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コロ

 昭和49年冬。小学校の帰り道、白い小さな仔犬をみつけた。フワフワの長い白い毛で顔が半分隠れて、垂れ目にみえる。なんとも愛らしい。首輪はつけてない。野良犬だ。一緒に遊んでやると人に慣れているのか、尻尾を振って愛想を振りまいてくる。野良犬なら、ここまで人に慣れてはいないだろうと、不審に思い、悩んだが、結局その仔犬を抱きかかえ、急いで家に帰った。
 母親は飼う事を許してくれた。妹も大喜びだ。お腹がすいていたのだろう、牛乳と味噌汁かけご飯を順番に出してやると、いそいで食べた。
 名前は僕がつけた。結局はありふれたどこにでもいる名前に決まった。コロだ。
 最初は外で飼うことに約束させられたのだが、夜な夜な、悲しい声でドアを叩く音が聞こえてきて、結局土間までなら、ということになったが、1か月も経つと、なしくずしに、家の中に入ってきた。父親が犬小屋を家庭大工で作ったが、あまり使われることはなかった。
 ある日、妹がコロの散歩に出かけて、泣いて帰ってきた。どうやら持ち主がみつかったらしい。公園で出くわして、ウチの犬だと言い合いになって、家に連れてきたらしい。
 これは返さないといけないのかな、と思っていた横で、母親が相手の子供に説教しだした。自分で逃げてきて我が家にきて居座ったのだから、ウチの犬だという論法である。これに閉口したか相手の子供は帰っていった。その後、相手の親がくることもなかった。
 先方の親にすれば飼っていた犬が勝手に仔犬を生んで、扱いに困っていたのではないか、と大人になった今では、そう推察する。
 そんな訳でコロは晴れてウチの犬になった。
 ところがある日、母親が外出した時、後をついて行って迷子になってしまった。鎖と首輪をつけるようにはしていたのだが、小さい仔犬のわりに毛が豊富で、首輪を締めても、スルッと外れてしまうのだ。後をつけたはいいが、母親はバスに乗っていってしまったので、おいつけない。結局どこまでいったかわからなくなってしまった。
 妹は泣き叫ぶが、どうしようもない。一晩待ったが、帰ってはこなかった。
 ところが2日目の朝、ドンドン戸を叩く音とキュンキュウン鳴く声が聞こえる。あわてて僕は戸をあけると、そこにはコロがいた。一生懸命尻尾を振って僕に飛びついてくる。「コロが、コロが帰って来た」そう叫ぶと母親も出てきた。そして味噌汁かけご飯を食べさせてやった。
 そんなことがあってから、コロは遠出はしなくなったものの、僕と妹の後をこっそりついていき、校庭に何度か出没するようになった。帰り道はしっているから、ほっといても大丈夫だとおもうのだが、妹は見つけるたびに「うちの犬だから」と先生にいって、抱きかかえて家まで連れ帰っていたようだ。仔犬でも小学校3年生の妹には重かったんじゃないかと思う。
 コロは完全に座敷犬になっていた。当時食事は椅子に座って使うテーブルなどはなく、こたつで食べていたのだが、その高さがコロにはちょうどいい。玉子焼きなんかは大好物のようで、よく誰かの皿から盗んで食べていた。「コロ!」と誰かが叱ると、大急ぎでTVの下に潜り込むのだった。強引に引っ張り出そうとすると「う~」と唸って威嚇した。現代の薄型TVだったら逃げ場所はないところだったろう。
 昭和51年春。我が家は父親の親、つまりは祖父母の家へ引っ越すことになった。コロも今までのように家の中では飼えなくなる。盆正月と何度かコロも経験済みだし、もう仔犬でもないので、多分大丈夫だろうと思ったが、心配ではあった。引っ越しの日。犬小屋を解体することになった。コンパクトにして運んで、またむこうで組みなおすつもりだった。解体を始めるとコロが狂ったように吠え出した。座敷犬のつもりだったけど、自分の家はちゃんと理解していたようだった。捨てられると思ったのだろうか。
 解体もすみ、一緒にタクシーに乗るといつものコロに戻っていた。
 祖父母の家に着き、小屋も組み立て終わると、鎖に繋がれたコロは大人しかった。自分の運命を悟ったかのようだった。もう仔犬ではないので、首輪がスポッと抜けることもない。ただ夕方のいつもの決まった時間になると吠え出して止まらなくなる。散歩の時間だ。大きく尻尾を振って散歩をせがむのであった。
 そんなある朝、向かいの家の秋田犬が脱走して、コロを襲った。コロは小屋の奥までにげたが、太ももを齧られ、出血していた。その頃に母親が中学生になった僕を起こしに来て、事の重大さに気づいた。斜め隣に住んでいるおばさんが自分の身長ほどある秋田犬を羽交い絞めにしてコロを救ってくれていた。やがて秋田犬のオーナーが出てきて、犬を檻に入れ、僕はその人と一緒にコロを動物病院に連れて行った。
 すぐ手術になり、コロは仰向けにされ縛られ、舌をダラーンとたらしながら「しーはー、しーはー」いっていた。麻酔が効いているのだろう。
 手術は無事終わり、入院ということになり、僕は秋田犬のオーナーのおじさんと近くの喫茶店にいってモーニングサービスを食べた。厚切りのトーストがおいしかった。生まれて初めて食べた味だった。
 コロは無事戻ってきて、また夕方、いつもの時間に吠え出す日々が始まった。
 コロが我が家にきて10年になった。もはや散歩も、綱を外していても遠くにはいかないようになった。常に僕が近くにいるかどうかチラチラ見ている。臆病になったのだな、歳をとったな、そう感じた。
 昭和57年春、僕は大学へいくため一人暮らしをはじめた。コロの散歩は誰かがするのだろう。多分、もう僕はこの家に住むことはない。コロとのこともすべて思い出になるのだと思った。
 昭和59年秋。友達と僕の部屋で酒を飲んでいると、電話がかかってきた。妹だった。「コロが、コロが」泣きむせぶ彼女の声で事態はわかった。母親に代わり、最期について聞いた。裏庭で一生懸命穴を掘ってたかと思うと突然キャインと鳴き声がして、それっきり静かになったので見に行くと死んでいた、遺体は毛布に包んで、庭に埋めたとのことだった。
 話を聞き終わり、覚悟はしていたので、妹のように取り乱しはしなかったが、電話を切り、沈黙を続けた。友達がどうしたのか、聞いてきたので、こう答えた。
「飼い犬が死んだんだ」
 すぐに違う話題に変えた。
 


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