ツチソリサトヨ

あなたの愛の挫折の全ての答えが僕のnoteにあると自称しておきます。

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マガジン

  • 人を愛することを取り戻すマガジン

    僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?という共通の話題について書いているシリーズです。 初めは恋から愛に至る過程、その後、世に蔓延っている悪しき「愛」への誤解を解くために書いているつもりです。 高校生や大学生、20代の恋愛に悩める方々の気づきになればと思います。

最近の記事

僕は高校生のとき、男にレイプされた

僕は高校生のとき、男にレイプされた。 相手はおじさん。 肌がザラザラしてた。 僕の唇を奪ったその口は、タバコの匂いがした。 僕を抱いたその腕は、加齢臭がした。 夏のある日、ハッテン場と呼ばれる公園での出来事。 ハッテン場であることを知る由もない「異性愛者だった」高校生の僕は、彼女を待っていた。 あるおじさんは遠くから、舐めるように僕をみてた。 おじさんは僕を身勝手に扱った。 僕を見るその目は、目の焦点があっているようであってなかった。 どこか、僕ではない何かを見ているよ

    • 「空気が読めない」ってなんだ??

       僕は、「空気が読めない」って言われ続けている人生だが、「空気が読めない」ってなんだろう。というか、そもそも空気ってなんなんだろう。その辺を考えてみた。  「空気」とは、まあ言ってしまえば、なんかよくわからないものなわけだ。山本七平以下、多くの研究者が議論してきた話題でもあるし、日本の社会問題の根源にはこの「空気」なるものが横たわっている。  空気は、2人の間では関係の空気としてあらわれ、3人以上集まると場の空気としてあらわれるというのは有名な話だ。それは空気の分類でしか

      • 私塾でのアクティブラーニングの活用

         私塾でアクティブラーニングをどのように活用すべきかということについて僕の意見をここで書き留めておきたい。  アクティブラーニングを私塾でというと、半ば不可能だろうとたかを括りがちだ。僕も半ばそのうちの1人であったわけだが、それはアクティブラーニングの目的を主体的な学びの定着と考えていたことに起因する。否定派であった僕の主張は、主体的な学びなど万人に提供できるわけもなく、成績優秀な生徒の資源を無駄に食うだけであるというものでしかない、であったわけだ。しかも、学習塾の基本的か

        • 塾講師が真剣に「勉強」の「必要性」を考えてみた

          真剣に考えてみるのも悪くないと思える話題自体がこの世の中には限られているのですが、その中でも自分の立場的には考えざるおえないものもあるわけです。 僕は塾講師を初めて約10年ですが、常に問い続けている命題があります。 それは、勉強は必要かどうか、ということです。 世の中に溢れている答らしい答えも、僕にとっては全ては嘘のように聞こえます。何かしら教育に関わっている人たちの中でも少なからずこの問いを取り巻く不穏な空気感に違和感を感じる方もいらっしゃるかと思います。 そのような方々の

        僕は高校生のとき、男にレイプされた

        マガジン

        • 人を愛することを取り戻すマガジン
          5本

        記事

          僕の理性には限界がある

          僕の好きな考え方で、人間の理性には限界がある、というものがある。 当たり前のようで、すぐに僕たちはその限界を超えたような顔をして、のうのうと生きてしまうのだ。 これは賢者は謙虚たれ、というような人生訓としての標語などのようなものではない。 人生訓以上の何かを含んでいるとおもう。 そう思わせるきっかけは、僕の人生の中で何度も追体験される、原体験に見出すことができる。 僕は自慢ではないが、小学生の時から要領とノリで大体のことはうまくいくようなガキだった。 だから、抜け道を探し

          僕の理性には限界がある

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?④「POPミュージックと愛」

          J-POPを第一の補助線に 若者がどんな音楽を受け入れてきたか、ということは若者の恋愛形態の一側面を記述しうると思うので、2つを例にあげて対比で考えてみたい。 一つ目。荒井由実(=松任谷由実)の『ひこうき雲』には以下のような一節が出てくる。 白い坂道が空まで続いていた ゆらゆらかげろうが あの子を包む 誰も気づかず ただひとり あの子は昇っていく 何もおそれない、そして舞い上がる 荒井由実『ひこうき雲』より引用 二つ目。最新(?)のヒット曲から。 グッバイ 君の運命の

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?④「POPミュージックと愛」

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③

          さて、これが真の③。雑多だけど、①と②をあげておきます。別にこれらを読まなくても理解できると思うので、必須ではないです。 「性」今日は「性」を取り上げたいと思う。 僕は一応、教育が専門分野だから、教育についての社会指標とはとりあえず頭に入っている。 若者の性体験率は年々減少している。07、08ぐらいがピークだったはず。 そうなる要因の定説は「男子の草食化に伴って、女子も草食化した」という論だが、それはあまりに無鉄砲というか、無理解というか。 そんな分析しかできないから若者

