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僕たちが人を愛することを取り戻すにはどうすればいいんだろうか?③

さて、これが真の③。雑多だけど、①と②をあげておきます。別にこれらを読まなくても理解できると思うので、必須ではないです。

「性」

今日は「性」を取り上げたいと思う。
僕は一応、教育が専門分野だから、教育についての社会指標とはとりあえず頭に入っている。
若者の性体験率は年々減少している。07、08ぐらいがピークだったはず。
そうなる要因の定説は「男子の草食化に伴って、女子も草食化した」という論だが、それはあまりに無鉄砲というか、無理解というか。

そんな分析しかできないから若者はいまだに愛を知らないんだと恨言の一つでも言いたくなるような、社会教育学の醜態を晒しているわけだが、それは別の機会に譲ろう。
性体験率の低下は、僕の考えでは、愛を実感できない若者が、愛を知らないが故に、「性」の副産物である「責任」に、直接接続されてしまうことを恐れていることが原因だと思い続けてきた。

「性」には必ず責任が伴う。
ここでいう「責任」とは、単に「傷ついた時の言い訳ができる根拠」程度に考えてもらっていい。
(「責任」という概念を哲学すると文字数が爆発するので、避けたいのが本音)
だからこそ、自己正当化の材料が「性」には必要。本来、それは愛だったりするわけだが、僕たちは愛し合う関係など築ける状況にない。
つまり、言い訳できる根拠を失った。
そんな「性」に対しての僕たちの態度は以下の2つ。

1、「性」的な体験からの逃避

2、「性」的な体験の自己正当化

1については、別のところで書く。2について深掘りしてみたい。

「どうしたいと思う?」

僕の実体験として。つい最近、女の子にこう問いかけた。

「僕としたいと思ってるんでしょ?」

するとその女の子は笑顔で

「どうしたいと思う?」

と少し間を置いて、聞き返したわけ…!!
その顔は形容し難いほどエロくて、僕は頭が真っ白になった。
上目遣いで、顎を引き、少し微笑みながら問いかけられたその雰囲気にやられてしまったのだ。
今思うに、その一言は僕にとって/大半の男子にとって最適な誘い返しだった。
女子諸君、引かないでくれ。男子とはこうも単純バカな愚かな生き物なのである。
自覚した上で、その男性性に素直になってしまいたい時だってあるのだ。

僕が誘ったのか、誘われたのか


先の体験を僕が客観的に(今ならできそう笑)解釈するに。
性的な体験の責任をどちらが持つか、という大きななすりつけ合い/責任転嫁/過剰責任思考がそこに確かにあった。
結局、僕が責任を持つことになったわけだよね。相手の方がやり手だったわけだ。やられた。

もちろん、それもわかった上で、誘いに乗り、(文字通り)やっちゃってるわけだから、誰も責めてるわけではないし、責める権利もないし、責めたいとも思わない(それはそれで問題笑)。
しかし、「どちらが責任を持つか」という戦略的なやりとりは不健全だし、なぜ素直に、本能の赴くまま「性」的な関係をむすべないのか、を考えることは有効だと思う。
「性」的な側面ではそんなやりとりが大きく僕たちの人生に影響しているはずだ。と同時に、そんなやりとり世の中に溢れてる。
今日も何処かで男女がそんな無意味なやりとりに終始しているはずだ。

「性」に伴う「責任」

単に「性」だけを切り取った場合、つまり、愛に関しての言質が取れていない場合では、そこに何かしらの罪の意識があり、その罪の意識から逃れるための過剰で無意味な責任押し付け合い合戦だと考えれば、どうだろう?
つまり、愛し合うことができていないにもかかわらず「性」にまつわる欲望を抱いていることに対しての罪の意識。その罪の意識を紛らわせるための責任思考。
そう考えると、論理的には正しそうだが、そうだとするなら、その「性」にまつわる「責任」は誰のために取るのだろう。
誰に許してもらうわけでもないはずの「性」はどこに向かっていくのだろう。

世のカップルのほとんどが愛し合えていない。それは過去の記事ですでに述べた。
そう考えると、世のカップルたちは常にどこか/誰か/何かに「性」の「責任」を押し付けていることになる。
孤独や状況、情など様々な理由をつけてやりまくってるわけだ。
だから、「性」的な体験をしたところで愛を感じられなくなってきているのだ。
まず、愛があって、その後に「性」という貞操観念は、重要な道徳律として機能していたのかもしれない。

僕たちの愛は無力だ

いや、こうも考えられる。
愛だけでは「性」の言い訳としては弱くなってきているのかもしれない。
愛というものへの信頼感が薄れる、と同時に、愛そのものへのイメージが実感を伴わないものになってしまっている、が故に僕たちは愛の先にあるはずの「性」に対して言い訳が必要になってきている。そうも考えられる。

結局は愛に求心力がなくなって、それが元となった責任転嫁合戦の先の「性」を僕たちは本能的に剥き出しのまま経験し続けることになるだろう。
これは絶望なのか、それとも人類の進化の一過程なのか。
それは神のみぞ知る、身体を失った魂だけの存在だけにしかわからないことなのかもしれない。
なんか、最後エヴァっぽい。

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