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勉強嫌いな男の子とSDGs

「勉強は苦手だけど、自分の将来のためには必要だから勉強しないといけないんだよね」

とある中学生男子の発言です。
彼を仮にTくんと名付けましょう。
Tくんにとってみれば、社会は実に不明瞭なものとして立ち上がっているわけです。思春期はそういう時期ですよね。
もう少しで大人になるけど、大人になった後の姿なんてまだ想像できない。
感受性の強い子ほど大人になった後の自分像を妄想し、ときに絶望したりするものです。
でも、実際に社会に出たことはないという自意識の中で生きているわけです。
だから、自分がどうやって生きていっていいかわからないから大人の期待ベースの発言に従っておくわけです。
そこそこの学歴を手に入れて、安定して生きていって欲しいという期待に。

もちろん、そういう期待を持ってしまう、親御さんの気持ちもわかります。
中高大と進み、就職活動をして、大企業に就職する。
これをプロトタイプな時代遅れの価値観だと断罪してもなんの意味もありません、というか、誰も救われません。
大人だって社会がどういうものか、本質的なところは何一つ理解できていないし、自分だって不安なのです。
あるものを大切にしすぎて、あるもの / そのものを見ることができないのです。
でも、そうなってしまう大人の気持ちも僕はわかりますし、あなたもわかるのではないですか。

ただ、それは持続可能なのでしょうか。
というか、持続可能な社会をつくっていくっていうのはそういうことなのでしょうか。
僕にとってSDGsは社会課題などではなく、個人の課題と思えてならないのです。

女性の社会進出が進まないと、女性は将来の自分像を母親や学校の先生、看護師に求めることになるでしょう。
すると、それらの職種等に適正のないような人は社会参加に対して消極的になるはずです。
男がお金を稼ぐものだとされている社会では男性の将来像も固定化しますし、その将来像にすがり、苦しむ人も出てくるでしょう。

不平等が当たり前となった世界では、やはり既存の価値観にすがることへのインセンティブは上昇します。
学歴を過度に重要視してきた社会では、学歴によって能力が判断されると信じて疑わない人も多くなるでしょう。
すると、20代そこそこでFランクの大学に進んだ学生は、自分の人生の期待値を下げ、自分の人生をくだらないと自暴自棄になるかもしれません。

SDGsを考えるとき、僕は社会で包括できる人数を増やすために必要なゴールという風に言い換えて考えるようにしています。
もし、自分の息子がセクシャルマイノリティだったら?
親しい友人が発達障害で、みんなと違うことに絶望したら?
僕が息子が病気になってすぐに仕事を休めない環境だったら?
僕の孫が環境変動の激しい世界でしか生きられなくなって、外遊びが禁止されるような学生時代を過ごしたら?

持続可能な発展を目指す社会に生きていなければ、僕や僕の大切だと思っている、あるいは大切だと思うだろう人たちが、不運からすぐに社会からあぶり出されてしまいます。
その人たちが、自分が貴重だと思う体験ができなくなってしまいます。
それは、損得とは別次元で、純粋に悲しいことなわけです。

ここに多様性の許容を求める運動の全ての共通点があります。
「大切な人を頭に浮かべながら考えろ。お前がしてきたこと、しようとしていることと同じことをそいつらにできるのか、あるいは、させられるのか?」
SDGsは僕たちに、この問いを優しく突きつけているだけなんだと思います。

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