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思い出を拾い集めています

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子供の頃から青春時代、最近のことに至るまで、忘れられない思い出、忘れてしまった過去を掘り下げて書いてます。
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布袋様

布袋様

 母方の実家に布袋様がいた。30㎝くらいの高さの陶器で出来た人形である。これが幼い頃僕は苦手だった。あのにやっと笑う笑顔が不気味で怖かった。僕が悪さをする度に爺さんが、その布袋様を僕に近づけてきて叱った。僕は泣き叫んで逃げた。
 母方の実家は大宰府にあった。僕は当時福岡市の大橋というところに住んでおり、何かあれば、母親はすぐ実家に僕を預けた。その家の水が井戸水を使用しており、それで炊くご飯は非常に

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幼稚園の頃の思い出

幼稚園の頃の思い出

 幼稚園の送迎バスの発車地点が僕の団地の近くだったので、いつも僕が一番乗りだった。僕1人だったということは、同じ団地の人は誰もその幼稚園へいっていないということだ。なぜ僕だけその幼稚園になったのだろうか。今思えば不思議だ。あるいはいたのかもしれない。忘れているだけかもしれない。団地は福岡市南区大橋にあり、幼稚園は塩原にあった。
 最初に乗り込むので、お気に入りの席は行きは必ず僕が取った。運転手さん

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だざいふえん

だざいふえん

 僕にとって遊園地といえば、だざいふえんであった。いまだ存在する。太宰府天満宮の敷地内にある。母の実家が都府楼にあったので、わりかし近い。じいさんに連れられていったかもしれない。誰と行ったかの記憶はあまりない。
 幼稚園の遠足で行ったような記憶がうっすらとある。当時大橋に住んでいて、幼稚園は塩原だったので、西鉄電車で遠足に行ったはずである。
 福岡の人以外にはわかりにくい話で申し訳ないが、適当に読

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ケンジ

ケンジ

 ケンジ君の話をします。ケンジ君は小学校5,6年生の時に同じクラスになった仲の良かった友達です。ただ学校からは問題のある子としてマークされていたみたいです。
 問題があるといっても、盗みをしたり、暴力をふるったり、登校拒否をしたり、ということはなかったです。
 ケンジ君の家は山の斜面に沿って開発された新興住宅街のてっぺんのほうにあります。
 2階建ての家で、隣の家とくっついていた借家でした。決して

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 ハイスクール

ハイスクール

 高校入試。すべり止めの私立高校を受けた帰り、当たり付きの棒アイスキャンデイを買って何と3度も立て続けに当たった。2月の寒い日に4個キャンデイを食べた。それが原因かな。
 学校帰りにうどん屋で仲間とうどんを食った。唐辛子を目いっぱいかけて。それが悪かったのかな。
 受験中なので授業がなく、ただ学校にきてた時に友達と数人で柔道場で柔道をして遊んだのが、体にこたえたのだろうか。
 3月3日。本命の公立

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セイシュン

セイシュン

 ラヴレターを貰った。高校2年のことである。ある程度予想はしていた。当時俺には好きな人がいて、振られても未練がましく想っているのも相手は承知しているはずだった。どんな顔をして受け取ったらいいのだろうか。仮にA子としよう。彼女は割とさっぱりした性格だった。
「やっぱりダメなのね」
 俺の顔を読み取りA子はそういった。その時俺はどんな顔をしていたのだろうか。
 彼女以外にも俺のことを好きなんだろうなと

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フォークギター

フォークギター

 中学2年生になって、同じクラスになった三上君と仲良くなった。三上君はギターをやっていて、といってもまだ始めて1年もたっていないのだけれど、僕にはとても上手にみえた。
 一緒に練習しようよ、ということになり、僕はお年玉の残りでギターを買い、三上君の家で連日練習するようになった。
 当時流行っていて三上君の好きだったNSPのコピーから始めた。コード進行が優しくて初心者向きだったのもよかった。(NSP

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キンエン

キンエン

 タバコをやめたのは、今から15年ほど前のこと。世の中は嫌煙ムードがもりあがりつつあり、家でも最初換気扇のあるトイレで吸わされ、それでも、臭い、壁紙がヤニで色が変わった等いわれホタル族となり、ベランダで吸っていたら、今度はマンションが敷地内全面禁煙を打ち出してきた。これでは吸うところがない。通勤の車の中でも吸うなといわれているし、会社でしかもはや吸えない状況に陥っていた。
 会社内(店内)でも嫌煙

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バレンタイン

バレンタイン

 バレンタインのチョコ。世間の90%以上は義理チョコであろう。もらって嬉しいか、お返しを考えるともらいたくないか、いやそれでももらわなければ、人望がないと思われてまずいか、そもそもこんな面倒くさいものを誰が広めたのか。
 某ホームセンターの店長をしていた頃、バレンタイン禁止令を出した。お返しが面倒くさかったからと、やるほうも面倒くさいだろうと思ったからである。それが好評だった人もいれば、折角の楽し

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タイムスリップ

タイムスリップ

小学校の頃の遊び場は近所の神社だった。社殿は奥にあり、社務所の前に子供たちが遊ぶには丁度いい広場がある。高学年になって、サッカーとか野球とかするにはせますぎるが、そうでなければ十分な広さだった。ボール遊びも軟式テニスボールを使って素手で遊んでいた。
 自転車を初めて買って乗れるように練習するのもここだった。
夏休みのラジオ体操もここで行われた。ラジオ体操が終わると、家には帰らず、そのまま神

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アドベンチャー

アドベンチャー

 小学校5年生秋の出来事だった。バスで最近できた土師ダムまで遠足にいくことになった。8クラス総勢400人近い人数がダムの近くに出来た広場でお弁当を食べることになった。僕とケンジとカズトとタケシは一緒に弁当を食べた。遠くには行かないように先生から注意されていたが、戻れるギリギリラインまで探検にいくことにした。
 山を登ったところに数人のかたまりが弁当を食べている。人数が多いので結構遠くまで散らばって

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ドラゴンズ

ドラゴンズ

生まれたのは福岡市だった。小学2年生になる前に広島市に引っ越すことになった。親父が広島出身だったので、会社に異動願を出して転勤になったのだ。
福岡市は団地住まいで、ポリ風呂洋式トイレで、当時の言葉でいえば文化的な生活をしていた。広島に移ると五右衛門風呂に汲取和式トイレだった。大河ドラマ風にいえば、「こんなところへきとーはなかった」という気分だ。おまけに転校した小学校の友達からは博多弁を

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コロ

コロ

 昭和49年冬。小学校の帰り道、白い小さな仔犬をみつけた。フワフワの長い白い毛で顔が半分隠れて、垂れ目にみえる。なんとも愛らしい。首輪はつけてない。野良犬だ。一緒に遊んでやると人に慣れているのか、尻尾を振って愛想を振りまいてくる。野良犬なら、ここまで人に慣れてはいないだろうと、不審に思い、悩んだが、結局その仔犬を抱きかかえ、急いで家に帰った。
 母親は飼う事を許してくれた。妹も大喜びだ。お腹がすい

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メルカゾール

メルカゾール

私が30数年勤めたホームセンターを定年にまだ数年残して辞めることになった話をします。
今から5年ほど前、 足腰の調子がわるくなり、立っていたら震えが止まらない状態から始まり、しゃがむこともできなくなり、歩けはするのですが、重たい荷物も持てなくなったり、おまけに心臓バクバク、脈拍数が異常に高くなったりと、原因不明の体調不良に悩まされていました。体重は食っても食っても減る一方で、身長は160cm

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