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#やさしさにふれて

あなたが考えるやさしさとは?Panasonic×noteで、投稿コンテスト「#やさしさにふれて」を開催します! 「やさしさにふれたとき」や「やさしさについて考えたこと」についての投稿をお寄せください。

定番の記事一覧

優しい人が好きだけど、人に優しくされるのがおそろしい

わたしには、友だちがいなかった。世のなかにいろんな情あれど、友情は特にすばらしい。 そんなことはわかっている。 そこらへんの漫画本も、トレンディなドラマも、いやになるほど流れてる歌も、友情はいいぞと言ってくるのだから。 そうは言っても、思い当たる友だちがいない。 作家になってから人と会う回数が増え、ありがたいことにごく薄い友情のようなものを何人かと結べたけど、それ以外はさっぱりだ。2年以上、友だちを保てたことがない。学校の同窓会にも、友人の結婚式にも、ろくに出席したこ

「それやったら」の「それ」はコレ!noteを始めた「目的」

*⑅ 𓇬 ˗˗˗˗˗ 以下、本文 ˗˗˗˗˗ 𓇬 ⑅* こうやって友人Yちゃんを通じ 私は初めて「note」なるものの存在を知りました。 そして 4/23の初投稿で書いた 「それやったら」の「それ」とは、 実は 寄付の間口を広げることを意味しております。。。  * * こんにちは(^-^) noteワールドでは、ほぼ全員の皆様が初対面の私。 以下、プチ自己紹介を兼ね 本日は2011年3月に始まった 私のささやかな「ライフワーク」と 「noteを通じ、今後それ

初めてのファンレター

「これ、うちのお母さんが渡してって。」 そう言って、クラスの男子が私にこっそり渡してきた手紙がある。 男子から手渡された手紙。 それはラブレターではなく、人生で初めてもらった、ファンレターだった。     私が小学校6年生の頃、自学自習というものがあり、ノートに何かしらの課題をやったり、文章を書いて先生に提出していた。 ある日、学級通信が配られた。 毎月楽しみにしている学級通信だが、その時は配られた瞬間に心臓がバクバクしたのを覚えている。   その時の学級通信は、紙面

「私をひっぱりあげた優しい反省」

↑前回の続きといえば続きです。

ジュディマリも知らないくせに

憤慨した。 私の何を知っているの?胸ぐらをつかんでそう叫んでやりたかった。 でも今年で34才だし、なんか大人げないなって。ぎりぎり踏み止まった。 何よりここはファッションビルの婦人服売り場。大声を出すことは許されない。店長の私にとってこの店はいわば聖域だ。 その聖域にまだ24才の本社から来たガキンチョ女が、一丁前にアドバイスし、私のプライベートにまで土足で上がり込んできたので、憤りを隠せなかった。 「以後、気をつけます」 そう頭を下げた私が、頭を上げる前にあの山下

あなたが考えるやさしさとは?Panasonic×noteで、投稿コンテスト「#やさしさにふれて」を開催します!

【2021年1月25日更新】 審査結果を発表しました!以下の記事リンクからぜひご覧ください。 Panasonicとnoteがコラボして、「 #やさしさにふれて 」というハッシュタグで、「やさしさ」をテーマにした投稿コンテストを開催します! あたたかく心地よく、そして深い意味をもつ「やさしさ」。何気なくもらったひとことにずっと支えられていたり、自分のなかにあるやさしさをうまく表現できずもどかしい思いをしたり。今年に入ってからの状況の変化にあたり、誰かのやさしさに感謝したこと

自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

「え?」と思うタイトルかもしれないが、何よりこれに気づいた自分が驚いている。 以前、就活についての記事を書いたが、民間を目指すことに決めて、初めて本当の自分に出会えたと思っている。そう思うのはなぜなのか。時は幼少期までさかのぼる。 もう誰も離れてほしくない幼少期、両親が離婚し、私は父と祖父母と暮らすようになった。姉と母とは別々だ。 その時はどう思っていたかは覚えていないが、違和感は覚えていたのだろう。寂しかったのは覚えてる。もしかしたら「もう誰も離れてほしくない」と思っ

親友にふられた話をしてもいいかな?

