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NHK BS「謎の日本人サトシ」が面白すぎた

代替現実ゲーム(ARG : Alternate Reality Game)をご存知だろうか。
私はTV番組「謎の日本人サトシ」を見て初めて知った。

ARGは日常生活をゲームの一部に取り入れて、現実とゲーム(仮想)を交差させた体験型の遊びなのだそうだ。
Alternateに“代替“という訳が与えられているが、この単語には“交互““互い違い“といった意味合いもあるので、英語のニュアンスでは恐らく現実と仮想の“交差“を表しているのだと思う。
(後述:あとでWikiったらやっぱりそうだった)

Find Satoshi

「謎の日本人サトシ」は、パープレックスシティ(Perplex City)というARGに関わる人物の1人である。

参加者たちはゲームのストーリーを追ってゴールにたどり着くため、カギとなる沢山のカードを集めていく。
その最後の1枚に映されていたのが1人のアジア人男性と、「私を見つけなさい」という文字。付随するヒントとして、”My name is Satoshi.” が与えられた。

これが約15年にわたる”Find Satoshi”の始まりである。

このカードがテーマとしているのは、「六次の隔たり」の概念。
1人の人が、知り合い、知り合いの知り合い……とたどっていけば、6人以内で世界中のあらゆる人と繋がることができるという考えである。

番組を見ながらふとケヴィン・ベーコン数を思い出した。
俳優ケヴィン・ベーコンと直接共演した人をベーコン数1、共演者の共演者を2として様々な俳優のベーコン数を調べると概ね3以内になるらしい。

カードが与えられ、全世界でサトシ探しが始まった。
参加者は彼の顔の特徴や撮影場所を洗い出し、掲示板やメールといった手段を駆使して彼を見つけようとしたのだが、一向に見つからなかった。
2005、2006年あたりの話だが、インターネットがあっても顔と名前が分かっている人間がこんなに見つからないものなのかと、とても興味深かった。

やがてサトシが見つからないまま、隠されたキューブが発見されゲームクリアとなった。
しかし、諦めない一部の人によってサトシ探しは続けられた。

そしてカードの出現から約15年経って、ついにサトシは発見された。
コロナ禍でサトシ探しを知って興味を持ち、時間を割く人が増えたことが一つの要因だったようだ。

最終的にサトシハンターが彼を見つけた方法は、人間の顔を認識するAI技術と人海戦術によるネット検索、翻訳ソフトであり、六次の隔たりの仮説を直接証明する結果にはならなかった。
しかし、これだけ長い時間にわたって可能な限りあらゆる手を尽くしついに彼を発見したことは、ゲームの参加者に驚きと喜びと感動を与えたことだろう。
番組を見ていただけの私でも感じたほどであり当事者たちの思いは計り知れない。

ローラというサトシ探しを主導していたゲーム参加者からのメールを受け取り、サトシ本人は驚きながら自分が正解の人物であると返した。
参加者に発見されたときは予め用意された日本語のヒントを教えることになっていたが、彼自身それを忘れてしまったとも。

その後ゲーム開発者とのやりとりの記録か何かを調べて思い出したようで、改めてローラとリモートで対面した際には15年越しに「炎を生んで死んだのは誰?」というヒントを伝えた。

考えたこと感じたこと

カードに記された「私を見つけなさい」という文字。
今でこそGoogle翻訳にぶち込めば一発だが、カードが作られた当時はそんな便利なものはなく、日本語がわかること以外に解読する方法はなかったと言う。
どんな言語も、知る人が極端に少ない環境ではその言語は暗号として機能する。
英語で展開されたパープレックスシティのコミュニティ内でも、この一文を解読できる人は限られていたようだ。

さらに言えば、私の考えが正しければの話だが、サトシに用意されていたヒントから答えを導くには古事記の知識が必要になる。
今ほどインターネットが広まっていなかった時代に日本語圏や日本語話者の人以外が解くのはかなり難しいように思う。それこそ参加者が協力して人類の叡智を結集するしか道はなかったんじゃないだろうか。
もしかするとそれこそがこのARGの醍醐味なのかも知れない(やってないので分からないけど)。

サトシ探しがこれだけ難航した理由について。
現在もそうだが、パープレックスシティが繰り広げられていた時代、日本と海外では広く利用されているサービス、プラットフォームが異なっていた。
また英語で発信される情報のキャッチアップや、ARGの存在が多くの人に知られていなかったことなど、日本独自の様々なハードルがサトシ発見を困難にしたと考えられているそうだ。
ガラパゴスはケータイだけの話ではなかった。

そしてなにより、番組を見て最も身にしみて感じたのはインターネットやサービスを利用する私たち自身のことだ。

私の記憶にはほとんどないが、きっと当時インターネットは今よりもっと限られた人のものだったのだと思う。
それを使うためにはある程度の技術と環境が必要であり、結果として言い方は悪いが現在よりも比較的民度の高い場所だったのではないだろうか。
結果論に過ぎないと言えばそれまでだが、サトシの顔写真や名前はあくまでもゲームの一要素としてネット上に出回り、彼の私生活が侵害されることはなかった。彼が15年の間にゲームの存在をすっかり忘れていたことが何よりの証拠だろう。

現在のインターネットの世界には悪意のある人もリテラシーのない人もそれなりにいる。そもそも利用者の母数が爆発的に増えたので、そうした人が目につくのは必然とも言えるが。
サトシ本人が今、昔のように顔写真をゲームに使っても良いかと訊かれたら少し考えてしまうと言っていたのは、そういうことだと思う。

おわりに

最後に、ローラたちによるサトシ探しについてまとめたサイトを貼っておく。
詳しい経緯や「彼のプライバシーを尊重して」などのメッセージがしっかり載っていて、これだけでも結構ドラマを感じられる(もちろん実際に体験した人の感動には敵わないが)。

とても面白かったので、とりあえず録画をもう一回見ようかな。

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