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バランス

弱音を吐ける場所がどんどんなくなっていく。

それは大人になればなるほどなのか、人によって違うのか。
そこまではわからないけど、
〝言ってもしょうがないかも〟
という線引きをしちゃうのは、いろいろなことがわかってくる・自分にかかる責任が増してくる大人の宿命なのかもしれない。

そもそもあまり弱音を吐きたくはないタイプである。
吐いてしまうとそれを自覚してしまうから。
言葉ってそれくらいにパワーは持っている。
何なら相手も巻き込んでしまうし。

だけどそれは自分の「コップの中」の話であって。
それが溜まりにたまって溢れてしまったら、
今まで何とかやってきたものが一瞬にして崩れていく。

溢れないためにも、等身大の言葉で外に吐き出すことで、
ちょっとずつちょっとずつコップの水を減らしていく作業になる。

その「ちょっとずつ出す」作業が出来てるか、って定期的に確認が必要だ。

何かに一生懸命になると目の前のことに精一杯になって自分のことは後回しになっていくから。自分の変化って気づきづらい。

それに加えて、「そんなこと言ってもしょうがない」から「そんなことも言ってられない」に状況が変わってきたから。もっと言えば「そんなこと言ってる暇もない」か。

だからこそ、意図的にでも吐き出す場所をつくっておくことって大事だなと。自分以外の人にシェアする場所、そしてそれが悪ではないということも自覚すること。それを受け止めてくれる相手、場所を見つけること。

1人であることは悪いことじゃないと思っているんだけど、
独りであることはあまりよろしくないと思っていて。

「自分には自分がいるから平気」というマインドであることは大事だと思っているんだけど、「信用できるのは自分だけ」というマインドであることはあまりよろしくないと思っている。


生きていれば上手くいかないことはあるし、納得いかないこともある。

どこかに言い訳を求めたくなる時もあるけれど、
それこそ言い訳をつくったって事実は変わらないのだから何の意味もない。

そのことがわかってるからなおさら消化されない。
でもまた明日はやってくるし、明後日もやってくる。
1日1日を繋いでいかないといけないんだな、と。

踏ん張っている中でも、
自分の中の優先順位はちゃんと守らなきゃいけない。
何かあったときに、何を一番大切にするのか。

自分自身を優先させてあげたいなって思う。
それくらい頑張ってきているし、これからも頑張っていけるから。

で、誰かを頼りたいときは思い切って頼っていく。
逆に相手が困っている時はどんと受け止める。

そういう持ちつ持たれつの関係性、バランスある状態が理想的だなと思う。


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