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僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③‘

生徒数名が今までの記事を読んでくれ、感想をくれた。
ある意味衝撃的で、ある意味率直な意見があった。

「そこのレベルまで達してないです」

「そもそも友達と目的を持たずに関わることができないです」

うん、その通りだ。気持ちはわかる。
だから、今日はもっと初歩的な人間関係について話を進めたいと思う。
まだ①、②をお読みいただいていていない方は下記リンクから。

https://note.com/chusotu_jyukukou/n/ne115e30b3c48

https://note.com/chusotu_jyukukou/n/n696df5ac5605


捨てきれない他者への希望

さて、僕たちの恋も愛も挫折している、しかも根本的かつ絶望的に。
というのが僕の思想の根底にある。というのも。
僕は他人と関わるときに他人との距離感がわからない。
これは幼少期からずっとそうだ。
他人の考えていることも、感じていることも全ては論理的に補完するしかなかった。(まさしくATフィールドが消失した世界で自分を受け入れてくれる人だけをただただ愛し続けることを夢見る1人の男の子(碇ゲンドウその人)なわけだ)

その一方で、他者に対しての希望は捨てきれなかった。
多分、それは他者というか人間を愛することができるように育てられたからだというのも大きかもしれない。
無条件の愛情を幼少期のときから多分に受け取って育てられた。
それについては感謝しかないが、だからこそ他人との意思疎通に齟齬を感じることが多かった。
僕は純粋に他人のために話したことがどうやら他人を傷つけたらしい。
僕が相手の家庭環境を理解してもそれを受け入れて友達でいることを伝えたつもりが、相手は僕をなんでも知ってる気持ち悪いやつと感じたらしい。
僕はあなたの幸せを真に願っていただけなんだ / だけなのに。
はてさて、なんでこんなに人間とは僕の思い通りにならないものなのか…。

僕は人間関係で必要なことは相手のことを理解することだけだと思って生きてきたし、そうやって死んでいくつもりだ。
でも、みんな共感されることや理解されることなど求めているようには見えない。

そんな人たちは、人から愛されることも人を愛することもできないだろう。
だが、そんな人たちだからこそ、愛し合えたとき素晴らしい幸福が訪れるのではないだろうか。
僕は他者というものに対して片想いしているし、希望すら持っている。

そう他者を見るとやはり愛や恋などというものを与えてやりたくもなる。(上から目線でごめんなさい)

僕たちは本質的寂しがりの殻から飛び出さなければならない


僕が見る限り、人は誰しも自分は永遠の孤独の中に生まれ落ちた可哀想な存在だと思って生きている。
これを読んでいるあなたも少なからずそうではないだろうか。
誰にも理解されないと思っている過去の体験や誰も理解してくれないと思っている自分の性格があるのではないだろうか。
そう思い続けながら、その孤独に一生耐え続け、それでも精神を懸命に安定させ、その中で勉強や仕事、家事をこなして生きていくのか。
いつかは破綻して、限界が来るだろう。
残念ながら、というか、幸運なことに、永遠の孤独の中に生きているのはあなただけではないのだ。

人は共感し合えない、それは真理だろう。
僕たちはどこまでいっても相手の全てを理解できるわけはないし、相手の辞書を全て自分の脳内にインストールできるわけでもない。
そんなディストピアの中に懸命に生きているにもかかわらず、僕たちは共感できないと死ぬと本能に要請されている。
誰しもがその中で生きているわけだが、だからこそ、その点においては共感し合えるのではないか。
寂しさは、孤独であることそれ自体は共感できるのではないか。


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