塩浦良太

1998| 柏崎-金沢|株式会社リハス | 広報、マーケ、クリエイティブデザインなどな…

塩浦良太

1998| 柏崎-金沢|株式会社リハス | 広報、マーケ、クリエイティブデザインなどなど| 思ったことやこれまでを、ありのままで。|溜まった言葉の置きどころ。

マガジン

  • 2024年1月1日以降の記事たち

    2024年1月1日以降の記事たちをまとめたマガジンです。

  • ”言葉”について

    ”言葉”をテーマに書いた記事たち

  • 抽象的な言葉の言語化

    世の中で当たり前のように使っているけど、しっかりと言語化できていない言葉の個人的な解釈をまとめたものです。

  • 自分の弱さと向き合う

    自分の弱さが誰かの強さを引き出す、そんな何かのきっかけになれば。

  • 推薦図書・曲

最近の記事

  • 固定された記事

自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

「え?」と思うタイトルかもしれないが、何よりこれに気づいた自分が驚いている。 以前、就活についての記事を書いたが、民間を目指すことに決めて、初めて本当の自分に出会えたと思っている。そう思うのはなぜなのか。時は幼少期までさかのぼる。 もう誰も離れてほしくない幼少期、両親が離婚し、私は父と祖父母と暮らすようになった。姉と母とは別々だ。 その時はどう思っていたかは覚えていないが、違和感は覚えていたのだろう。寂しかったのは覚えてる。もしかしたら「もう誰も離れてほしくない」と思っ

    • 知らなくても困らないけど、知ってたらちょっと役に立つことをたくさん拾っていきたい

      今日、新たな発見があったからシェアをしたい。 きっと身近な人に言っても、この感動ってなかなか共有できないから。きっと自分もうまく説明できないから。 ひとりごとくらいがちょうどいい。 以前、「採用サイトつくったよ」という話をした。 実はそれに続いて、違うサービスページも製作していて。 デザインは整ってきたんだけど、どうしてもページが重い状態だった。WEBページにとって「ページが重い」って致命的だ。見たいのに表示されないって、ユーザー体験的に最悪。 でもね、なかなか原因が

      • 根っこの部分、失ってないか

        「好きでいることまであきらめる必要はないよ」 あるドラマでのセリフが、いつまでも強く残っている。 すごく大事なことを教えられている気がするから。 子どもから大人までずっと大切にしていた方がいいことで、だけど大人になればなるほど、失いがちなものだとも思うから。 子どもの頃って好きなものを追っていけばよかった。 昼休みや放課後は自分のしたいことをやり、夏休みの自由研究では興味のあることを調べ、気になる課外活動や部活動をやる。そうやっていろんなことをやっていく中で、自分の「

        • 日常に彩りを

          定期的に日常に彩りを欲したくなる。 同じことの毎日だと景色は変わらない。 時間だけが過ぎていくかたちになる。 でもそれを望んでいるのは自分だったりする。 変えるも変えないも自分次第だから。 でも変えるにはエネルギーが必要だ。 だから変えずに流れに従っていく。 チャップリンの言葉がある。 好きな言葉の1つだ。 ただ、日常同じことの繰り返しでやっていくと、ロングショットで見た時にその期間色がずーーーーーっと同じことになる。そんなの絵としてつまらない。 だからやっぱり日

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        自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

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        • 2024年1月1日以降の記事たち
          230本
        • ”言葉”について
          206本
        • 抽象的な言葉の言語化
          257本
        • 自分の弱さと向き合う
          233本
        • 推薦図書・曲
          51本
        • 福祉のこと。
          100本

        記事

          起承転結

          「起承転結」 皆さんはどんな時に使うだろうか。 どんな時に意識をするだろうか。 聞いたことはるけれど、意識はしたことないかも、、、 という方も多いかもしれない。 そもそも起承転結ってなんだろう。 ざっとこんな感じ。 要は、1つの物語には起伏があり、なおかつそれらは全部つながっているということ。それには順番があるということ。裏を返せば、この順番がごちゃごちゃになることでつながるものもつながらなくなっちゃうよ、ということ。 よく小説などの作品や映画のストーリーなどでは起

          起承転結

          一気にやろうとしない

          絶賛タスクマネジメントを鍛えている私であります。 今までメモ帳1本でタスク整理をしていたんだけれど、 ついにメモ帳だけでは追いつかない状態になってしまいました。。 いや、上手くやれば出来るんだろうけれど、そこまで効率がいい人間ではないので段々と"ごちゃごちゃ"してくるんです。 やることがたくさんあるという意味では嬉しい悲鳴なのですが、 という感じで業務関係で人間関係とボール保持者の矢印がぐるぐるぐるぐるに絡まっちゃってくるんです。 学生の頃の責任領域とタスクの量であ

          一気にやろうとしない

          なんのために言葉を磨き続けるの?

          こうやって毎日文章を書くのは、 自分自身の考えを整理するためでもあるし、 日記的感覚でもあるし、 副産物的に誰かに届いたら嬉しいなぁっていう想いもあるから。 常に「よりいい表現は何か」「よりよい言葉選びは何か」を考えている。 ここでの「よい」って抽象的だ。 イメージとしては〝伝わりやすい〟〝映像が浮かびやすい〟といったところか。語彙が増えればいいというわけではない。 磨き続けた先に何が待っているのか。 別に自分は作家になれるほどの力があるわけじゃないし、文筆家になるわ

          なんのために言葉を磨き続けるの?