スージーへ たぶん、長くなっちゃうんだけど、 書くなら今だ、今しかない!って、 そう思ったんだ。 だからこの近況報告を読んでほしい。 今、読んでもらってるこのnoteにさ、 2014年から書きつづけていたら、 めっちゃありがたいことに、 「投稿コンテストの審査員をお願いします」 ってnoteの事務局さんから、言われたんだ。 いやあ、もうほんと、信じられないよね。 昔は、ただただ、 「ここにいる俺を誰か見つけてくれ〜!」って、 ひたすら願っていたから、 続けてみるもん

子宮の言葉

この本は、遥か昔私が書いた私小説。 30歳の時に書いた本です。 旦那さんが亡くなってから、色々な感情が溢れていた時に書いた本です。 この本は、ノートと鉛筆で書きました。 ひたすらノートを持ち歩いては、思い出しながら旦那さんと暮らした日々のことを 書き綴っていました。 暴露本を書いてください!的な事も期待されていましたが暴露って、、、。(笑) 私は優作じゃないし、自分のことしか書けない。それに、たいして暴露とかないので、その頃のなんだろう、、。 匂いとか感触かな

背伸びして手をのばした、あの日の花束

あれは私がまだ小学4年生の時。 春の終わりに、私のクラスに教育実習のT先生がやってきた。 けして目立つタイプの先生ではなかったけれど、私たちを上から見たりせず、いつも対等な立場で話をしてくれたのが印象的だった。 T先生は「手話」が得意で、オリジナルで作ったテキストを配ってくれたり、休み時間には手話で歌う童謡を教えてくれたりした。 クラスの中では手話が爆速に流行して、みんな休み時間は覚えたての手話で自己紹介を繰り返した。 ずっとこのクラスにいてほしいと、そこにいる誰もが思っ

学芸大学駅とストーリーズ

この街とも、気づけば長い付き合いになりました。若き日、大失恋した夫が1人暮らしをしていたのが、ここ学芸大学駅。徒歩17分、環七沿いの5階まで階段で上がる、エアコンもなくカーテンもない部屋は、直射日光であり得ない暑さに。窓を開ければ車の騒音で何も聞こえない、電話するのも大変だった。 数少ない同期、同じ頃に会社を辞めた仲間で、あの頃は若さだけ。先行きも見えない、本当に何もなかったなぁ。 当時の夫は、百円均一で買ったあずき缶のフタを舐めて舌を切ると言う、悲しや貧乏極まる話あり(笑

【キンタマ1つ無くなった時の話】最終回

工夫しながら入院生活を楽しむ僕!遂に手術当日!剛田先生が出迎えに来てくれて励まされながら手術室へ!イチゴフレーバーの全身麻酔を堪能!目が覚めるとそこは病室だったのだ!!! 目が覚めたのは18時か19時くらいだったと思います。 最近おかあに実家の特Aコシヒカリ20kgと大量のしゃぶしゃぶ肉を送ってもらったのでお礼LINEをしたついでにインタビューをしたところ意外と早く目覚めたと仰っていたので間違いないと思います。 おかあ「まさお疲れ様〜。無事成功したよ〜。先生呼ぶね。(ナ

82歳、父からのLINE

4月12日 仕事中に私の携帯にLINEが届いた。 地震には、ビックリこかなかったが、離れて暮らす82歳の父からの連絡だったからビックラこいた。 母曰く、父はスマホを使いこなせるように勉強しているそうだ。 父はこれまでに、何度も大病を乗り越えてきた。 いつでも夢中になれるものがあったから、今も元気でいることが出来るのかもしれないと思った。 デジカメ・書道・電子辞書・パソコン・スピードラーニング・料理・筋トレと時代と共に父の趣味も変遷していった。(スピードラーニング

魂の退職。サラリーマンじゃなくなった。ここからが本当のスタート!!

