池上ゆうひ

なにはどうあれつづけることが目標

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学校公演の意味とは(すべての公演に行く人へ)

私はバレエの公演をよく見に行く。 最近よく見聞きするのが、学校公演。 中高生あたりを相手に、カンパニーが学校へ赴いたり、学校側が生徒を引き連れて劇場にやって来たりする。 後者はいわゆるスクールマチネというやつで、その回のチケットは一般発売がなかったり、あっても僅少で購入サイトに注意書きがあることが多い。 私も中学生の頃に、通っていた学校の芸術鑑賞プログラムでバレエやお芝居、人形浄瑠璃などの公演を観たことがある。 こうした取り組みが持つ意味の一つには、生徒たちが、劇場(あ

    • 母親

      本当は、「どうしたの?」って言ってほしかった。 悩んでいる私を前にして、スマホや本で時間をやり過ごすのではなく、話を聞いてほしかった。 親身になっているふりをして相槌を打つのではなく、実効性のある解決策がほしかった。 私がそれを考えるためのアドバイスがほしかった。 私が抱えている問題を、一緒に解決する意志がある、そういう態度がほしかった。 一方で、私が抱える問題の根底には、多かれ少なかれ彼女自身の存在があることも事実だった。 彼女の機嫌を損なわないこと、それが家での私の

      • 夜っていいよね

        朝、昼、夜のなかで、特別に夜が好きだという訳ではないけど、なんとなくいいなと思う瞬間がある。 時間にゆとりがある夜に、考えを巡らせたり感傷的な気分に浸ったりするのが好きなのかも知れない。 この前、ビルの外階段から空を眺めていて、ああ綺麗だなと素直に思った。 左を向くと、浅葱色のような、夕暮れの面影を残した青。 右は、濃藍が下りる前の、夜の群青。 その間に広がる穏やかな色合い。 日本語には、独特な名前で数えきれない種類の色があると言うけど、いちいち感じる風情や感動を表現

        • 気が向いたので書いてみる

          この前、と言っても結構前、自転車でスーパーに行った。 店の駐輪場に自転車を停めて買い物をし、帰ろうと駐輪場に戻ると、なんと、カゴにゴミが捨てられていた。 しんじらんない。。。 見たくもなかったが、あれはおそらくアイスのパッケージだったと思う。 でもそんなことはどうでもいい。 他人の所有物、それも違法駐輪でもなく営業時間中のスーパーの駐輪場に停めた、買い物客の自転車である。 ありえない。 まあ、違法駐輪だろうとなんだろうと、他人のチャリのカゴにポイ捨てしていい理由にはなら

        学校公演の意味とは(すべての公演に行く人へ)

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        • 雑記
          19本
        • 創作
          2本

        記事

          できればやりたくないことに対する心理的ハードルの高さについて

          大抵のことは4つに分けられる。と思う。 やらなくてもよいが、やりたいこと。 やらなくてはならない、やりたいこと。 やらなくてはならないが、やりたくないこと。 やらなくてよいし、やりたくないこと。 あまり的を得ていないかも知れないが、なんとか言い換えてみると、 趣味。 天職。 面倒。 無駄。 みたいな感じだろうか。 人間、条件さえ整えばやりたいことは放っておいても勝手にやるものだ。だってやりたいんだもん。 やりたくないしやらなくてよいことは、やるだけ無駄なのでやらないと思

          できればやりたくないことに対する心理的ハードルの高さについて

          芸術とエンタメは、分類ではなく概念である

          それは芸術か、エンタメか。 演劇、舞踊、ミュージカル、オペラ、コンサート。 どれが芸術でどれがエンタメか、そんな会話を何度かSNSで目にしたことがある。いわば、芸術とエンタメを分類名として、それらをカテゴライズしようとするような。 非常に難儀なことだとも、果たしてその議論に意味があるのかとも、感じたことがある。 あるとき、こんな考えに至った。 それぞれの作品が、公演が、芸術とエンタメの両方の性質を内包しているのではないか。 そう考えれば、あくまで概念として芸術とエンタメを

          芸術とエンタメは、分類ではなく概念である

          誘えばいいじゃない、断ればいいじゃない

          中高生時代に何度か、と言っても片手に収まるほどだが、親しいクラスメイトにトイレに誘われたことがある。 いわゆる連れションとかいうやつ。 「いや、行かない」 正直他人の用足しに一緒に行く意味がわからなかった。そもそも誘ってくることが謎。 生理現象なんだから、一人で行って当然だし勝手に行って来ればいいじゃないか。どうやら誘いに乗る人もこの世にはいるようで、私にはその人の気持ちは微塵も理解できないが、どのみち預かり知らぬこと。 大学に入って以降、流石にそんな誘いを受けることは

          誘えばいいじゃない、断ればいいじゃない

          夢を見なくちゃやってられない

          子どもの頃、大人になったらもっと世界は良くなると漠然と思っていた。 やっと世の中のことがわかるようになってきた(と自分では思っていた)頃、自分の生きてきた時間が「失われた10年」とか言われて、それがあっという間に20年になり、今に至る。 苦しい経験をすることも、他人の苦しみを想像して辛い気持ちになることも沢山あった。 幸せな出会いも、嬉しい発見も。 そういうことの積み重ねが人生なのだと思う。 その間、社会を見回せば、心は貧しくなり格差は広がる一方である気がする。