          見積もっていく

          時間に支配されてしまうんじゃなく、 時間に追われていくんじゃなく、 自分で時間を支配していきたいな、と思うんです。 ありがたいことに日々目まぐるしいです。 「やること」があるってありがたいです。 人間、というか自分の場合、 ポッと間が空くとふといろいろなことを考えてしまうから。 たまに考えるのはいいんです。 でもよくない流れになっている時に考えすぎちゃうと どんどん沼にハマっていきます。 だから充実している方が、自分にとっては健全で。 で、じゃあ時間自分で支配していくため

          見積もっていく

          そこに理由はある?

          いろんなことに理由を持たせていきたいなと思うんです。 なんでそうしたのか、と聞かれたときに、 「~~という理由でこれを選びました」って。 ちょっと堅苦しいかもしれないけど、 理由があるということは、自分なりに考えたというわけで。 考えたということは何かしらの根拠があってそれを選んだわけで。 もちろんそれが必ずしも合ってなくてもいいと思います。 結果なんてやってみないと出てこないから。 大事なのは結果が出たときに「振り返れるか」かなと。 これは「うまくいった」としても、

          そこに理由はある?

          やってみて、わかること

          「上手いことできないから不安なんです」 「何もいいものが思い浮かばないからできません」 「どういう結果になるか未知数で」 何かをやる/やらないにおいて、そういった選択基準で「やらない」を選ぶことって多いと思う。 言わんとしていることはわかる。 実際自分もそういう選択基準で物事を選んだことはある。 でも、それだと「そこまで」なんだよなとも思ってきたのは大人になったからだろうか。 大人になってからの方が失敗は怖くなるという。「出来る」と「出来ない」の違いがわかってきて、「

          やってみて、わかること

          自分のことは自分が一番見ているよ

          〝自分のことは自分が一番見ているよ〟 偶然見つけたそのフレーズが、強く胸に残る。 これって、よく「人にバレていなくても、神様には見られているよ」的な側面で語られることがあるフレーズだと思う。 もちろんその側面は大事にしたい。常にみられていることを意識した行動、いつどの瞬間を切り取られても恥ずかしくない行動は大切にしたい。 だけど今回は使い方がちょっと違う。 もっともっと自分を包み込むためのフレーズだ。 人間、生きてると自分の想いが正しく相手に伝わらない時ってある。 想

          自分のことは自分が一番見ているよ

          愛情を持ててるか

          こうも毎日noteを書いていると、最近のことで「そういえばあのテーマについて書いてたっけ?」みたいなことはよくある。 だからもしかしたら書いているかもしれないし、書いていないかもしれないんだけど先日会社で新しい採用サイトをリリースした。 「サイトをつくった」 と言ってもすべてをつくったわけではない。ただ結構関わった(自己評)ので「サイトをつくった」と言っても言い過ぎではないだろう。 しかし自分は難しいコードが書けるわけもなく。 こちらは「ノーコードツール」と呼ばれる、

          愛情を持ててるか

          チューニング完了

          弾丸の帰省を終えて現在の拠点へ戻ってきました。 「懐かしかった~」「みんな変わってなかったな~」 といった記事は昨日書きました。 この記事ともちょっと関わる部分であるけれど、帰省ってほんといろんな意味で「チューニング」される時間だなと思ってます。 「いろんな意味で」はいろんな意味で。 なぜなら帰省先は自分の育った場所であり、原点だから。 0→1をつくった場所になります。 ここで気を付けたいのは、原点=正しい、というわけではないということ。 確かに原点は自分の基準を

          チューニング完了

          変わってるけど、変わらない

          今、絶賛実家に帰ってきてます。 お盆休みがあるわけじゃないので、そんなに長居はできないんだけど土日もあいまって帰省中。 この時期になると年1で小中の同級生数名と会ってご飯にいくんです。 おたがいの「生存報告」的な意味合いも込めて。 まずは今年もそれができたこと、よかった。 そこで会う数名がめっちゃ当時から仲良かったかというと、当然仲は良いんだけど「四六時中一緒にいました!」という感じではなく。むしろちょうどいい感じの距離感で。 なんというか、そもそもが1学年50人くらい

          変わってるけど、変わらない

          消去法じゃなくて”積極法”で選びたい

          皆さん消去法で何か物事を選んだことはないだろうか。 ちなみに私はある。 パッと「あの時、、」というのは出てこないんだけど、出てこないということはそれくらい日常と化してしまっているのかもしれない。 「~~でいいや」みたいな。 でも冷静に考えて、それってあんまりよくないよなって思う。 こういったことをいちいち考えだしたらキリがないのかもしれない。だけど消去法で選ばれる/選ばれないそれぞれには、それぞれの背景があるわけで。 それらを「こっちの方がまし」というのは、選び方の1

          消去法じゃなくて”積極法”で選びたい

          やっぱり諦めたくないこと

          日常の中で日々揉まれていると、現在地を見失うことってあると思うんです。嬉しいことがあったり、苦しいことがあったり、ハッピーがあったり、バッドがあったり。 そんな中でもやっぱり自分がしあわせになることは諦めたくないことだなって思います。私が私をしあわせにしていきたいなって。 ここで湧き上がってくる問題が、 「じゃあ、しあわせってなんなん?」 だと思うんです。たぶん過去にも書いた気がするし。 結論、難しい問題だし、きっと1個じゃないんだろうなとも。 ただ暫定だとしても言

          やっぱり諦めたくないこと