久しぶりのブログ再開!!お久しぶりです。 もっちーです。 実はブログは二度目ましてなんです。 ブログを始めたのは 確か高校3年生の頃。 大好きなバンドがいて、 追っかけていました。 銀杏BOYZ(元GOING TEADY) というバンドの ボーカル峯田和伸が 書いていたブログ。 この人の書く文章に影響受けて なんだかんだ 2年くらい書いてたかな。 その時の僕のブログの内容は ・片想いしている女の子の事 ・オリジナルの作詞 ・自己流哲学「自分教」 についてだったな。笑

いい人がいい人をやめるとき。

いい人、と言う言葉はその響きや言葉が本来持つ意味に対して、なんだろうか。ネガティブな印象があるように僕は思う。 それは「いい人」という言葉のなかに、どうしようもない弱さを僕は感じとっているからかな、と考える。 自分の経験を振り返れば、いい人というのは二種類あって、 ・望んでなっている「いい人」 と ・仕方なくなっている「いい人」 がいる。おそらく。 僕らは往々にして、後者のいい人になってしまう自分を知っている。 状況や様々なものに負けたことを自覚しているからこ

あの女子高生は、予言者だったのかもしれない

家に帰ろうと地下鉄に乗ったら、次の駅で私の前に座っていた人が降りて、横並びの一番端の席が空いた。 ラッキー。 いそいそと、空席に座る。 電車はそこそこ混んでいるので、すぐにドア付近に立っていた人たちが空いた空間に流れ込んでくる。 私の前には、紺の制服に身を包んだ高校生らしき女の子が立った。 大ぶりな布バッグとスクールバッグを両肩に下げている。 電車が揺れるたびにやじろべえみたいに揺れるのがなんだか不憫で、「席、代わりましょうか?」と声をかけた。 「いえ、大丈夫です。座っ

息子が教科書に噛み付いた日

息子が教科書に噛み付いた。 何の比喩でもなく歯を食いしばって教科書の端を噛んだ。 イライラして体をこわばらせて、フーフー言いながら噛み付いた。 そしてこんな風に言った。 「僕は!国語の教科書を開くとイライラする!噛み付きたくなる!この手触りがいやだ!教科書を使いたくない!いつも授業中も噛み付きたくなるからえんぴつとか襟を噛んだりしてなんとか我慢してるけど、いやだ!使いたくない!」 気のせい、で片付けてしまった1回目実はこれ、言われたのが2回目。 前回言われたのは夏休み中

魚が排水管から出てくる町~ストリート・アート

ヘッダーの写真では、ペイントされた魚が排水管から逃げ出すかのようです。これを描いたフランスの CAL さんは、ヴァンダリズム(破壊主義)アーティストと呼ばれています。しかし、彼の作品は失礼でも破壊的でもなく、むしろスマートで創造的で楽しいです。 有名なイギリスのバンクシーのように、容認されたストリート・アーティストのひとりと言えるでしょう。 ↑ 通り過ぎる人々のうちで何%くらいが足元のこのフクロウに気づくのでしょうか。 ↑ ワナが仕掛けられているかもしれない、というよう

美大で学び、アートに感じた「優しさ」という価値

皆さんは「アート」というものにどんなイメージを抱いているだろうか。 しばしば「アート後進国」と言われる日本において、アートが大衆を騒がせるほどのニュースになることは日常でそう多くはない。バンクシーが新しいストリートアートを披露したとか、GINZA SIXに草間彌生のインスタレーションが展示されるとか、前澤友作がバスキアの絵を123億円で落札したとか。 芸術家とは、奇抜な変人であり、アートとは富裕層が資産として楽しむもの。一般人には遠い世界の話。そんな風に思っている人も少な

今日しまむらで、妹がデザインした服を買う

わたしは横浜のセンター南駅の「しまむら」で仁王立ちしている。 安くて便利なファッションセンター「しまむら」。郊外に行けば必ずといっていいほど見かけるファッションセンター「しまむら」。 そんな「しまむら」の前で、いつになくわたしは使命感に燃えていた。 この場所に思い入れがあるのではない。売っている洋服に思い入れがあるのだ。そう。わたしの妹がデザインした服が販売されているのだ! その妹とは、わたしの愛する四女、Rちゃんだ。 わたしたちは13歳の年の差があり、高校生の頃に

