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威風堂々は第6番まである

私は4番と5番が好き

式典で流れるメロディを思い浮かべたなら、それは第1番。というか多くの日本人が威風堂々と聞いて想像するものは行進曲『威風堂々』の第1番(の中間部)である。

「それはもう希望と栄光の国でしょ」とか「第4番が好き」とか思う人。
わかる。
「第1番の中間部が有名なだけで威風堂々がそれだけじゃないことくらい、あたり前田のクラッカー」と思った人。
古い。

それは置いといてこれらの人たちはおそらく、一般的にはクラシック音楽に詳しい方に入るだろう。

ちなみに「威風堂々って第5番まででしょ」と言う人がいてもそれは至極当然である。作曲者エドワード・エルガーが生前に完成させたのが第5番までだからだ。第6番は未完の状態で見つかり最近になって別の人の手によって完成されたもので、かなり新しい。よって行進曲『威風堂々』は第5番までと補筆版の第6番と言っても良いかも知れない。

威風堂々豆知識みたいになってしまったがここで言いたいのは、この事実が誰かの常識であると同時に別のところでは全く知られていないということだ。
自分の常識が外では通用しないことなどむしろ今やそれ自体が常識だろう。そして多くの場合、この知見は自分が「知っている側」「その常識を持っている側」であることを想定して語られている気がする。一方で自分が「知らない側」「誰かの常識を新たな知識として学ぶ側」にいると認識することの方が重要でかつ難しいことかも知れない。自分の無知を認めることは、誰でも簡単にできることではない。

形容詞の順番

大きな白い家。白い大きな家。
日本語で言われるとどちらがよりしっくりくるだろうか。

私は前者。だけど後者は「大きな」を強調したいのかなとも思うし、文法的には間違っていないと思う。何より「白い大きな家」と聞いたり読んだりしてもそれを発した人が日本人か日本語を話す外国人かどうかなんて全くわからない。

だが英語になるとどうやら話が違うらしい。

A big white house. A white big house.

後者はまず言わないそうだ。「大きい」を強調したいときは前者の”big”を強めに言うだけで、native English speakerが後者を使うことはない。あるいは全くないとは言わずとも、やはり違和感やおかしな印象を与えるのだそうだ。
それは英語における形容詞の順番に、多くの英語を母語とする人ですら自覚していない暗黙のルールがあるからだ。つまり、一つの名詞にかかる複数の形容詞は必ず次の順に並べるという規則がある。

Opinion-size-age-shape-color-origin-material-purpose Noun

「大きさ(size)」が「色(color)」の前に来る以上、a white big houseはあり得ないのだ。

英語話者たちにとってこの法則はあまりにも当たり前すぎて、もはや「知っていること」すら知らない。一方で後から英語を学習する私みたいな人間はそんな法則がそもそも存在することを知らないし、それでいざネイティブと会話してみると「この人の英語なんか変」といった印象を与えかねないわけだ。

こんなことを考えていると「誰かの常識に気づくこと」も「自分にとっての常識を自覚すること」もすごく大変なことなのだろうと思う。自分の身近にある常識の齟齬に気づく人もいればそうでない人もいる。そこから道を切り拓く人もいれば、苦労したり生きづらいと感じたりする人もいるだろう。
この記事に書いたような個別具体的な知識は知ればそれで終わりだけれど、肝心なのはそういうことがこの世界に、自分の周りに、いくらでも転がっているということ。そしてそれを(ここから久米明風でも可)常に心に留めておくことなのかも知れない。

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