ごはんは、みんな違ってみんな美味い
タイトル、「ごはんは、」抜きで考えたものの、なんかカニバリズムの話みたいになりそうだったので付け足した。
私が言いたいのは、自分で作るごはん、他人に作ってもらうごはん、自分の金で食べるごはん、他人の金で食べるごはん。
子どもの頃から考えれば、余裕で全部食べたことある。
誰だってどれかしら食べて育って、生きているはず。
みんな違ってみんな美味い。
自分で作るごはん
これは美味い。だって好きに作るから。
食べたいものを食べたいように調理したり、面倒なときは楽な料理にしたり。
私は作っている間、結構ワクワクするタイプ。もはやこれも美味しさの一部。
仕方なく作ることだってあるけど、できたごはんを前にしたらやっぱり嬉しい。
さすが三大欲求の一つ、食欲。恐るべし。
他人に作ってもらうごはん
これは美味いでしょ。
作らせたごはんじゃなくて、作ってもらったごはん。
だって調理に関して何もしてないのに、ごはん出来上がってんだよ?
ありがたいの極み。これだけで美味しい。
正直味なんて関係ない。いや、なくはないか。
自分の金で食べるごはん
これはもちろん美味い。
私は、金というポテンシャルしかない自分の財産の一部を、自分の空腹と心を満たすごはんに変えたのだ。
数多の選択肢から好きに選んで食べられる。
おまけに調理から片付けの手間と時間が大幅に削減、もしくは全く無いときた。最高。
他人の金で食べるごはん
これも美味い。ぐふふ。
子ども時代は当たり前のように食べていたという衝撃。まあ当たり前か。
自分一人のときほど自由じゃないかも知れないけど、これはこれで美味いのだ。
背徳感的な美味さ。たまらん。
みんなちがって みんなうまい ゆうひ
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