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③‘

          生徒数名が今までの記事を読んでくれ、感想をくれた。 ある意味衝撃的で、ある意味率直な意見があった。 「そこのレベルまで達してないです」 「そもそも友達と目的を持たずに関わることができないです」 うん、その通りだ。気持ちはわかる。 だから、今日はもっと初歩的な人間関係について話を進めたいと思う。 まだ①、②をお読みいただいていていない方は下記リンクから。 https://note.com/chusotu_jyukukou/n/ne115e30b3c48 https:/

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③‘

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?②

          愛を育むことを阻害する要因を考えるための補助線僕たちは相手からの返答を予期できる可能性の幅に収まるものだと思って生きている。 それを社会学では「コミュニケーションの予期可能性」と言ったりする。 相手からの返答が予期しにくい / できないところでは人は社会生活を送れない。 当然だよね、だって、相手に何言われるかわからない、つまり、会話の先が見えないとそもそも他人と話すときに安心できない。 つまり、コミュニケーションを考えるとき(故に、愛について考えるときも)、予期可能性が問題に

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?②

          勉強嫌いな男の子とSDGs

          「勉強は苦手だけど、自分の将来のためには必要だから勉強しないといけないんだよね」 とある中学生男子の発言です。 彼を仮にTくんと名付けましょう。 Tくんにとってみれば、社会は実に不明瞭なものとして立ち上がっているわけです。思春期はそういう時期ですよね。 もう少しで大人になるけど、大人になった後の姿なんてまだ想像できない。 感受性の強い子ほど大人になった後の自分像を妄想し、ときに絶望したりするものです。 でも、実際に社会に出たことはないという自意識の中で生きているわけです。

          勉強嫌いな男の子とSDGs

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?①

          しかし、なんでこうも僕たちは誰かを素直に愛することができないのだろうか。 なぜにこうも相手と愛を育めないのだろうか。 そう思い悩む若者に届けばいいなとこの連載を勝手に初めてみる。 愛に至るまでの挫折誰かのことを好きになる、相手も同じ気持ちだと知る、相手と過ごす時間が増える、もっと相手を愛おしく思うけど、傷つくことも多い、でも相手を受け入れ僕たちは愛を育んでいるのだと知る。 こういうのを愛というのかもしれないね。 愛については今後深く掘り下げるから、今は俗世的な理想的ラブスト

          僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?①

          バイセクシャルが向精神薬を飲んでノンケになった話①

           僕はバイセクシャルを自認していた.バイであることに気がついたのは19歳の時.大学1年生のときだった.  友達のことを好きになったとか,男性の裸体にドキドキしたとかベタな気づきエピソードはなく,ゲイビデオを見て自慰行為できたことがきっかけだった.興味本位で見たビデオの中でのあれこれに興奮している自分がいた.風俗で女王様にお尻を開発され,それからお尻を自ら開発し始め,お尻で気持ちよくなることを学び,男性経験も積んでいった.本気で好きになった男の子もいたし,告白されたりもした.

          バイセクシャルが向精神薬を飲んでノンケになった話①

          やさしさ

          「僕は1児の父です。子供の笑顔を見ると元気付けられます。幸せです」 さて、この1文にどんな意味が込められているでしょうか。 私たちは無意識のうちにその言語に込められた文脈を一人称視点で読み解いています。これが人間の解釈というものです。どうしたって自分の持つ文脈からは逃れられないのです。 少しこの1文について考えてみてください。 「家族思いだな。育児も参加しながら、家事も手伝ってるのかな?仕事も頑張ってるのかな?大変だな。どんなお子さんなんだろう。男の子かな。女の子かな」

          満たされない何か。

          人生は「満たされない何か」に溢れてますな。 うんこしたいのにお腹がもぞもぞして出てこない感じ。 あ、でも、お腹がもぞもぞするってことは満たされてるってことなのかな? うーん、難しいものですね。

          ¥150

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          宇宙よりも、深海よりも、自分のほうがもっとわからないかもしれない

          宇宙は謎に包まれてて、同じぐらい深海も謎だらけ。 そんなことよりも。 自分のことの方がずっーっと謎だらけだ。 今日悲しいのに、明日は嬉しい。 今日はすごく楽しい、昨日は死にたかったのに。 気分なんてすぐ変わるし、自分像もコロコロ変わる。 それがダメだって思ってるのはアイデンティティを信じてるからじゃないかと思うんです。 アイデンティティなんてございません。 自己同一性なんて糞食らえ。 今日の自分じゃない自分があったっていいんだよ。 昨日の自分じゃない今日の自分を生きてみて

          宇宙よりも、深海よりも、自分のほうがもっとわからないかもしれない

          責任追及って、生贄だよね

          責任追及って、生贄(いけにえ)だと思うんだ。 ちなみに、僕はENTP-Aだから倫理観とか皆無。 その僕がどうして責任の追及を生贄だと思うかを考えてみた。 責任を感じる人って生きにくいと思うわけだよ。 「失敗したら周りに迷惑かけるかも」 「失敗したら自分はここにはいられなくなるかも」 そんなことばかり考えて生きているのは不健全だしね。 仮にだよ、5人の人間がいて、その中にリーダーが1人。 その集団が失敗したらリーダーが責任を取る。 謝るし、恥をかく。 「それでこそ人は成長で

          責任追及って、生贄だよね