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限界は、自分で決めていい(誰かのケアをする人に)

「限界(上限)を決めるな」って
もっと拡大成長するときなんかにはよく言われますし
わたしもそれはそうだなと思いますが

今回は上限じゃなくてどちらかというと下限の話です。



たとえば
介護や育児などご家族のケアを毎日されてる方。


愛情深くて、
一生懸命に人に向き合おうとする優しい方は

目の前の人の気持ちや快適さを
大事にしようとするあまり
意識のベクトルが相手に向きすぎて


自分の気持ちや快適さをキャッチするためのエネルギーを
相手に全振りしてしまう時があると思うんです。

そして、
人のためならと120%の力でがんばれてしまう。



それがダメなんじゃあ、全然ない。

そうせざるをえない時もあるでしょうし
そうしたいお気持ちがあるのも本当でしょう。



でもだからこそ。


本当に本当に自分の限界が来る、
ギリギリのところまで頑張らずに

「ホントは頑張れば、もうちょっとできるかなー?」

と思うところ、

本当の限界ラインの5歩手前くらいで

「私、ここまででもう無理」

手前の限界ラインを自分で作って
人の手を借りたり休んだり
「やらない」を選んでもいいんです。


あなたの限界ラインがどこにあるかなんて
他人にはわかりません。
他人の空腹具合がその本人以外わからないのと同じです。

自分で「ここだな」と決めていいんです。

ご家族のケアとか
ケアワークを仕事にされている方って
毎日のことじゃないですか。


一日だけとか
一時期だけとかなら
限界ギリギリまで頑張っても
インターバルでなんとか回復できるかもしれないけど

毎日毎日、

限界ギリギリまで
ご自身にまったくエネルギーを補給せず
使い果たしてしまうと

いつか、枯渇してしまいますから。


そうしたら
目の前の方にも
本来の優しさを向けられなくなってしまうかも。


自分に優しくしないまま、
自分を大事にしないまま、
自分の命を養おうとしないまま、

誰かほかの人の命だけを養おうとすると

それがあまりにつらくなって

また別の誰かに
「わたしのは自分の命を自分で養えないから、あなた養ってよ!(怒)」
と言いたくなってしまったり

自分が気づくより先に
心身の方が「もう限界です」とSOSを発したりする

なんてことも起こりえます。

このバナナの話みたいに
思いやりでグッとガマンができてしまう時もあるけれど。

「がんばればできなくもないけど、
ホンネはもう結構しんどいかな」


そんなしんどさを感じてるご自身に
意識のベクトルを向けて 

「限界ギリギリまでがんばらせない」
という
労わりや優しさを向けてあげても
いいんじゃないかなと思います。


きっと
一生懸命ケアしようと思った当初の望みは
「その人と一緒に幸せに過ごしたい」
というものではなかったでしょうかね。

そうであったらなおさら、
また違う望みであったとしても

ご自身のケアも、
「ギリギリ最低限」じゃなく

たっぷりなみなみとしてさしあげた方が
お互い幸せに過ごせて
いいんじゃないかなとわたしは思っております。




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