          夢を見なくちゃやってられない

          威風堂々は第6番まである

          私は4番と5番が好き式典で流れるメロディを思い浮かべたなら、それは第1番。というか多くの日本人が威風堂々と聞いて想像するものは行進曲『威風堂々』の第1番(の中間部)である。 「それはもう希望と栄光の国でしょ」とか「第4番が好き」とか思う人。 わかる。 「第1番の中間部が有名なだけで威風堂々がそれだけじゃないことくらい、あたり前田のクラッカー」と思った人。 古い。 それは置いといてこれらの人たちはおそらく、一般的にはクラシック音楽に詳しい方に入るだろう。 ちなみに「威風堂

          威風堂々は第6番まである

          「いつか使うもの(家庭用ノコギリ)」を捨てなくてよかった話

          世は大断捨離時代。 ミニマリストが勢力を拡大し、最小限のもので生きる暮らしに憧れを抱く人が増え続けている……のか? わたしの断捨離私自身、人生で何度か断捨離をしたことがある。 と言っても暮らしのリセットみたいなことではなく、主に進学のタイミングで要らなくなった教科書や参考書をまとめて処分した程度のことが多い。 特に中学受験が終わったときは、受験当日夜にネットで合否が発表されるシステムだったため、合格を知った瞬間にパジャマ姿のまませっせと部屋から塾の参考書を運び出しリビン

          「いつか使うもの(家庭用ノコギリ)」を捨てなくてよかった話

          ごはんは、みんな違ってみんな美味い

          タイトル、「ごはんは、」抜きで考えたものの、なんかカニバリズムの話みたいになりそうだったので付け足した。 私が言いたいのは、自分で作るごはん、他人に作ってもらうごはん、自分の金で食べるごはん、他人の金で食べるごはん。 子どもの頃から考えれば、余裕で全部食べたことある。 誰だってどれかしら食べて育って、生きているはず。 みんな違ってみんな美味い。 自分で作るごはんこれは美味い。だって好きに作るから。 食べたいものを食べたいように調理したり、面倒なときは楽な料理にしたり。

          ごはんは、みんな違ってみんな美味い

          古典の話 掌編小説

          「この前本屋で流行りの自己啓発本を立ち読みしたら、古典にも同じこと書いてあるよ、みたいなのがいっぱい載ってて」 「へえ。好きなの、そういう古いやつ」 「ものすごくってわけじゃないですけど、人間て変わらないんだなって感じで面白いですよ。分かったフリして笑って頷いておいて、実は何にも分かってない人っているよね、とか。 最近グサッときたのは、全ての欠点をなくしたいと思うなら、何事にも誠意を持って人を分け隔てず、礼儀正しく口数が少ないに勝るものはない、てやつです」 「これはなか

          古典の話 掌編小説

          大切なことは全部「どうでしょう」が教えてくれた

          君は「水曜どうでしょう」を知っているか。 知らないなら、回れ右だ。 これは君が読む記事じゃない。 とにかく「水曜どうでしょう」が好き私はどうでしょうが好きだ。 DVDは全部持っているが、住んでいる地域での再放送のペースがちょうど良いのでそっちを見ることが多い。したがってDVDでしか見られない企画には多少疎いところがある。 だがしかし、それを補って余りあるどうバカぶりを自負したい。 対決列島の企画発表での安田さんのセリフを暗唱できるくらいには重症である。あるいはパイ食

          大切なことは全部「どうでしょう」が教えてくれた

          NHK BS「謎の日本人サトシ」が面白すぎた

          代替現実ゲーム(ARG : Alternate Reality Game)をご存知だろうか。 私はTV番組「謎の日本人サトシ」を見て初めて知った。 ARGは日常生活をゲームの一部に取り入れて、現実とゲーム(仮想)を交差させた体験型の遊びなのだそうだ。 Alternateに“代替“という訳が与えられているが、この単語には“交互““互い違い“といった意味合いもあるので、英語のニュアンスでは恐らく現実と仮想の“交差“を表しているのだと思う。 (後述:あとでWikiったらやっぱりそ

          NHK BS「謎の日本人サトシ」が面白すぎた

          振付家と劇場支配人 掌編小説

          「どうだろうか、バレエが盛り上がっているいま、人気のあるダンサーたちを一堂に集めて一つの作品を作るというのは」 「それは良い考えです」 「そうだろう。大スターたちが同じ舞台で踊るんだ。成功したら劇場支配人としてこんなに嬉しいことはない」 「いやはや、振付家としてやってきて過去にこのような例は思い出せません。 一人ずつ踊る順番について、まず最も年長でキャリアも長いタリオーニが最後ということには誰も異論はなかったのですよ。ではその前は誰にするかという話になった途端、グリジと

          振付家と劇場支配人 掌編小説

          「お母さん」と呼ばない

          身内のことは遜(へりくだ)るのが、敬語の基本的なルールの一つである。 他人の前で家族のことを話すときは、父、母、姉などと言うし、祖先がどんなに有名な偉人だったとしても、身内として話す限りは遜るものである。 取引先から電話が来て〇〇社長はいるかと尋ねられれば、仮に自分が末席の平社員であろうとも、社長のことは遜って呼び捨てにするのが正しい。 と思って生きてきたのだが、近年どうも風潮が違ってきていると感じることが増えた。 メディアやSNSで違和感を覚える言葉遣いを目にすること

          「お母さん」と呼ばない