+11

『わたしを照らすもの』

太郎

しつけが厳しかった。 子供の頃を話すとき、僕がよく使う言葉だ。 マイナスな言葉に聞こえるが、両親への感謝の言葉として使っている。 以前にもここに書いたかと思うが、僕の両親は教師だ。父親は校長も務めたことがある。 両親公務員という安定している家庭、ごくごく平均的な家族を表すかのように僕は、 「太郎」と名付けられた。 お察しの通り、長男だ。 世界のイチローは次男なのに「一朗」とつけられた。 僕はなんのひねりもなく、上になにかつくわけでもなく、ザ長男として「太郎」と

Panasonicとnoteで開催した「#やさしさにふれて」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2020年11月3日から約1ヶ月間開催した、みなさんが「やさしさにふれたとき」や「やさしさについて考えたこと」を語る「#やさしさにふれて」投稿コンテスト。期間中(11/3-12/7)には、10,340件もの作品をご応募いただきました!さまざまな形の「やさしさ」がつまった素晴らしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である阿部広太郎さん・春名風花さん・岸田奈美さんの3名と、Panasonic担当者

樫の木庵のマボ(第1巻 大賢者ニルバーニアと双頭の魔女)

樫の木庵のマボあらすじ 樫の木村に、小さな男の子と目の見えないおばあさんが、ひっそりと暮らしています。男の子の名前はマボ、まだ5歳です。少し臆病で控えめですが、優しい性格です。 このマボのお友達に、気が強く好奇心旺盛な孤児モモ、お金持ちを鼻にかける、つんとすましたお嬢様のネネがいました。樫の木村にある時、世界に広がっているはやり病がおそいました。 そこに普段姿を現さない大賢者ニルバーニアが現れました。大賢者は6歳まで病気にならないことに目を付け、マボ、モモ、ネネを、村を

¥300

米津玄師 カナリヤMV考察

2020年 コロナ禍の日本において最も売れたアルバム「Stray Sheep」は「カナリヤ」と言う曲で幕を閉じる。この名曲について、今さら私ごときが語ることは何もない。そして、この曲にMVが無いことに少なからず安堵していた。そのままで美味しい新米に余計な味付けは要らないからだ。 ところがである。満を侍してなのか、急遽制作したのかは不明だが、何の前触れもなくMVが公開された。監督が是枝裕和氏だろうが油断はならない。恐る恐るYouTubeのリンクを開く。 そこには丁寧に精米さ

やさしい言葉を書きたい。

今、ありったけの力で、やさしい言葉を書きたい。 語彙力のなさ、勉強不足を後悔している場合ではない。 不安や怖さはその人にしかわからないものだけど、それでも何かしたいと思う。でも、私には何ができるのだろう。そんな考えばかりめぐる。 突然のことに、涙をこらえてメッセージを送った。でも、それでよかったのか。今でも迷いはあるけど、届けたかった。少しでも力になりたかった。 どうしたら、もっと、やさしい言葉が書けるのだろう。 少し前、私が会社員を辞めたばかりのころ。私は軽い人間

ネイルが繋げてくれたおばあちゃんの笑顔

福祉ネイリストとして南相馬で活動し、素敵な素敵な人たちの繋がりで、私は一人のおばあちゃんに再会することができました。 以前お試し会でネイルをしに施設に行かせて頂いた時に、初めてネイルをさせていただいた方。そのおばあちゃんは私と再開する約3か月もの間、そのネイルを落とさずに大切に残しておいてくれました。 認知症を患っているこのおばあちゃんは、私のことを覚えている、ということはありませんでしたが、恥ずかしがりながらも、ネイルを再びやらせていただくことを了承してくれました。

遅刻して先生に感謝された日

ルールとたったひとりの人間と。どちらが重たいのか。心から考えさせられたエピソード。 学校に行きづらいBくん私の息子は小学校6年生。5年生の冬、同級生Bくんが学校に行きにくくなってることを知った。 Bくんは発達の凸凹(でこぼこ)があり授業についていけず、支援学級で過ごすことも多い。 Bくんママ「Bは学校に行くのを嫌がって嫌がって、ほんっとに大変なの…こっちも参るわ…」 息子とBくんの約束私は、息子にこの実情を伝えることにした。息子とBくんは少年サッカーのチームメイトで仲

