見出し画像

「お母さん」と呼ばない

身内のことは遜(へりくだ)るのが、敬語の基本的なルールの一つである。

他人の前で家族のことを話すときは、父、母、姉などと言うし、祖先がどんなに有名な偉人だったとしても、身内として話す限りは遜るものである。
取引先から電話が来て〇〇社長はいるかと尋ねられれば、仮に自分が末席の平社員であろうとも、社長のことは遜って呼び捨てにするのが正しい。

と思って生きてきたのだが、近年どうも風潮が違ってきていると感じることが増えた。

メディアやSNSで違和感を覚える言葉遣いを目にすることが増えた。
年齢やキャリアを重ねた芸能人で綺麗な言葉を話すと思っていた人が、テレビ番組で自分の親のことを「お母さん」と呼んでいたのを見たときには驚いた。
特定の人の言葉遣いを槍玉にあげるつもりは毛頭ないし、テレビに出るような人のことであるから、正しい敬語を知った上で「親に敬意を払っていない」などという視聴者からの的外れな批判を避けるためにわざと言った可能性だって否定できない。

最近は何を言っても叩かれると言うし、世知辛い世の中だな。などと漠然と思ったりしたが、同時に私は(親族以外)誰に対しても身内のことを遜ってやるぞと決意を新たにしたのだった。
それは、身内を遜るすなわち正しい敬語を使うことが、彼らへの最大の敬意であるからだ。
私が人前で親のことを遜って話すことは、親から良い教育を施してもらったことの証であり、そのことへの感謝を表すことだ。
あくまでも、「人前で自分の母親のことを『お母さん』と呼ぶ人が須く親を辱めている」という意味ではないことはここに強調しておく。
私にとっては、正しい敬語を使い、親のことを相手に対して遜ることの方が、親に敬称を使うことよりも親への感謝を示すことができ、それが私の望む話し方であり姿勢なのだ。
このことは親に直接伝えたことがあり、同意も得られている。
変に敬称で呼ぶよりも、他人の前では身内としてきちんと遜るのが正しいと親自身も言っていた。

正しい言葉とそうでない言葉を一元的に定義することは、容易でももしかすると現実的でもないのだろう。
私自身、あらゆる面で完璧な言葉遣いができているなどとは全く思わないし、この記事の中にだって“間違いな“日本語が含まれているかも知れない。
しかしこの敬語に関しては当面の間は誰になんと言われようと、私がそうありたいと思う姿勢と、それを示す言葉遣いを貫いて生きていきたいと思う。

そもそも言語というのは、使われる限り変化するものである。
数十年前にはSelfieなどという英単語は存在しなかったし、確信犯はもはや誤用の方が定着しつつある。
常用漢字として「私」に「わたし」という読みが正式に認められるようになったのも、ここ十年くらいの話だ。
学名に死語であるラテン語が用いられるのは、母語として話す人がおらずこのような変化の懸念がないことが一因だろう。
従って敬語のルールだって全く変化しないとは言い切れない。
今間違っていると言われている敬語を、いつかNHKのアナウンサーが取材で使う日が来るのかも知れない。
だが実際には言語の変遷とは緩やかに起きるものだし、少なくとも身内のことを敬うのが正しい敬語だと言われる日はそうすぐには来ないだろう。

そんなわけで私自身は、身内のことは遜るのが正しい敬語だと誰の前でも胸を張って言い続けたいと思っている。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,634件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?