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運動は嫌いじゃないけど、体育は嫌い

小学生の頃からずっと、最も苦手な科目は体育だった。
そもそも運動が苦手で足も遅かったし、授業という他人との比較から逃れられない環境で自分の低い運動能力を晒すことが嫌で仕方がなかった。

体育が嫌いになったきっかけは小学校の徒競走だったと1ミリの疑いもなく言える。
今はどうだか知らないが、私が小学生だった頃は学校における人気というのは足の速さと一定の相関があり、今でいう陽キャのような立ち位置にいたのは大体運動神経の良い子だった。
一方足が遅い子はというと当然その反対で、加えて私は座学がまあまあできて教室で発言するのも苦ではないタイプだったため、結果的にガリ勉というレッテルを貼られることとなった。
入学後すぐに小さく芽生えた体育への苦手意識がすくすくと大きくなると同時に、私はガリ勉として周知されていき、結局卒業までそのキャラで押し通した。

中学受験をしたので環境はガラリと変わった。
そこにいる人は皆勉強をして受験を乗り越えてきた人たちなので、ガリ勉などという押し付けがましい概念がなかった。
運動が得意な人も苦手な人もいて、得意な人は確かに体育の授業やスポーツ系のイベントでは一目置かれるが、それだけが学校内でのステータスの指標になるなんてことはなかった。
体育の授業以外の時間、運動ができないという事実から解放された。
それだけで私は随分と楽になった。

だが依然として体育は、嫌い&苦手No.1教科に君臨し続けた。
やはり自分が不得手なことを他人に見られる環境でやるのは大変な苦痛が伴う。
小学生時代無意識に培われていた「運動できない=ダサい」の価値観も大いに影響していたと思う。
体育が嫌で仕方がないことには変わりなかったが、だからこそその時間以外はこれらの負の感情に支配されなくて済むようになったことが、中学生になった私にとって大きな救いだった。

また私は球技も大変苦手で、今となっては笑い話だが、金輪際やらないと心に誓ったスポーツのエピソードがあるので供養しておこう。

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私は中高時代、音楽系の部活に所属しており、定期的にあるコンサートのために練習を重ねる日々だった。
中学であるときバスケットボールの授業があり、突き指をした。
指が使えなければ演奏できないどころか楽器を構えることもできないので、次の本番には出られなくなった。
もう二度とバスケはやりたくないと思った。

しかし二度目はやってきた。
高校で再度バスケの授業があり、今度は足首を捻挫をした。
不幸中の幸いというべきか、私にはただの不幸に違いなかったのだが、足首を怪我していても演奏はできるため、このときは出演を取りやめずに済んだ。
こうして私は足首に湿布を貼ったまま、中高生活最後の文化祭という晴れ舞台に臨んだのだった。
バスケはもう本当に、二度とやりません。

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中高時代を通して体育を好きになることはなかったが、運動嫌いではないかも知れないと思い始めたのもこの時期である。
気が向いたときに家で筋トレをしたり、一人でふらっと散歩やランニングに行くようになった。
体を動かすのはむしろ好きなのかも知れないと思った。
そうだ。そうでなければ、学校とは別にわざわざバレエ教室に通い続けているはずもない。
自分はどの筋肉が弱いだとか、使い方にこんな癖があるだとか、そういう発見があるのが楽しかったし、継続することで変化を感じられる喜びに気づいたときだったのかも知れない。

ここにきて初めて体育と運動を別のものとして考えるようになった。
私が嫌いだったのは体育であって運動ではなかった。
このパラダイムシフトを経て、ああ世界は美しかったなどと思っているうちに私の人生における体育の時間は終わりを迎えた。
これからはもう一生どんなかたちでも体育に直接触れることはないだろう。
望むときに望む運動をするだけなのだ。

寂しさも切なさもこれっぽっちもない。
なんて清々しいのだろう。

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