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太郎

しつけが厳しかった。

子供の頃を話すとき、僕がよく使う言葉だ。

マイナスな言葉に聞こえるが、両親への感謝の言葉として使っている。


以前にもここに書いたかと思うが、僕の両親は教師だ。父親は校長も務めたことがある。

両親公務員という安定している家庭、ごくごく平均的な家族を表すかのように僕は、

「太郎」と名付けられた。

お察しの通り、長男だ。

世界のイチローは次男なのに「一朗」とつけられた。

僕はなんのひねりもなく、上になにかつくわけでもなく、ザ長男として「太郎」と名付けられた。

木﨑家の教育は、徹底していた。

木﨑家のルール。

朝はNHKのニュース。民放のバラエティはあまり見せてもらえなかった。

嫌いな食べ物をもたない。嫌いな食べ物が判明すると克服するまで永遠にその食材が出された。

しめじが嫌いなときはヨーグルトにも入れられた。

漢字は書き順通り書く。漢字が合っていても書き順が違えば、それは間違いだと指摘された。

家事は兄弟で分担する。料理以外はほとんど子供たちが家事をこなしていた。

箸は正しく使う。冷凍食品はなるべく食べない。テレビを見ながら食事をしない。

色んなルールがあったが、意外にも学問に関してはあまり口うるさくなかった。

かくして僕は、

良く言えば「真面目」

悪く言えば「平凡」

まさに「太郎」として育った。

両親の遺伝も結果的に平均的だった。

歌の上手い母と音痴な父。

太郎の歌は「普通」

綺麗好きな母にガサツな父。

太郎は「普通」

料理好きな父に料理下手な母。

太郎の料理は「普通」

読書好きな父に本を読まない母。

太郎の文才は「普通」

こうして僕は「太郎」のど真ん中を走っていた。

だったら今の職業、芸風は「太郎」への反発か?

いやそうではない。

僕は両親からいただいた「太郎」という土台に、金のスーツを纏い、舞台に立っている。

正反対な父と母の遺伝を受け、唯一無二の「太郎」を目指している。

「太郎」はもはや一周回って新しい。

木﨑という苗字に

太郎という名前

このアンバランスな芸人を正反対の父と母が産んでくれた。

感謝しかない。

もうひとつ、正反対な父と母のエピソードがある。

大学とNSC、同時に通っていた僕に、父はどちらかにしろと迫った。

僕が大学を辞め、NSC一本に絞ると言うと

父は大学は出ろと怒ったが、

母は学費が浮いたと喜び、次の週からハワイへと旅立った。

正反対だ。

父よ母よ。もう少しこの世界で頑張ってみるよ。

そして、美しい顔に産んでくれてありがとう。








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