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「この世で一番嫌っていたものになってしまった」というギフト
わたしがこの世で一番忌み嫌い、
絶対に自分はなりたくない、と思っていたもの、
それが心の病でした。
その理由は、子どもの頃に父がそうであったから。
家の中でどんよりし、
仕事を休み、
なにも語らず、
不可解な行動をし、
ゴロゴロ寝ている父がとても嫌いだった。
「弱い」「情けない」「働け」と
心の中で何度悪態をついて
イライラしていたかわかりません。
その「嫌い」は、
親として子どもの自分を
会食恐怖症と安心の場(「作りたい女と食べたい女」ドラマから)
NHKプラスで見ていた
ドラマ「作りたい女と食べたい女」。
あらすじは省略しますが
登場人物がみんな自分の人生にちゃんと向き合い
相手のこともありのまま尊重しつつ
思いを素直に表現しあう関係性が心地よくて
いいドラマだったなあ。
主人公のふたり
「作りたい女」と「食べたい女」
のお隣さんに
会食恐怖症の南雲さんという女性が登場したのが
今シーズン。
会食恐怖症は
「誰かと一緒に(人前で)食事
子どもらしく過ごす時間ってなんなんだろうねって話(ヤングケアラー支援について)
ヤングケアラーに関する記事でこんなの見つけました。
「ヤングケアラーが
子どもらしく過ごせるキャンプなどのイベントを企画」
大人の介護者が、
被介護者から少し離れて息抜きする、
こういうイベントがあるのは知ってる。
限られた予算のなかで
なにかをやることは
なにもやらなかったり
無関心であることよりずっといい。
「1日もないより、1日だけでも
子どもらしい時間を過ごしてほしい」
という意図
みんな「影の袋」を引きずって生きている
ジョーン・ボリセンコさんの
『自己変容の炎』を10年ぶりくらいに読み返しました。
当時、印象に残っていたのが
「影の袋」という表現。
「影」はユングのいうシャドウ、
つまり自分の中の、
受け入れていない一部分。
悲しみや怒り、喜び、
ほんとうはこうしたかったのに、という欲求など
自分の存在の「全体」にとって欠かせない部分なのに
縁を切ってしまったもの。
それらを放り込んだ部分を
詩人のロバ
光國本店さんの夏蜜柑菓子にエナジーをもらう
「行けなくならないうちに、帰っておきたい」
高齢で闘病中の母がそういうので
先日、
母の実家がある山口へ
母・わたしの夫・わたしの3人で
行ってまいりました。
行けてよかった。
母は母なりに、
わたしはわたしなりに、
夫も夫なりに
それぞれそう思えたありがたい滞在でした。
さてそれで。
縁ある親戚たちとのありがたい交流は
またいずれ書くとして
伯父伯母からいただいたお土産、
光國本
行って帰ってくるのか、こないのか(『君たちはどう生きるか』若干ネタバレ感想)
「君たちはどう生きるか」を
ひとりで観に行ってきた帰り、
これは夫と(じゃなくても誰かと)一緒に観に行けばよかったな、
と思いました。
なぜなら、
心が映像と音楽に持っていかれすぎて
帰り道ずっと
映画の世界に居続けたままみたいな気分だったから。
親しい誰かと話しながら帰ったら、
もう少し現実に戻ってきやすかったな、と。
本当に個人的な感想ですが
この話は
「行って帰ってきた人と
「母の愚痴を聞くのがイヤ」のパターン崩し
何度かこちらでも書いてますが、
高齢の実母が現在闘病中のため
いろいろと手伝いのある日常を過ごしてます。
ちょうど先月あたり、
「ああ、なんかもう、いろいろめんどくせーー」
という気持ちMaxになった時があって。
なにがめんどくさいのか
自分に問いかけたことがあったんです。
なにが面倒くさいんだろ?
そう問いかけると
「なにもかも」
という、
やさぐれメンドクセー感あふれる答えが
「自分を好きになる♡」がうまくできなかったわたしのあたまの中
もうずいぶん昔の20代の頃、
「自分を愛さなければ人も愛せないよ」
といった内容の
中森じゅあんさんのコラムかなんかを読んで
ああ、わたしは自分のことなんか
ぜんぜん愛してないし好きでもないな
だからきっと人も愛せないし結婚にも向いてないんだろう
なんて
自分にがっかりしながら思ったことがあったな、
と思い出します。
その後数年たって結婚したのはいいけど
案の定というかなんというか、
持続可能なしあわせの、心の筋力について
先日、
毎年3月に呼ばれる
3日間限定お掃除アルバイトに
行ってまいりました!
卒業シーズンに
学生寮のような所を
お掃除するこのバイト、
初めてからもう四半世紀も経つ
長年の恒例行事になってます。
それだけ長いので、
お掃除のやり方にも慣れてるし
どこに何があるのかもわかるし
きれいにする仕事は、
気持ちがいいし割と好き。
でも、
部外者なので結構気も遣うし
普段と少し違う対人関係で