【キンタマ1つ無くなった時の話】⑤

キンタマ2つで見た最後のM-1グランプリは2004!面白すぎた結果キンタマ取らずに1度退院した僕は定期検診でキンタマ1つ取る運びになったのだった…! 遂にキンタマを取ることになった僕。 定期検診が終わるとその足で2度目の入院。 新しい病室に通されました。 この入院から二人部屋でした。 もう一人の患者さんは50〜60代の男性。 身長約175cm、シュッとしていて浅黒の伊藤さん(仮名)。 長髪をポニーテールでまとめてヘビースモーカーで、とにかくダンディな印象でした。 挨

浅田家!中野監督ティーチイン付舞台挨拶に行ったら二宮和也が愛おしすぎた話

お久しぶりです。カオナシです。 これは二宮和也さんと会った直後に勢いで電車で書いているので、もう勢いです。ただの勢い。 駄文ですが、二宮和也が凄かった話をするので、良ければ最後までお付き合いください。 2020/11/02 「浅田家!」中野量太監督のティーチイン付舞台挨拶@TOHOシネマズ池袋。 焼き増しの映画はとてもよく、1度目ほどの新鮮さや解像度はないものの1度目には目をやれなかったことに気づくことができ、とても楽しかった。 映画館で一度見た映画を、もう一度見た

サマー、ショートステイ

 福祉業界に携わっていたことがある。  職場は関東某所に位置するユニット型の特別養護老人ホーム。無資格未経験の、モラトリアム卒業からまだ日の浅いフリーター上がりにとって当施設での介護職員生活は、言うなれば全身をサンダーボルトに打たれたかのようなカルチャーショックの連続であった。  ツチノコと見紛うほどのご立派な排泄物を「これどうぞ」と手づかみでお裾分けしてくださる心優しきマダムに、ベッド上でファンタスティックかつアーティスティックな立ち小便をご披露してくださる元小学校教諭

休職したての私が書いたメモが、ちょっぴり役に立った話。

2020年9月17日。 確かこの次の日から、実家に帰る予定だった。その時に過去の私が残していた置き手紙が、少し役に立った話。 2020年11月20日。 私は2ヶ月ぶりに一人暮らしをしている関東の家に帰ってきた。普通にご飯を食べて、余暇を過ごしていると、机の上に置いてあったメモ帳が目に入った。 何となくお絵描きをしたい気分になり、ペンをとった。その瞬間、私の書いたメモがあることを思い出した。 なんだか、緊張した。 メモにはこう書いてあった。 家に帰ってきた、つぐみ

寒い日に気づいた幸せの瞬間

夏から秋を通り越して 冬になってしまったのではないか・・ ....と思うくらいに 最近は朝晩の冷え込みが厳しい 早朝は肌寒い上にまだ薄暗くて なかなかテンションが上がらない 就寝中に自分の体温で ほんわか温まった毛布が ヌクヌクっと 気持ち良くって・・ それに思いきり包まりながら " お願い...あともう1分だけ・・ " ....を いつも5回くらい繰り返し... あー、 もうタイムリミットだ・・ ...と堪忍して しぶしぶ キッチンへと向かう

優しさをそっと包み込んで・・・

なんとなく心が疲れてるな... ...って感じる時、 私は やってることをほっぽらかして.... お菓子作りを始めてしまう癖がある。 お洗濯...途中なのに・・ お掃除....途中なのに・・・ あぁ...私って、、 やっぱりイケナイ乙女・・。。 これまでずーっと猛暑が続き.. ひんやりアイス君が 私の恋人として・・ 毎日のように 私の側に寄り添ってくれていたのだが.. そして今もなお・・ 良好な恋人同士の関係にあるのだが... ここ最近、、

新谷仁美らしいやさしさ

いよいよ今週末、 11/22(日)に迫ったクイーンズ駅伝。 応援してくれるファン・従業員へのメッセージを、 新谷仁美選手に聞きました。 彼女はこう答えます。 「現地での応援をお控えください(笑)かな。本当はコロナでも何でも来てくださいっていうのが、正直な本音ではあります。でも、今はコロナに対して考え方や”こうしたほうがいい”というのが少しずつ習慣づいているところ。その中で、現地に来て応援して欲しいとは言えません。みなさんが積み上げてきたことさえ、崩れてしまう可能性があります

