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僕の理性には限界がある
僕の好きな考え方で、人間の理性には限界がある、というものがある。
当たり前のようで、すぐに僕たちはその限界を超えたような顔をして、のうのうと生きてしまうのだ。
これは賢者は謙虚たれ、というような人生訓としての標語などのようなものではない。
人生訓以上の何かを含んでいるとおもう。
そう思わせるきっかけは、僕の人生の中で何度も追体験される、原体験に見出すことができる。
僕は自慢ではないが、小学生の
勉強嫌いな男の子とSDGs
「勉強は苦手だけど、自分の将来のためには必要だから勉強しないといけないんだよね」
とある中学生男子の発言です。
彼を仮にTくんと名付けましょう。
Tくんにとってみれば、社会は実に不明瞭なものとして立ち上がっているわけです。思春期はそういう時期ですよね。
もう少しで大人になるけど、大人になった後の姿なんてまだ想像できない。
感受性の強い子ほど大人になった後の自分像を妄想し、ときに絶望したりするもの
宇宙よりも、深海よりも、自分のほうがもっとわからないかもしれない
宇宙は謎に包まれてて、同じぐらい深海も謎だらけ。
そんなことよりも。
自分のことの方がずっーっと謎だらけだ。
今日悲しいのに、明日は嬉しい。
今日はすごく楽しい、昨日は死にたかったのに。
気分なんてすぐ変わるし、自分像もコロコロ変わる。
それがダメだって思ってるのはアイデンティティを信じてるからじゃないかと思うんです。
アイデンティティなんてございません。
自己同一性なんて糞食らえ。
今日の自
責任追及って、生贄だよね
責任追及って、生贄(いけにえ)だと思うんだ。
ちなみに、僕はENTP-Aだから倫理観とか皆無。
その僕がどうして責任の追及を生贄だと思うかを考えてみた。
責任を感じる人って生きにくいと思うわけだよ。
「失敗したら周りに迷惑かけるかも」
「失敗したら自分はここにはいられなくなるかも」
そんなことばかり考えて生きているのは不健全だしね。
仮にだよ、5人の人間がいて、その中にリーダーが1人。
その集