術とエンタメを分類名として、それらをカテゴライズしようとするような。
非常に難儀なことだとも、果たしてその議論に意味があるのかとも、感じたことがある。

あるとき、こんな考えに至った。
それぞれの作品が、公演が、芸術とエンタメの両方の性

もっとみる
誘えばいいじゃない、断ればいいじゃない

誘えばいいじゃない、断ればいいじゃない

中高生時代に何度か、と言っても片手に収まるほどだが、親しいクラスメイトにトイレに誘われたことがある。
いわゆる連れションとかいうやつ。

「いや、行かない」

正直他人の用足しに一緒に行く意味がわからなかった。そもそも誘ってくることが謎。
生理現象なんだから、一人で行って当然だし勝手に行って来ればいいじゃないか。どうやら誘いに乗る人もこの世にはいるようで、私にはその人の気持ちは微塵も理解できないが

もっとみる
夢を見なくちゃやってられない

夢を見なくちゃやってられない

子どもの頃、大人になったらもっと世界は良くなると漠然と思っていた。

やっと世の中のことがわかるようになってきた(と自分では思っていた)頃、自分の生きてきた時間が「失われた10年」とか言われて、それがあっという間に20年になり、今に至る。

苦しい経験をすることも、他人の苦しみを想像して辛い気持ちになることも沢山あった。

幸せな出会いも、嬉しい発見も。

そういうことの積み重ねが人生なのだと思う

もっとみる
威風堂々は第6番まである

威風堂々は第6番まである

私は4番と5番が好き式典で流れるメロディを思い浮かべたなら、それは第1番。というか多くの日本人が威風堂々と聞いて想像するものは行進曲『威風堂々』の第1番(の中間部)である。

「それはもう希望と栄光の国でしょ」とか「第4番が好き」とか思う人。
わかる。
「第1番の中間部が有名なだけで威風堂々がそれだけじゃないことくらい、あたり前田のクラッカー」と思った人。
古い。

それは置いといてこれらの人たち

もっとみる
「いつか使うもの(家庭用ノコギリ)」を捨てなくてよかった話

「いつか使うもの(家庭用ノコギリ)」を捨てなくてよかった話

世は大断捨離時代。

ミニマリストが勢力を拡大し、最小限のもので生きる暮らしに憧れを抱く人が増え続けている……のか?

わたしの断捨離私自身、人生で何度か断捨離をしたことがある。
と言っても暮らしのリセットみたいなことではなく、主に進学のタイミングで要らなくなった教科書や参考書をまとめて処分した程度のことが多い。

特に中学受験が終わったときは、受験当日夜にネットで合否が発表されるシステムだったた

もっとみる
ごはんは、みんな違ってみんな美味い

ごはんは、みんな違ってみんな美味い

タイトル、「ごはんは、」抜きで考えたものの、なんかカニバリズムの話みたいになりそうだったので付け足した。

私が言いたいのは、自分で作るごはん、他人に作ってもらうごはん、自分の金で食べるごはん、他人の金で食べるごはん。

子どもの頃から考えれば、余裕で全部食べたことある。
誰だってどれかしら食べて育って、生きているはず。

みんな違ってみんな美味い。

自分で作るごはんこれは美味い。だって好きに作

もっとみる
大切なことは全部「どうでしょう」が教えてくれた

大切なことは全部「どうでしょう」が教えてくれた

君は「水曜どうでしょう」を知っているか。

知らないなら、回れ右だ。
これは君が読む記事じゃない。

とにかく「水曜どうでしょう」が好き私はどうでしょうが好きだ。

DVDは全部持っているが、住んでいる地域での再放送のペースがちょうど良いのでそっちを見ることが多い。したがってDVDでしか見られない企画には多少疎いところがある。

だがしかし、それを補って余りあるどうバカぶりを自負したい。

対決列

もっとみる
NHK BS「謎の日本人サトシ」が面白すぎた

NHK BS「謎の日本人サトシ」が面白すぎた

代替現実ゲーム(ARG : Alternate Reality Game)をご存知だろうか。
私はTV番組「謎の日本人サトシ」を見て初めて知った。

ARGは日常生活をゲームの一部に取り入れて、現実とゲーム(仮想)を交差させた体験型の遊びなのだそうだ。
Alternateに“代替“という訳が与えられているが、この単語には“交互““互い違い“といった意味合いもあるので、英語のニュアンスでは恐らく現実

もっとみる
「お母さん」と呼ばない

「お母さん」と呼ばない

身内のことは遜(へりくだ)るのが、敬語の基本的なルールの一つである。

他人の前で家族のことを話すときは、父、母、姉などと言うし、祖先がどんなに有名な偉人だったとしても、身内として話す限りは遜るものである。
取引先から電話が来て〇〇社長はいるかと尋ねられれば、仮に自分が末席の平社員であろうとも、社長のことは遜って呼び捨てにするのが正しい。

と思って生きてきたのだが、近年どうも風潮が違ってきている

もっとみる
運動は嫌いじゃないけど、体育は嫌い

運動は嫌いじゃないけど、体育は嫌い

小学生の頃からずっと、最も苦手な科目は体育だった。
そもそも運動が苦手で足も遅かったし、授業という他人との比較から逃れられない環境で自分の低い運動能力を晒すことが嫌で仕方がなかった。

体育が嫌いになったきっかけは小学校の徒競走だったと1ミリの疑いもなく言える。
今はどうだか知らないが、私が小学生だった頃は学校における人気というのは足の速さと一定の相関があり、今でいう陽キャのような立ち位置にいたの

もっとみる
土砂降りが楽しかったときの話

土砂降りが楽しかったときの話

大雨とか雷が好きだ。

大雨や落雷の音、稲妻なんかに大喜びする。
カッコつけて言えば、自然のエネルギーを感じられるようで興奮するのだ。

ただし、好きの結果として出てくる言動がちょっと尋常じゃない自覚がある。

気象予報士が「今日はなるべく屋内にいてください」と言う日にわざわざベランダに出て、興奮のあまり雨や雷に紛れてちょっと叫んだり跳ねたりする奇人である。
私にとってはそれが結構楽しいのである。

もっとみる