【山口コンボイのケガは何個?まとめてみました!】

山口コンボイさんは吉本興業で活動している「ケビンス」というコンビのボケ担当のお笑い芸人です! M-1グランプリ2021の3回戦、準々決勝でのジャンプ力がTwitterで話題になりました! そんな山口コンボイさんはケガが多いことで有名ですが、いったい何個ケガしてる!?今でもそのケガは見れる!?学習能力はある!?まとめてみました! ケガの多い生涯を送ってきました。 僕は本当に落ち着きの無い子どもで、目を離したら国道の松ぼっくりを回収しに行ったり墓石をよじ登ったりしていたそ

コンビニゾンビの詩〜ゲーム廃人について〜

あの日僕の身体は 音もなく彷徨い出した 赤い目とボロい服で ウロウロする僕はコンビニゾンビ ぬくもりを求めてカップ麺を買い漁る 帰ってゲームをするまで、眠れない…

やさしいって、強い。

「人の痛みがわかる、強い人になりなさい。」 物心ついた時から、これだけを口すっぱく言われて育った。学校の勉強よりもっと、もっと、大事なことがあると。 母がこの言葉を言う時の顔が好きだった。真剣で、やさしくて、少し遠くを見つめているような顔が。そしていつもこの言葉が続いた。 「いじめられている子がいたら、あんたから話しかけに行きなさい。必ずやで。」 テストで満点を取ったことより、不登校だったクラスの女の子の郵便ポストに毎週プリントを届けていたことを褒められていたっけ。

HERO

少年野球チームに入らなかった理由を 僕はいまだに覚えている。 僕のヒーローに会うためだ。 生まれた時から親の教育で阪神ファンだった僕は、子供の頃から父がテレビでナイター中継を見ることが苦ではなかった。 物心ついたときから野球が好きだった。 そんな自分が、周りの友達がほとんど入っている少年野球チームに入らなかった。 入ってもいいよと母にも言われていた。 でも断った。     吉本新喜劇が見られないからだ。 子供の頃からお笑いも好きだった。 だが、父母ともに教師

おっぱいがスープカレーになった話

こんにちは。 実家が全焼したサノと申します。 僕は大学生の頃、 冬休みに友人と北海道旅行に行きました。 札幌に着くとすぐにジンギスカンや 山盛りのいくら丼などを楽しみました。 どれも美味しく、 食事に満足した僕たちは 少し浮かれてしまったのか、 人生で初めてキャバクラに 行くことになりました。 友人は 「キャバクラとか余裕だし」 とキャバクラが余裕な人は 絶対に言わないであろうセリフを 何度も念仏のように唱えていました。 案内所のお兄さんにお店を紹

孤独に病気と闘う人に言葉をかけたい優しいあなたへ

やさしいあなたでも、病気と闘う人がいたらどのように言葉をかけたらいいかわからなくて言葉を飲み込んでしまう場面があるかもしれません。 そんなときはこの記事を読んでください。 わたしがたったひとりで闘っているにように感じていたときに開発した独自のメソッドです。 病気と共存して儚く逞しく生きている人にしてあげられることでもあるし、 寂しくて死にたい。特に理由はないけれど消えたい。 そう思っている人にしてあげられることでもあります。 周りに誰もいなくてこの記事にたどり着い

優しさの形

"やさしさ"とは受け手によって感じ方が異なるものだ。 本人が"やさしさ"だと思って起こした行動も、得てして良い方向にいかない事がある。 1つ体験談をお話ししよう。 それは、用事で電車を使い移動しなければならなかった時の話。 その日、満員とは言えないものの、それなりに人がひしめく電車の中でなんとか空いている席へ座り、一息ついている時の事だった。 目の前に腰の曲がったおばあちゃんが現れたのだ。 70代くらいだろうか、眼鏡をかけたおばあちゃんは電車が少し揺れる度に体制を崩して

