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僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?①

しかし、なんでこうも僕たちは誰かを素直に愛することができないのだろうか。
なぜにこうも相手と愛を育めないのだろうか。
そう思い悩む若者に届けばいいなとこの連載を勝手に初めてみる。

愛に至るまでの挫折

誰かのことを好きになる、相手も同じ気持ちだと知る、相手と過ごす時間が増える、もっと相手を愛おしく思うけど、傷つくことも多い、でも相手を受け入れ僕たちは愛を育んでいるのだと知る。
こういうのを愛というのかもしれないね。
愛については今後深く掘り下げるから、今は俗世的な理想的ラブストーリーの概略的なイメージでもいい。
しかし、僕たちはこの過程の初めから大きく挫折しているのだ。

僕たちは誰かのことも好きになってなどいない

男子諸君、肝に銘じていただきたいことがある。(セクシャルマイノリティについてはごめん)
君たち(もちろん僕も男子なわけだが)がいう「好き」は、女子の「道具性」に対しての反射でしかない。
単に、反射なのだ。

恋愛に対してのモチベーションの高い男子のほとんどが、女子を「好き」になるとき、それは単に女子の表現する「道具性」に惹かれているだけである。
その「道具性」を僕は以下の3点で定義している。

1、機能的であり、

2、外部性を有しており、

3、上記の2つの性質がゆえに、支配可能である。

つまり、男子は女子を機能的であり、外部性を有しており、がゆえに支配可能である女子であるから反射的に行動しているに過ぎない。
理解できない人は以下を読んでね。

<詳細な説明開始>

機能的であるということを保証する最低条件は、因果関係が明確であるということである。
こうすれば(原因)、こうしてくれる(結果)が明確だということだ。
例えば、「かわいいね」といえば、照れる。
声を掛ければ、笑顔で返してくれる。
どうしたの?といえば、素直に困っていることを話してくれる。
これらの例でもわかるように、原因である男子の言動の前に女子の返答は予想可能である、つまり、結果が明らかなのだ。

外部性とは、自分の内部の人格とは切り離して考えることができるものが持つ性質のことだ。
どんな服を着ているかということは自己の内面の表現にはなるかもしれないが、自己の内面を規定したりはしない。
明るい色の服を着れば気持ちは晴れるかもしれないが、それは道具の機能的性質を表現しているので、混合しないように。

因果関係が明確で、自分の内面に影響を及ぼさない存在は支配することが可能である。
支配とは簡単にいうと、力関係の逆転が起こりにくい関係性のことをいう。
僕たちは使っているパソコンに習慣はいじられるかもしれないし、思考も左右されるかもしれないが、パソコンを使って表現することやパソコンをどう使うかまでは変更されない。
力関係は明確で、僕たちがパソコンを支配しているのである。

<詳細な説明終了>

以上のことから男子は女子を「道具」としてみて、相手が自分の深層には影響を及ぼさせない状況で、支配して楽しんでいるのである。
こんなことをいうとフェミニストかと言われるかもしれないが、今から女子をdisるので許して欲しい。

女も女だ

女子は男子に「道具性」を求められていることに対しての無自覚すぎる。
愛され系というジャンルやカワイイという表現からも女子は男子から「道具性」を求められることは明らかだ。

つまり、女子は女子で、男子の欲求をうまく満たせるように取り繕う作法をいかに育めるかということのみが恋愛する最低条件になっている。
感受性の強い女子はそれに対しての違和感を抱えながら男子と恋愛している。
でも、恋愛することに諦められない女の子たちにインタビューするとみんな遠くを見ながら、大切にされていないことを諦観している。
その子たちの口癖は「まあ、男の子はそういうものだから仕方ないかなーって」なんだよね。

まとめ

さて、少しまとめてみよう。
僕たちは男子が求める「道具性」に対して女子が答えることによって恋愛してるわけだが、それは相手を好きになることではないわけだ。
男子のファッションアイテムの一部としての女子がそこにあるだけなのだ。
僕たちの人を好きになる段階での挫折は、それから後の愛を育むフェイズに至るまでの過程で大きな亀裂を生じさせる。
それについては②で。

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