誰もがみんなサンタクロースになれる

子供の頃に一度だけ、玄関の扉からサンタクロースが入ってきた事がある。 ご丁寧に、きちんとインターホンを鳴らした上で。 思えばおよそ数日前、駅前の玩具屋になんとなく連れて行かれ、まんまと武者ガ○ダムのプラモデルを指さして、これが欲しい、とせがんだところで、父にあしらわれていた。 そして、来たるクリスマス当日、早めの夕飯を食べ終えた頃、玄関でチャイムが鳴ると、顔を見合わせた両親は、僕と姉に扉を開けるように促した。 姉と声を合わせてせーので扉を開けると、 赤い衣装に身を包み、

たった1分間の親子の会話で感動した話

いつも通り、私は夜ご飯を買いにスーパーに行き、いつも通りの道で自宅に向かっていた。 スーバーの買い物を終えて、家に向かっている途中、横断歩道を待っている親子がいた。 男の子は4歳とか5歳ぐらいだろうか、右手でお母さんと手を繋ぎ、最初はしっかりとは見えなかったが、左手で飛行機のようなおもちゃを持ちながら、「ぶーん」とか「ビューンとか」言いながら振り回していた。 どうやら飛行機ごっこしているらしい。 「今でも飛行機で遊ぶ子供なんているんだ」と思ったが、あまりにも笑顔で振り

うれしいこと

えんぴつを走らせる音がきれいだった

私は、一度だけ面と向かい合って、似顔絵を描いてもらったことがある。 学芸員として働き始めたころ、個展をしていた画家ご本人が来場されて、そのときに描いてもらった。 ある昼下がり、会場へふらっとその方はいらっしゃった。 その方からは、優しさと頼もしさがにじみ出ていた。 長年、高校の美術教師を務めていたそうだ。 私は、出会ってすぐに、その方を「先生」と呼びたくなった。 政治家や偉い人を「先生」と呼ぶようにではなく、親しい恩師に話しかけるような気持ちで。 先生は、画材道具を持ち

やさしいって、うれしい。

四月、第三金曜日。 私は嬉しい。 朝、自分のミスに気付いた。とんでもないミス。すぐに報告しなければ。 「あの、すみません。お時間宜しいでしょうか?お伝えしたいことがありまして、、」 「うん。どうしました?」 あぁ、怒られる。 怒られるのならまだいい。絶望されたらどうしよう。昨日仕事ぶりを褒めてもらったばかりなのに。 「実は、、、」 私はミスの内容を一気に伝えて、すかさず謝罪。 「本当に本当に、申し訳ありません。」 「あらま。そうでしたか。でもそんなに気にし

アナタが見えなくなるまで...

私は人との別れ際、 相手の姿が見えなくなるまで 見送ることを ポリシーにしている。 そう... アナタが見えなくなるまで・・ うちの父は、 私が幼い頃から会社経営をしており、 そのため... 会社だけでなしに.. 自宅にも... それこそ頻繁に.... 来客が絶えなかった。 そして 父は、 来客がお帰りになられる際 玄関先でお見送りすることはせずに 毎回必ず... 来客の半歩 後ろに寄り添いながら 駐車場までお供をして そして... 来客の

「やさしいあなたを知っている」と伝えるのは、一つの愛情表現かもしれない

あの人は、電車の扉の位置がわかるのかな──。 初めて目の不自由な方に声をかけたのは大学4年生のとき。2011年の夏。 短期インターンのために上京し、乗り換えの電車を待っていた朝だった。 田舎から出てきて人の多さに慣れず、下を向いてばかりいた。 そんな中、左右違う色の靴下を履いている女性の存在に気づいたのだ。目線を上げると、その人は白状を持っていた。 ホームの中央あたり、点字ブロックのない場所に立っていたのを見て冒頭の疑問が浮かんだ。 自分の中にうまれた素朴な疑問をほお

教えているつもりで教わったのは私だ

その日、息子は私に怒られていた。 ある小さな約束を守らなかったからだ。 私は約束の大切さを説いた後、 「ママは息子くんのことが大好きだよ。でも悪いことをしたら怒るよね。どうしてか分かる?」と聞いてみた。 息子はしばらくじーっと考え込んだ後 「……分かって欲しいから?」と答えた。 私はちょっと意表を突かれた。もっと目先の「僕が約束を守らなかったから」とか「悪い人になって欲しくないから」というような返事を予想していたからだ。 でも考えてみたら、私が怒っているのはまさに